どんでんからアレへ

久しぶりに本のはなしをする。かつ、しょうもないはなしをする。
本屋に行くたびに、時間があれば一応大まかにそれぞれの棚をみるようにしている。さすがに大型書店の場合はパスする分野が出るが、まあなるべくざっとは目を通したいとはおもう。で、さほど興味はないのに、ついついパラパラとめくってしまうのが野球関連の本だ。選手名鑑とか技術論には全く手が伸びない。昔はパリーグの歴史本とかにも少しは興味があったが、今は監督経験者かく語りき的なやつが暑くてたのしい。
その中で、行くたびに毎回手にしてしまうのが岡田彰布本だ。どの本も岡田節というか岡田調の大阪弁で、はたしてそのままの聞き書きなのか、大幅なリライトが入っているのかさっぱりわからないが、まあええか、と思わせる爽快な読み応えだ。爽快といっても、炭酸でシュワーっとさっぱりという感じではなく、ひやしあめを飲んだくらいの感じだ。
少し前、清原が番長キャラをのせられてしまい、何でもかんでもドスの効いたセリフをあてられていたが、そのことに清原自身も悩み、それを演じることになって色んなことが破綻していったということがあったが、岡田はどうなのだろう。岡田の場合は、キャラを強制されるも何も、ただ単に本人の口癖だ。しかしそもそも、バックスクリーン3連発の頃はそんなにキャラも立っていなかった気がする。独特の口調の掛布と、最強外国人・バースと比較するとどうも印象が薄い。当時はなにわ丸出しの川藤も現役だったし、モノマネといえば小林繁のピッチングだった。改めて岡田が話題を集めたのはコメディNo.1の坂田と共に出演した味の素「どんでん」のCMだった。「岡田と坂田は似てる」というのは当時の阪神ファン「あるある」だったのだが、さすがにCMで共演させるというのには多くの大阪人が驚いた。ある意味では、岡田本人が「岡田」を引き受けるきっかけになったできごとだったのかもしれない。
岡田は、年々なにわ感丸出しになる口調のイメージとは少し違って、理論的でクレバーな人物だと言われる。なぜパブリックイメージの上では関西弁と理知が結びつきにくくなっているのかはさておくが、特に岡田のトークはアレだのソレだのといったアバウトな指示詞が溢れていて、わかったようなわからないような妙な気分にさせられるのだが、ことば自体のグルーヴ感が強くてつい引き込まれてしまう。そんなライブ芸的な岡田語りはなぜか書籍でも健在で、先にも書いたが岡田本はどれもあの口調なのだ。町田康や川上未映子が文体としての大阪弁、関西弁なのに対して、岡田のそれは何と言えばいいのだろうか。しかし、なぜかスッと入るのだ。いやらしさがないというか。例えば編集の筆がが入っていたとしても、「岡田」の枠におさまっているというか。
内容はさらに深い。野球の話題はもちろんだが、やれ広島のお好み焼きがうまいだの、カラオケで何を歌うだの、いちいち面白い。本の帯には「いまだから明かす「岡田の考え」」と書かれているが、そもそもこれは故・野村克也が選手たちとのミーティングの際に用意したといわれるノート「野村の考え」を意識したものに違いない。それまでの野球人生で得た技術論や方法論をまとめた分厚いものだったと伝わる野村ノートと比べたとき、「岡山はカレイの塩焼き」なる節があるようなものを「岡田の考え」と銘打っていいのか、とも言えるが、断然「いい」のである。帯にはほかに「おれのほんまの気持ち、書くわ」といったYouTuberのサムネめいた言葉も踊っている。本のタイトルは『普通にやるだけやんか』。こんな本を誰が買うのか。もちろんわたしは書いました。
最初は、電子書籍であったらそれでええか…とも思ったのだが、いや、こういう本こそ、部屋に現物の本としてあったほうがよいのではないか、と思いなおした。そうなのだ。目の前にあるとついパラパラと目を通してしまう。2、3ページ読むと、うん、いつもの岡田やな…と思ってちょっと満足する。一冊丸々、方言と口調まるだしの本が出版されているということ。文体実験でも、地方語の運動でもなく、純粋な野球談義でもない謎の本がポーンと投げ出されているということ。『普通にやるだけやんか』。実はこんな普通は、言語芸術にもSNSにも、あるようでないのだ。一番近いものを探せば『夢酔独言』がそれに当たるだろう。そんな何かがこういうおっさんフィールドにあるということを感謝したい。久々の読書感想は以上です。

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