90年代サブカルの思い出・覚えていることなど⑧

90年代は直前にあったネオンカラーがキラッキラの80年代を拒否して、ほこりをかぶっていた70年代の生の質感を再解釈する時代だったようにおもう。今は否定的なニュアンスで語られる「昭和」だけれど、90年代は昭和歌謡や和モノという枠で日本のレアグルーヴが掘り起こされていく最初期になった。
80年代の後半には、たとえばミントサウンドのようなレーベルからネオGSという括りが当てられたりもしていたのだけれど、70年代のレイドバックした感じや大仰なハードロックスタイルを嫌って60年代のクールネスやガレージパンク的なものに回帰したところがあるから、どうやってもサイケデリックより先には進めない感じがあった。そういう意味では90年代は70年代的なものへの拒否感を克服し、その豊穣を受け入れた時代で、だからこそはっぴいえんど史観が成立した時代だったんだなあとおもったりする。
90年代は不思議な時代で、方法論はあらかた出尽くした、という考えがぼんやりした空気としてあって、だからこそ過去の遺産に優劣はなく、全てを平等に嗜好することが可能になったと考えるようになった。サンプリングソースとしての平等。それが幸せなのかどうかはわからないけれど、そのおかげで多くの作品がリイシューされ恩恵をうけたのは事実だ。ただ、直前の時代、80年代的なものだけは嫌悪されていて、それが克服されるのはそこからまだ10年以上かかるのだけれど。
音楽だけではなく映画もまた旧作の再評価が進む。タランティーノの活躍もあって、国内のマイナー作品や、プログラムピクチャーが紹介されることが多くなった。特に『映画秘宝』の周囲にサブカル系コラムニストが集まり独特の雰囲気を醸し出す存在になった。そんな文脈のなかで出版された杉作J太郎の『ボンクラ映画魂』は、東映映画の多士済々にスポットを当てたミニコラムを集めて人名辞典としてまとめた大傑作だ。
杉作作品にはいくつか重要なキーワードが存在する。タイトルにもある「ボンクラ」、そして「野暮天」。80年代、急激にデオドラント意識が高まり、電車の吊り革も拭いてからでないと触れないひとがいる、なんてはなしが、笑いごとではないレベルで語られる世の中になっていった。洗髪ができるサイズとシャワーが備えられた洗面台は「朝シャン」の流行からひろがった。ウォシュレットが普及し、CM内での戸川純の「お尻だって洗ってほしい」というセリフが話題になった。制汗剤がエチケットの大前提のようになり、70年代の「汗と涙の青春」といったあり方は「ダサい」ものになって、「ソース顔、しょうゆ顔」というもの言いで「男前」像が転換されたのもこの時期だ。杉作の言うところの「野暮天」達のような生が忌避される時代になった。
演劇人である宮沢章夫が書いた『東京大学「80年代地下文化論」講義』という本があって、「ピテカン」の伝説を軸にサブカルチャー史を語っているのだけれど、そこで称揚されるものが抑圧した何かが90年代サブカルの方向を決定付けたと今でもおもっている。同書では、ガンダムは一切知らないがチェルフィッチュなら知っている、という種の発言があって、映画版以降あれだけの社会現象をおこしたコンテンツを「知らない」と言い切るこの感じが80年代サブカルだなあとどんよりした。
では90年代の、別冊宝島から宝島30、映画秘宝に流れていくサブカルは、そうした80年代的な諸々を脱するのかと言えばなかなか難しいところがあって、80年代以前のアナログな生々しさを再評価する彼らからすれば、おたくもまた80年代的な「軽さ」や少年性/少女性への拘泥の権化のように扱われ遠ざけられる存在になってしまう。80年代の同時代サブカルからも、90年代サブカルからも、それぞれが嫌う何かを押し付けてしまえる存在としておたくは在ったことを、わたしは忘れない。
そんな中、杉作はそんなサブカルによるおたくの分離を超えて、モー娘。に、エヴァにハマりまくる。東映ヤクザ映画のよき紹介者でありながら、作品や、それを取り巻くスタッフ、さらには映画館に通う自らを含めた現場ファンのありよう自体が含んでしまうユーモア感をうまく書き出して、かつ作品そのものを貶めない。ひとがひとであることの間抜けさと優しさ。そんな杉作がいたから、80年代が求める人間にはなれなかった野暮天のひとりであるわたしも、時代への怨念に囚われないように生きることができた気がする。

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