シマノ鈴鹿

お祭りでした、というノートを書きます。

自転車乗りにとって大きなイベントは1年にいくつかありますが、夏と言えばシマノ鈴鹿だと思います。
有名な鈴鹿サーキットを貸し切ってやるレースはなんと言っても魅力的です。レースだけではなく、メーカーやショップのブースも賑わっています。

ただ、自分はあまり参加するつもりはありませんでした。
理由としては、

コスパが悪い

という一点。
レースの参加費の他に、入場料として3000円を徴収するあたりが非常に気になりまして。
広いサーキットを貸し切って走るという魅力はありますが、どうしても同距離の他ホビーレースと比べてしまいます。
落車が非常に多いと聞いていたのも気になっていました。

この手の大規模なレースって、初心者から上級者までごちゃまぜに走行するため、地元のローカルレースより危ないそうです。マトリックス主催の大会のように、先頭を引っ張ってくれるサポートライダーがいるとまた違うのですが。

主に以上の2点から昨年はイベント自体に不参加でしたが、今年は練習仲間がチームを組んで最上位クラスの「5ステージ」に出場するため、応援とブース目的で自走観戦ライドでもするかと予定を立てていました。

しかし

直前になって、練習仲間のN山くんから「マジですいません、5ステ組の車が足りないので手伝ってもらえませんか?」という連絡が(笑)
仕方ないな~というわけで、急遽行けなくなった知り合いからレースの権利を譲ってもらい、ホテルも取り、本格的に参戦することになったのでした。

当日

仕事が終わってから急いで準備して車載、睡眠。
3時間しか寝られず、2時にN山くんをピックアップ。
50km程度、深夜は下道で充分ですね。

サーキット近くに集合して、レンタルしていたハイエースへ荷物の積み直し。会場のすぐ近くへと止めることのできる駐車券は一枚のみなので、自転車以外の荷物をまとめて載せます。

自分たちは、鈴鹿サーキットの一般駐車場へ。自転車で会場へと向かいます。歩いたらなかなか時間がかかりますが、自転車なら楽ちんです。
そして、サーキット近くの駐車場から、会場へと荷物の運搬。

今回、練習仲間の5ステージチームである「pp」は有料のチームオフィスを「TRAILBLAZER」の皆さんとシェアさせていただきました。お陰で、体調を崩すことなく2日間過ごすことが出来ました。ありがとうございました。
僕は5ステージ参加組ではないので、本来であれば部屋を使う権利はありませんが、サポート枠としてこの部屋で休憩する許可をもらっています。

慌ただしく、準備、試走をこなしてスタートラインへ。
全てがバタバタで、ギリギリでした。
来年はもう少し手際よく準備を行いたいですね。

コースコンディションは前日からの雨の影響もあってフルウェット、危険なコンディションです。

5周の部

土曜日のレースは、中級クラスの5周の部へとエントリー。
同じ時間帯に、5ステージの第1ステージ、5周の部が2組の合計3グループが時差スタートで混走します。

レースは5周回、ローリングの類は一切なく、号砲と同時に飛び出すマスドスタート形式。
先頭に並ぶことが何よりも大事だけれども、準備のバタバタでだいぶ後方に並びます。

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1周目

スタート。
ゆっくりと発進する人が多く、少し頑張れば大外から先頭付近まで上がっていくことはそこまで難しくはありませんでした。ラッキー。

シケインで、集団が横一杯に広がります。スタート直後の集団密度の高い状況が一番危ないので、注意して集団前方で走ります。ローテの出番が回ってくるので、少しだけ牽いて後ろに下がります。
何人か、ばらばらと勢いよく飛び出していく選手はいるも、単独だったり、そこまで脚力があるように見受けられない選手ばかりなのでスルー。
彼らよりも、先頭を牽くチームZEROの選手が明確に強そうです。牽引も強いわ、ローテから下がってきたらまたすぐ次のローテが回ってきそうな番手に入るわで常に前々で展開。僕にもあの脚力が欲しい。

ZEROの選手を視界に置いたまま、かつ風よけのある位置でレースがしたいけれども、道いっぱいに選手が広がり、路面のウェットという状況で、自分のスペースを確保するのが極めて難しい。少しでもスペースがあれば前に上がろうとする選手がいて(その選手を責めるつもりは一切なく、僕もスペースがあればそうします。)、全方向に非常に神経を使います。

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撮影はカズ@Werewolf_GTRさん

鈴鹿サーキットは、下りからの登り返し区間が何か所かあり、そのたびに集団前方がスローダウンして詰まります。高速道路の自然渋滞が起こるのと同じような仕組み。
落車だけは避けたいため、風の抵抗と中切れのリスクを感じつつも、前の選手と間隔をとり、集団の右端を確保することに集中します。
頻繁に追い抜かれたり割り込まれますが、ホイール1個以下の距離をキープする技術と気合いは僕にはありませんでした。

2周目

130Rを超えた付近で前方で落車している選手が。スタッフが旗を持ってホイッスルを鳴らしながら左右に振っています。ツールドフランスの中継で障害物の前で警備員がよくやってるやつですね。

落車した選手は全く立ち上がることが出来ず、とても痛そう。ヘルメットはピンク色で、ジャージは青。

ん?

F田さんじゃないっすかΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)

まさかの、練習仲間で構成されたチーム「pp」のF田さんでした。
チーム内では走力が2~3番手の選手。早速、有力選手が一人消えた格好に。
脳内が混乱しつつも自分のレースへ。

3周目

知り合いのT木くんがホームストレートでペースを上げていくので、ついていきます。最初は、「それ、新しいフレーム?」と声をかける余裕がありましたが、地元のレースで最上位カテを走るT木くんについていくのは流石に無理があったのか、シケインの頂上付近でしんどいしんどい。
沿道から、練習仲間のF谷くんに「このままT木についていこう」とげきを飛ばされるも、最近は少しずる賢くなったので、追う役目を後ろの選手に押し付けて後方に下がります。

レースは全ての組で落車が散発しておりで、集団内の緊張感は凄まじいものでした。怒号が各所で飛び交います。
一人、名古屋の有名な某チームの選手が「○○(チーム名)あぶねーぞ!」「前だけじゃなく横にも選手がいるんだぞ!よく見ろ!」と大声で怒鳴っていました。気持ちは分かりますが、レース中に大声を出す行為も危ないとは思います。

僕も「すいませーん!」と声をかけられながら体当たりされました。ウェットな路面でブレーキが思ったように効かなかったのか、謝りながら誰かがぶつかってきたのは初めてでした。レーサーパンツにタイヤが擦って熱かったですが、ギリギリ体勢を保って落車はクリア。
「すいません」と言われたので、「落車しなかったのでOKです」とは答えつつ、内心はヒヤヒヤもの。

4~5周目

周回が進むにつれ、千切れた選手がちらほらと前方から落ちてきます。僕たちの数分前にスタートした5ステージの選手達です。
よく見ると、千切れていた数人の中に青いジャージの選手が2名。

ppの選手じゃないっすか(((;゚Д゚)))

S賀くんとTくんでした。
シマノ鈴鹿5ステージは、各ステージでのチーム内上位3名のタイムを集計して順位を出すので、6人で構成されているチームのうち、3人が早くも離脱していることになります。

しかも、S賀くんはチーム内で2~3番手の走力。ppは、圧倒的エースのK本くんを中心に、F田さんとS賀くんをなんとか集団ゴールさせ続ければなんとか?…という戦力のため、現時点で後姿を見ていないY田くんとO林くんが集団に残れているか非常に怪しいところ。

少なくとも、S賀くんにこれ以上タイムを失わせるわけにはいかないと、5周の部の集団を離れて5ステの数人を牽く決意をしました。
なんとかして、2人を5周の部の集団に合流させることさえできればと。

みんなを待って、牽引を開始しますが、なかなか思うように5周の部との距離が詰まりません。集団内にいるときはそこまできついとは思いませんでしたが、少しでも集団を離れて追う立場になると本当にしんどい。

というか、これは僕の脚力では無理な動きだ。

S賀くんが前に来て、「集団は遥か先、僕らはもう終わりました」と言いました。
僕の行動は全くの無駄足、判断ミスだったということですね!
冷汗がジワリ。
これで、集団に復帰できなかったら僕のレースも完全に終わってしまいます。ホームストレートでなんとか追いつけないかなと最後のひと踏ん張り。S賀くんに背中を押してもらい、集団の最後尾まであと少しまで迫りましたが、とうとう合流することはできず。

そのまま千切れてゴールでした。
ゴール手前のスプリント争いでまた落車があったらしく、巻き込まれるよりは結果オーライだったかもしれません。
ウェットな路面という事もあったかもしれませんが、はじめてのシマノ鈴鹿で落車の多さを実感しました。自分が見た以外にもいくつも落車があり、何人もの知り合いが巻き込まれていました。

シマノ鈴鹿のように大きなイベントは日頃から頻繁にレースに出ないような選手もたくさん参加しています。そういう選手に限って、昨今のインドアトレーニングの流行に伴い脚力だけは人並みにあったりするので、集団走行技術が無いなりに、脚力だけで集団にはついて行けるわけです。

もっとも、自分もホビーレース経験こそ人並みに積んではいますが、まだ自分の走行技術に自信のようなものがあるわけではありません。レース中の落車も何度かしています。自分がシマノ鈴鹿でちゃんと安全に走行できていたかはわかりません。
今回の経験は、自分の走行スキルを見直すきっかけにもなりました。

残念な結果に終わりましたが、5周の部のラップは、自分の過去の鈴鹿の成績よりもはるかに速いペースでした。

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去年の鈴鹿8時間エンデューロでは、8分50秒~9分30秒くらいのペースで周回していましたが、今回のシマノ鈴鹿では8分30秒を切るペースの集団についていけており、若干の成長は感じました。

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W'balから分析する一番追い込まれている区間は、3周目に先頭でペースを上げるT木くんについていこうとした区間でした。
練習仲間を無謀にも牽引しようとした4周目では、追い込まれてはいるもオールアウトの水準までは落ちていません。
疲労か、はたまたメンタルか。
8分前後は自分の経験よりもだいぶ早いペースでしたが、集団のままで走行してさえいれば、5周はついて行けたのかな?
はっきりとは分かりませんが。

7周の部

5周の部で自分の判断ミスから集団完走がかなわなかったため、リベンジを誓う日曜日のエリート(7周の部)。

2日目も、準備でドタバタしてしまい、エリートでも先頭に並ぶことはかなわず、スタートは2~3列目から。
2daysのイベントも最後のレース。今大会、いろいろなことがあって脚は疲労感満点。コンディションは最悪です。アップも満足にできませんでした。

1周目~4周目

号砲と同時にホームストレートで脚を使いつつ前に上がり、先頭から2番目を確保します。シケインに向けてデンソーレーシングの選手の番手で走ります。すぐに交代を促す肘のサインが出されたような気がしましたが、自分の息が整っておらず、無視しました(すいません)。

デンソーの選手はシケインの頂上までそのまま牽いてくれました(あざっす)。沿道で、お仲間が「○○さん抑えて抑えて」と言っていましたが、それをさせてるのは僕なんだよなぁ…と申し訳ない気持ちもありつつ、とはいえ彼も嫌なら先頭を強引に離れることはできるわけで、まあいいかという思いもありつつ。

頂上を登り切ったあたりで、スタート直後からしばらく先頭で頑張ってくれていたデンソーの選手も流石に交代の合図。
僕も短時間だけ維持できるペースで牽いて、交代合図を出したタイミングで少し強めに踏みながら先頭からスペースのある左手方向へと離れます。

5周の部と同様に、出来るだけ集団の端を陣取るようにします。集団内では、突然ダンシングを始めたり、蛇行する選手がいたりで危なっかしくて生きた心地がしません。多少の空気抵抗は覚悟して、基本的に前の選手との間隔をあけ、いつ落車が起こっても逃げられるスペースを確保することを最優先に置いて走ることにします。

落車を回避するためには前にいることが非常に大事なので、出来れば先頭でローテに加わっていたいところですが、5周の部と同様にローテを回しているのは自分よりも格上の選手ばかりです。またスプリントポイントが各所にあり、それを狙ったアタックも散発するため、先頭のローテやアタックに加わるには疲労がたまっているし、脚力も足りないと判断しました。その代わり、集団内でも比較的前方を陣取って序盤は安全に走行することに努めました。

僕はシケインからの130Rまでの平坦、ダンロップカーブからの下り区間が遅く、またヘアピンカーブの立ち上がりでも遅れ気味になってしまうため、その度に何人かの選手に追い抜かれ集団内での番手をジリジリと下げてしまいますが、エリートの部はホームストレートのペースがそこまで速くなく、ホームストレートの登りだけで一気に集団中段から先頭付近まで上がることができました。自分の力だけでは辛かったと思いますが、ラッキーなことに同じことを考えていた選手が毎周回誰かしらいました。

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横の青いジャージの選手、積極的に動いていて脚力あるなと思っていたら、それも当然、マトリックスパワータグの安原監督でした。
体つきや、筋肉の付き方が全然違う…。
撮影はきよ@kyo05_rodeさん

5周目

シケインを登り終える直前から130Rまでの平坦区間で集団のペースが上がり、自分と前の選手の距離が空いてしまいました。これは追わないとまずいと思い踏みなおしますが厳しい。
左から知り合いのN村くんがスルスルと上がっていくため、つかせてもらおうと思いましたが先に行かれてしまいます。この瞬間が集団から千切れかける最も危険なタイミングでしたが、後ろの選手に追わせてなんとか復帰しました。

5周の部を経験して感じたことですが、鈴鹿のようなテクニカルなコースでは、右コーナー左コーナーが交互に連続するため、集団の左右どちらに陣取るべきかはレース終盤まで迷いました。集団の右にいた方が、前方に上がろうとする動きには乗りやすいですが、出入りが激しく危ない。
デグナーの内側が多少危ないですが、左側にいた方が全体的に落車リスクが少ないように感じたので、5周目までは基本的に左側で安全に走行し、途中じりじりと下げてしまうポジションはホームストレートの登りを頑張ることで対応しました。

6周目

残り周回が少なくなってきたので、集団の右へと徐々に移動し、本格的に前へと上がっていくようにしました。しかし、なかなか前が詰まって上がる事が出来ず、最終周に向けてペースも速くなっていくため、次第に自分もついていくだけで精一杯になります。
ダンロップコーナーを下り終えた左コーナーも、外に膨らんだ選手が接触しやすく落車頻発の危険ポイントです。ここを安全にインコースで終えるために中盤までは集団の左側で過ごしていたわけですが、さすがに前へあがるためには右側にいないと難しいと判断し、祈りながら集団外側を通過しました。

7周目

最終周回、ホームストレートのペースがこれまでとは変わって上がり、今までのように登り坂だけではなかなか前に上がる事が出来ません。
その後の区間は僕にとっては苦手な下り基調なこともあり、ダンロップコーナーを越えてからの最後の下りで先頭のスプリント争いを出来る位置まで上がることは無理だと判断し、あとは安全にゴールまで行こうと思いました。

下り区間を終え、最終スプリント争いが始まった直後に先頭付近でまた落車が発生。僕は集団スプリント争いを見送っていたので余裕をもって回避できました。

そのまま、無難に集団ゴール。
リザルトは大したことありませんでしたが、落車することなく無事に終了しました。

2日間を通して目の前で深刻な落車を何度も見ており、知り合いが何人も巻き込まれていたため、精神的にかなりナーバスになっていました。レースを終えた直後の解放感はすさまじかったです。

大会期間中、レースを走るうえでの目標が、表象台や上位入賞を狙う事よりも安全なポジションを保って落車せずにゴールする消極的なものに代わっていた気がします。

最も安全なポジションは集団の先頭で積極的にローテを回し、スプリントポイントも狙って常に最前で走行することです。攻撃こそ最大の防御なのでしょうが、それをするには出場したクラスでは実力、メンタル共に足りませんでした。

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エリートの周回ペースは、中盤は8分30秒前後で推移しており、5周の部よりも遅いペースでした。距離を除けば集団についていくことだけはそこまで難しくなかったかもしれません。

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W'balから分析しても、2周目でホームストレートで前に上がろうと踏ん張った以外は比較的ずっと楽をしていた雰囲気のグラフになっています。
(2周目のホームストレートは序盤にしては無理をしすぎかもしれません。)

中盤は、もう少し前でなんかしら動いてみたかったところ。ただ、2日間を通して最後のイベントだったこともあり、心身ともに疲労が限界でした。
来年までの課題ですね。

(あの危ないレースに再び出るかどうかは分かりませんが)

鈴鹿に参加された皆様お疲れ様でした。

本当は、これ以外にもブログに書きたいネタが山ほどありましたが、全て割愛します。

次戦は信州なかがわ陣馬形山ヒルクライムです。

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