楽園

漫画の闇金ウシジマくんに楽園くん編という章があって、90年代から2000年代にかけての大都市圏にいた人間には、借金云々はともかく、なんとなく知っている空気感が詰まっている。
80年代後半以降、求人情報からのし上がった企業が煽りに煽ったフリーターというまぼろしは、24時間働けますかという企業戦士像と対になって時代相を描いていた。フリーター幻想はノマドワーカーと非正規雇用の二極というか、明暗というか、わかりやすい対比となって今もいきている。もう少し前はイケハヤ現象のようなかたちをとっていたが、アーリーアダプターとフォロワーの構造は変わらない。
ストリートフォト的、裏原的なものの価値観の象徴、メンターが藤原ヒロシだった。以前、「ピテカン」を称揚し「おたく」を忌避する宮沢章夫の80年代論について少し触れたのだけれど、彼がチェルフィッシュを挙げて語ろうとしていたああしたサブカル的ななにかは、実際は藤原ヒロシに集約され結実したとおもっている。それは結果として、というよりも、必然のような展開だったとおもう。例えば、いとうせいこうに憧れる層ではあの時代は生まれなかったとおもう。いとうは『ノーライフキング』の成功もあるし、確かに日本のヒップホップ創成期のタレントではあるけれども、当時の印象としては目先がきくひと、というくらいの印象で、かといって「いとうせいこうのセレクト」というもの自体が他人に影響を及ぼすほどの力はなかったように感じていた。
雑誌や諸々のメディアから広がる藤原ヒロシのことば、その端々にあるアイテムセレクトのヒントをチェックしている若者。今のように安価でもそこそこに出来のいい服が手に入る時代ではなく、今のように動画サイトであらゆる音源にアクセスできるわけでもなかったあの頃、「モノ」がある場所は偏っていたし、そういう「ヒト」がいる場所はさらに狭かった。90年代、「東京」が頭に付くものが増えて、それだけで何かを言えているような、何かを叶えているかのような空気があった。今でいうと後ろに「2.0」が付く感じといえばいいだろうか。
わたし達は業界臭を批判するけれども、楽園くんの主人公がそうであるように、ひとは己が憧れる人脈、グループ、つながり、地域に属して、その中で自分の立ち位置をよりよいものにしようとするという意味で、小さかろうと業界人化していく。イベントやショップに行くと、そこそこのポジションの連中と「気軽に挨拶してダベる」みたいなことを繰り返して、「仲間」の表情を身につけてその界隈の人間になることを望む。そして、気がつけば、全国的名の知れたアーティストや起業家のようなひとに会う機会もある。友達の友達、その友達くらいに広げれば、有名人と自分の距離がそう遠くないように感じたりもする。しかし、そうした場所の常連であること、友達の友達であることで、わたしが何かになり変われるわけでもないし、能力を得るわけでもない。まさに漫画に描かれている通りだ。
わたしは若い頃京都に住んでいた。この街を足がかりに大きくなったひと達は多い。その空気や香りを共有したがる若いひと達が多く住んでいる。〇〇さんのイベントを手伝っているDJとか、〇〇君とバンドやってたミュージシャンとか、〇〇先生のところで学んでいる院生とかが、それぞれの「業界」の石垣を積み上げていた。しかし、それぞれのモラトリアムの時期が終わる時、この街の「業界」は東京と違って生業にできるほどの大きさがないことに否が応でも気づく。あの頃も今も、新卒絶対主義は根強い。それでも何かを諦められないひと達は、今はメジャーデビューした〇〇君はどこそこでバイト生活だったらしいとか、そんなはなしを繰り返しながら「フリーター」という当時新しかった生き方の響きにすがった。
宮沢章夫の言う「ピテカン」から続く、批評性をもったサロン的文化生活なるものは、インターネットによる擬似的な無償システムが成り立つまでに、無数のミニ「ヒロシ」くん=楽園くんを生み出し続けたとおもっている。インターネット環境普及以後、そういうカリスマはいなくなったけれども、今も都会は、そういうつながりを求める若者で溢れている。

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