米騒動


70年代にはオイルショックがあってトイレットペーパーの購入に人が溢れ、という報道写真は何度もみたが、その頃の直接的な記憶はない。それ以降そんな騒動は平成の冷夏による米不足騒ぎくらいしか体験することがなかったが、令和に入って感染症騒動でトイレットペーパーやマスクがなくなり、今年は新米が出回る直前に南海トラフへの不安がひろがった時期に店頭から米が消えることになった。
わたしの生活圏である大阪や京都の郊外地域では、どのスーパーにも米がなく、パックご飯ですら玄米系のものが少し在庫している程度という店も多かった。ちょうどうちの米がなくなるタイミングだったのでとても困ったのだけれど、では世の中どこもそうかと言えばそんな訳はなく、コンビニ行けばおにぎりも弁当もあり、ファストフードに行けば丼や定食は普通に出てくるし、SNS上ではうちの地域にはこれだけありますとスーパーの米在庫の陳列写真をアップされていたのもみた。
とても不思議な感覚だった。どの商店にもおかずを作るための材料も、惣菜そのものも、おやつやデザート、果物も、なんでもあるのに米だけがないのだ。そして調理された米、ご飯なら溢れているのだ。そういう意味では、食べるものがないといった種のパニックではなくて、実際スーパーの開店セールのような行列も混乱もなかった。そんな反応だったり、SNSをみても平成の米不足のときのような焦りや苛立ちを感じることはなく、ただ淡々とモノがなかった。ふと、よく言われるソ連時代のスーパーと客の関係を思い出した。
その時期農水省は、一カ月くらいはこの状態は続くけれども、もうじき新米も出回るし、そもそも市場全体では供給量が極端に不足している訳ではない、と言っていた。だからパックご飯や外食で乗り切ってほしい、とも。まあそういう回答が返ってくるだろうな、というものをそのまま読んだ感じがした。関西の地域政党の首長が米の備蓄を出せといって農水省とやりあっていた。そんなこんなをやっているうちに新米が出回るのだろう。近くのスーパーでも少ないながらも入荷しているのをみたが、一瞬で棚から消えた。
スーパーで米を見なくなった時期、米屋はどうだったかといえば、米が何袋も積んであるのだけれど、いつも付いている値札はないような状態だった。びっくりするような値札が付いている店もあったが、あれもある意味で一見さんお断り的な威嚇として貼り出していたのかもしれない。しかしそれ以上に、地図上に表記があっても、事実上稼働していない米屋が多いということについて色々おもった。きちんと営業している米屋は、ある種のブランディングをしていたり、多角的な商売のやりかたで米販売の部門を支えることで成り立っている。農家と直接契約してブランド米を作ってもらうようなかたちの米屋には今回のコメ不足はあまり関係がない。
「ある」けど「ない」。「ある」から動かない。動くには時間がかかりすぎる。かなり多くのところでこうしたかけ違えのような、バグのような、同時に根本的なものが原因になった不具合が起きているように感じる。関西の大都市近郊ですら、運転手の確保が難しくなってバス路線が少しずつ廃止されていくのと同時に、ウーバーやアマゾンのような個人規模での宅配が溢れあらゆる隙間を埋めている。大きな輸送と小さな輸送の担い手のあり方がどんどんと離れていく。わたしの友人に長距離トラックのドライバーがいるのだけれど、週末に家に帰れる以外はずっと国内の端から端までを移動し続けていて、空いた細切れの時間に配送を請け負うウーバー的なものとは対象的な生活をしている。
あるところには米がなく、あるところには普通にある。その二つをつなぎ合わせる経路が、大きなかたちで失われた瞬間、「転売ヤー」と言われるようなものがフリマやオークションのかたちでその代替の顔をして姿を見せる。もちろんひとの足元をみた値段をつけて。ものはある。ひともいる。でも、ものもひとも、全体のために流れてはいないから、どこかでは滞り、どこかでは不足する。フリマやオークションサイトのように、派遣業がひとを動かしていく。
新米が出回るようになって、米不足についての話題はでなくなった。同じようなバグ的問題が起きても、特に対策がうたれることはなく、フリマやオークションサイトは規制されない気がする。流通革命は中間業者を弱体化させ、個々人を「転売ヤー」に変えただけなのだろうか。

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