ほぼ日:メモ:20230913

・なにかを頼まれているというのは、
 とても幸福なことです。
 だれにもなんにも頼まれなかったら、張り合いがない。
 なにかで、あてにされているということ。
 だれかに思われているということ。
 なんなら耐えられる範囲で憎まれていることまで、
 人は、人との関係があることを望んでいます。

 仕事ひとすじで生きてきた人が、
 会社をやめたらすっかり元気がなくなった、
 というような話もよく聞きます。
 逆に、仕事をしていなくても、
 なにかの手伝いをいていたり、趣味の友だちがいたり、
 お孫さんの面倒を見たりなんてことをしてる人は、
 わりに元気で暮らしているらしいんですよね。
 「長生きの秘訣は複数の共同体に関わっていること」、
 そういうことを教わったおぼえもあります。
 いやいや、年寄りの例ばかりじゃない。
 子どもだろうが若者だろうが中年だろうが、
 だれかになにかを頼まれたり、あてにされてないと、
 生きる意欲がずいぶんと低下するでしょうね。

 だれでも、なにかを頼まれるだけの
 「やる気」も「やる力」もあるのだと思うのです。
 ただ、頼まれたりあてにされる「機会」がないと、
 気持ちも、力も、出しようがないんですよね。
 組織にいて、そこにたくさん仕事があったりすると、
 「機会」がたくさん生まれますから、
 みんなが頼りにされているという状況ができます。
 そういう場面を離れると、「機会」というものは、
 じぶんで見つけないとなかなかありません。
 仕事のことばかりじゃないんです。
 恋愛だとか、遊びとかでも「機会」がすべてでしょう。
 どういうふうに「機会」をつくれるか、
 これこそが、いま最も求められている「希望」です。
 ぼくは、そんな気がしています。
 ドラッカーは「経営は市場の創造である」と言ったけど、
 いまぼくは「経営は機会の創造である」と言ってみたい。
 いや、もっと広く「幸福は機会の創造である」と、
 思い切って言ってもいいような気もしています。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「やれる」人に「やること」がないのが、最大の不幸です。

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