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初代『ふたりはプリキュア』前編~プリキュアの゛おっ”と思う話①

1シリーズ1記事くらいでいきたいと言っていたこの連載「プリキュアの゛おっ”と思う話」、初代『ふたりはプリキュア』を25話まで見たところで、これこの辺で一記事行かないと無理やわ、となりました。

注目ポイントが多いんだよ!いいことですね!

『ふたりはプリキュア』シリーズ全体の特徴

記念すべき第1シリーズ。
プリキュアとなる主人公の少女たちは、ベローネ学園女子中等部2年生のなぎささんとほのかさんの2人です。活発な体育会系なぎさと、優等生タイプのほのかというコントラストになっています。

第一話の導入でまず、ラクロス部の練習で汗を迸らせるなぎさや、科学部の実験で爆発して(どんな危険な実験をしているのか笑)顔が汚れても楽しそうなほのかの様子が映し出されて、「女の子らしさ」に捉われず自分の好きなことを思いっきりやっている女の子の姿を描きたいという、制作者の思いが冒頭からしっかり伝わっています。

また、全話を通してなぎさとほのかは、正反対の性格として描かれていますが、2人とも、誰かを傷つけるような敵には怒り心頭してまっすぐ向かっていきます。実は価値観はとても似ている2人なのかもしれませんね。
「女の子も許せないことに怒って戦っていい」というエンパワーが、プリキュアの原点だったことが窺える描写が随所にあります。

一方で、なぎさが男子部の先輩に片想いする設定があったり、妖精が男女のカップルだったりと、「恋愛=男女」という固定観念は近年のプリキュアより強いよう。
特に気になるのは、なぎさが男子よりも女子に憧れられているという設定の中で、女子からのラブレター(ファンレター?)をたくさんもらって「がっかりしている」描写。
時代が違うと言ってしまえば簡単ですが、まだまだ世間には前時代的な価値観の作品も多い中で、今のプリキュア制作陣が時代の価値観のアップデートをしっかり取り入れているということでもありますね。

もう一つ、おや、と思ったのは、会話の内容などが近年のプリキュアより大人っぽい感じがすること。
同級生と美味しいケーキ屋さんや恋の話題に夢中になる描写は、女子中学生というよりどちらかというと女子高生のイメージに近いような感じがします。精神面はシリーズを重ねるごとに、だんだんリアルな中学生に近づいてきたのかな?この辺はいつ頃から変わってきたのかも、今後注目したいですね。

゛おっ”っと思う話

・5話
プリキュアにはなったものの、まだあまり親しくないなぎさとほのかが一緒に休日を過ごす話。
途中で2人をナンパしてくる変な男たちが現れるのですが、ナンパしながらも嘲笑する態度なんですよ!これめっちゃあるある!そしてその態度に「何がおかしいの!」とブチ切れるほのかさん。これ製作者の誰かの実体験とかじゃないですかね?

またこの回は、たこ焼き屋台のお姉さんことアカネさんの登場回でもあります。この時に、自分の店を持つことを夢見て会社を辞め、移動販売のたこ焼き屋を始めたという説明がされています。
少女たちの先輩にあたる大人の女性として、「働く女性」「大人になってからも新たな夢を追って不安定な道を選んだ女性」が示されていますね。

またこの回での敵との戦闘シーンでは、「所詮お前たちはドツクゾーンに飲み込まれるだけの存在だ、黙ってジャアクキングの意志に従え」という敵に対して、ほのかさんが
「バカにしないで!みんな一生懸命に生きてるのよ!理解しあって尊敬しあって生きてるんじゃないの!力ずくでみんなを支配しようとするなんてそんなの絶対間違ってる!」
と反論しています。

プリキュアの敵組織の設定は、当初から「企業」がモデルになっているという話がありますが、会社の意志に黙って従うだけの人生と思っている企業戦士と、個の尊重をうたい支配への抵抗を唱えるキラキラした少女の対比という感じで、趣き深いものがありますね…。

・8話
いわゆる「8話」です!
というのは、『ふたりはプリキュア』の8話は、その後のプリキュアにおいても「プリキュア同士がお互いを名前呼びし始める回」の隠語に「8話」が使われるほどの、伝説回と言われているのです。

周囲には、男勝りななぎさと女の子らしいほのか、と思われている2人なのですが、この回のほのかさんは、まさに「乙女心がわからない女」の典型です(笑)
わかるわ…周囲からのイメージが「おしとやかで女の子らしい」だろうと何だろうと、「乙女心」っていう感性が致命的に無い女っていのはいるのですよ。ていうかわりとそういうのどうでもいいし、友達の方が大事だし…(自分の話か笑)
しかし、なぎさと仲良くなりたくてテンション上がりまくって失敗した感じのほのかさんは、とっても可愛いです。(笑)

・10話
ほのかさんが宝石強盗に巻き込まれる回です。
ほのかは宝石強盗にも真っ向から正論で、「世の中にはもっと頑張っている人もたくさんいる。だからといってお金持ちになれるとは限らないんでしょう?それでもみんなどんなに辛くても一生懸命働いてるんじゃいんですか?そんな人たちの気持ちを考えてあげて」と言うんですが、強盗は「俺たちだって“そんな人たち”をもうずっと何年もやってきたんだよ」と返すのです。

ほのかの優等生的正論が通じない場面がとうとう来たか…と思わされる展開なのですが、その後、
「会社が倒産して、逃げた社長の借金を背負わされて、やっぱ俺たちいくら頑張ったって無駄なんだよ」という強盗に、ほのかさんは
「諦めちゃダメ!自分の力で立ち上がらなきゃ。人生はいいことと悪いことが半分ずつだってお父さんとお母さんが言ってた」と説教かますんですよ。

これで強盗は絆された雰囲気になるんですが…こんな小さな女の子(しかも親が宝石店と商談中で待たされているようなお嬢様)に「人生はいいことと悪いこと半分ずつ」とか言われても(´・ω・`)…としかならないよな…と思ってしまいました。

個人的には、いいこと悪いこと半分ずつとかより「生きてくのって毎日大変だよな」と「人生っていろいろあってクソ面白いよな」は両立すると思うんですけどね(どうでもいい話)

・13話
これはもう、ただただいい話です。熱い努力と友情は、スポ根だけのものじゃない。文科系で地味な科学部女子たちも、熱い気持ちで目標に向かって頑張ってる!そこには互いをリスペクトし合う最高の友情が生まれる!

・14話
こちらは、なぎさとほのかのクラスメイトが、「偽プリキュアごっこ」をやるという話です。
最終的にはクラスメイトたちは、「本当にプリキュアになれるわけないもん!」と諦める(と見せかけて結局続けるんだけど)展開。プリキュアが「女の子は誰でもプリキュアになれる」というコンセプトを打ち出したのって、オールスターズが始まってからでしたっけ?そのコンセプトが始まってからの違いが明確でびっくりしました。
オールスターズ映画の中でも、私は特にNew Stageが大好きなのですが、ゲスト出演だった女の子が、明確な目的意識を持ったことで突然プリキュアになってしまうという展開は胸アツでした。長い歴史を通してプリキュアは「普通の女の子の可能性」を広げてきたのかもしれませんね。

・21話
21話は、なかなか胸が痛い回です。ちょっと冷めた態度が問題アリだけれど、そんな姿も後輩として見守ってきたキリヤくん。彼がドツクゾーンの使者だと本人から告白されたほのかは大ショックを受けます。

その時ほのかさんは、信頼するおばあちゃんに「人の運命って変えられないものなの?」と問いかけます。そのおばあちゃんの答えが、
「それはその人次第じゃないかしらねえ。でもね、人が運命だと思っていることを変えようとするには大変な努力と根気が必要じゃないかねえ。それともう一つ肝心なもの。運命に立ち向かう強い気持ち、かねえ。」

「運命は変えられる!」とも簡単に言わないし、「運命は変えられない」と安易な諦観にひたることもないおばあちゃんの言葉。含蓄を感じますね…。「人が運命だと思っていること」という表現もイカしてますよね。それが本当に「運命」かどうかなんて、人間がそうそう判断できんのか?ってことですね。

結局キリヤくんは、人との心のつながりを体験してドツクゾーンに支配されていた心が変わり、プリキュアにプリズムストーンを手渡した後、闇の中に消えていきます。

・25話
この回は、なぎさとほのかが妖精たちのふるさとである「光の園」を訪れる話なのですが、ここで巨大な光の園のクイーンが登場します。

私の「巨大化された女性イメージ」への忌避感の原点は、ガンダムSEEDのフレイの描写のご都合主義にあるんですが(ものすごく差別思想をこじらせた地雷女であった彼女を死後に神聖化するのは彼女の人間性を「女」という枠でしかとらえない冒涜でしかなかった)この巨大なクイーンを、我々はどうとらえるべきなのでしょうか?

最新作の『HUGっと!プリキュア』でも、この初代クイーンのオマージュと思われる巨大な女性像が現れていて、この表象が一体何を示すものなのか、今後も注目したいと思います。

(続く)

(以上全文無料、投げ銭記事)

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