時代のサンドイッチ・覚えていることなど⑨

ムック本の別冊宝島から映画宝島が派生して、最終的に雑誌・映画秘宝になっていく流れと、宝島本誌がバンドブームとともに一時的に肥大しつつも弱体化して、サブカル雑誌の要素が雑誌・SPAやTVブロス等に散っていくのはパラレルになっている。
前にも書いたけれども、宝島30という派生雑誌があって、別冊宝島でよく見かけた呉智英関連の評論家、ライターが重用されていた覚えがある。90年代以降の保守はそういう文脈から出てきたという感じがあって、かれらの仮想敵は「ポストモダンがどうとか言っている連中」で、「新人類」世代の浅田彰を筆頭に、柄谷行人や蓮實重彦あたりを遠くから撃っていた。小林よしのりが竹田青嗣などと本を出したりするあの感触は、思想上の云々を超えて、党派性のヌメっとした手触りを感じ、そんな対立関係を知らずに本を読んでいたこちらからすれば、どこもかしこも人間関係なんだなとおもい、とてもしんどく感じた。
一時期、自分の青年期を振り返ることと、時代の保守化の流れを確認するために90年代論やその周辺の本を読んだけれども、意外なほど宝島30や町山智浩の名前は出てこず、小林よしのり現象や教科書問題、嫌韓といった話題ばかりが取り上げられている。90年代サブカルの問題として挙げられる悪趣味、鬼畜系といわれる文脈でも、もちろん本題として村崎百郎や青山正明、もしくは根本敬だったりミリオン出版系の話題が中心になるのはわかるのだが、同時に、映画秘宝前夜のムック本『悪趣味洋画劇場』のようなものが地続き、というか同じように読まれていた覚えがあって、そこもまたオミットされているという感じがする。
別冊宝島に『80年代の正体』という一冊があって、そこで80年代文化の「軽さ」を散々こき下ろしていた。町山というひとは、常に時代の反抗者なのだろうとおもう。デオドラント文化に対して悪趣味をぶつけたように、権威主義的左派に保守をぶつけ、いる場所が変わっても今もなお何かと戦い続けている。そういう位置取りだけは変わらず、各時代をずっとスライドし続けて支持を集め続けているようにもみえる。彼が歩いたあとを振り返ると、90年代以降の大きな流れが見えるというか、後々に禍根を残すものごとの起点になるというか、まさに編集者的に時代を揺り動かしていた。そういうことを書いているのはロマン優光だけなのだろうか。作品と時代の間には、メディアやそれに伴う編集、流通、そしてそれを支えるテクノロジーなどの要素が大きいというのは、まさに80年代から90年代に大きく言われていたはずなのだが、これだけ時代に爪痕を残した町山智浩の、映画評論家や社会時評の仕事とは別に、編集者としてやったこと、起こったこと、それが変えてしまったことに関して、なぜ誰も書こうとしないのだろうか。
一時期、社会学者の北田暁大が、SEALDs支持を明示するために対比として団塊ジュニアを「最弱の世代」と名指しした内田樹に怒っていたことがあった。年長世代が若者に「連帯」を語る体で自身のポジションをかためようとするとき、その間に挟まる世代を貶めるというパターンはままある。ひとは直前と直後の世代を嫌う。そこからどう脱するかで自分の独自性を打ち出そうとするからなのだろう。何も10年刻みだけでものごとが変わるわけでもないが、それでもそこそこの影響と束縛を与える文化の力は10年程度は保つものだし、同時に10年もすれば何かが薄れて抽象的なものになって時代を動かすほどの力を失う。それでもなお、年長世代が「今」を生きようとすれば、自分の思想や仕事が今といかにつながっているかを語る必要がでてくる。だから自分と今の間がサンドイッチの具になる。そしてそれをやり続ける限り、どこまでも時代を超えていけるようにみえてしまう。
しかし、ひとはどうしても自分に根付いた思考というか、感覚というか、思いのめぐらせかたというか、そのかたちそのものから自由にはなれない。そしてそれはどうやっても時代性を強く帯びてしまう。どれだけ今の若者に同調しようが、流行りの思想と自身の共通点を見つけようが、そもそもの出所はかつて自分が生きた「あの頃」でしかない。そういう意味で、80年代が糸井重里の時代だったように、90年代は町山智浩の時代だったとおもっている。それは作家であるということとは別の力で、糸井の影響力がほぼ日手帳のヒットあたりまでぼんやり続いたように、みえにくいままそこにある。

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