見出し画像

生配信への覚悟

Live2Dなるものを、無我夢中に、それはそれは楽しく作ってしまったら、生配信してみたい気持ちが、より強くなってしまった。でも、それには、多くの課題がある。それを整理して、記録して、時に見返して、なんとか生配信をしてみたい。

自分は生配信に何を期待するのか

要は、なぜ、やりたいのか。

一番は、技術面で実行できるのか試したい!

■ゲーム画面と音声だけの配信なら、既に技術的問題を、ほぼ解消できている!が・・・

他の方々は知らんが、自分はスムーズに事進むこと、は、まずない。Youtubeに動画を投稿するにも、生配信するにも、技術的な問題で躓いて、失敗ばかり。それでも、どうにかこうにか、それなりに投稿できるように、やっとなってきた(超、最近ですけども)
ただ、生配信は成功したことがない。ボイチェンが上手く機能しなかったり、ゲーム音声だけ抜けたり、音量の問題、ノイズの問題。色々、試したけれど、中々、うまくいかなかった。
しかし、これまでの試行錯誤の結果、やっと、まともな配信ができそうな状態に持って来れた。方法に関しては、いつか、記事にできたらとも思うけど、それぞれの環境によって異なるから、この方法がベストとも言えず、書くのが難しそう。


■Live2Dを取り入れるためには?

自分が用いているのは、Adobe character animator。これをOBS(配信アプリ)に取り込むには、2つの要素を追加する必要があるらしい。一つはソフトウェア、もう一つはアドオン。簡単なはずなのに、上手くいかない。それが、自分なので不安。そもそも説明を上手く理解できないのだ。
ちなみに、WEBカメラ持ってないし、USBの差込口いっぱいいっぱいだしで、音声のみで動かす方法を用いている。いつも、大勢とは違う道を辿らなくてはならなくて、調べるのも試すのも課題が多い。

ただ、Live2Dやってみたいけど、WEBカメラには抵抗がある、そんな人もいると思う。役に立つかは疑問だけど、上手くいったら、いつか記事にしたい。

■字幕付けたい!
これは、配信をやりたい大元にも関わってくる欲望。海外の人に接触する機会が欲しいがため。同時に、技術的に、できるのか否か試したい。
「音声認識字幕ちゃん」と、どこまで折り合えるのかが、課題。

海外の人と知り合ってみたい!

■自分へのアドバイスの中に、「日本じゃなければ、受け入れられたのかもしれないね」というのがある。実際、どういう意味なのか、わかりきれていないのだけど、試せるものなら、試したい。そのための窓として、配信をしてみよう、というのもある。ただ、これは、あわよくば。誰も来ない配信になる可能性の方が圧倒的に高い。

■英語を勉強しよう!
配信では、なるべ英語表記のままゲームをしてみようと考えてる。Google翻訳に頼りながら、英語の字幕と日本語字幕を付けて、、、正直、テンパり続けている未来しか見えないけど。

※日本人と海外の人、自分には実際に知る、という機会が余りなかった。見聞きした情報だけしかない。それでは、余りに判断材料が足りない気はしていたけど、日本人に関しては、共感力が高いからこその圧力、よく聞く「同調圧力」を確かに感じている。しかも、本人たちは全く無自覚な圧力。圧力を感じることはできるけど、逆に自分が圧力をかけているかどうか、にまでは意識が回らない。もちろん、自分にも当てはまる。違いは、今のは圧力になってないかな、と言った側から振り返る癖があるかどうかくらい、たぶん。

ゲーム制作作業を公開できる場として

■YOUTUBEはゲーム動画中心、Twicthはフリー枠
そんな構想を抱いている。ゲームには興味があっても、ゲーム制作のための作業、イラストやLive2、Blender、アンリアルエンジンには全く興味ない人がいるはず。あと、英語学習にも。
海外の人と~云々の思いはあるけど、そっちは殆ど期待してない。全然、英語話せないし。日本人でさえ、来ること期待してない。いろいろ、来ない条件の方が多いの自覚してるから。
(なんなら本当に来てほしいのか、微妙なところもある。たくさんなんて、鼻から求めてない。一人でもいいから、心が通じる人(※安心できる人)がいたらなぁ。ただ自分でも、この世に一人いたとしても、出会うのは100%に限りなく近く無理だと思っている。)
ま、後から、有効期限切れのアーカイブを簡単に編集してYOUTUBEに上げる予定だから、いつもの動画投稿と変わらないスタンスになることが予想される。


本音とリスク


本音

「技術も試ししつつ、心通じる人に出会いたい」
※「心通じる人」だと、思っていた意味と違うと教えてモラタ!(;'∀')
ただ、安心して一緒にいられる人、というニュアンスのつもりが、凄く深い繋がりみたいに受け取られてしまう、、、らしい。要は、お腹壊さずにいられる人・・・がいたらってだけなんだけど。

自分のような外れ者が、人と知り合う機会、交流する機会は中々ない。もちろん自分だけじゃない。自分みたいな者たちは、実は他にも、そこそこいて、それぞれの事情で、自分を守ることと、外部との交流とのバランスを探り探り、生きてる。疲れて、諦めて、もしくは休憩中で、ほぼほぼ、外部と接触を断っている人もいるだろう。

自分たちのような存在の生きる世界を、多くの人は想像もできないと思う。それは仕方ないし、お互い様で、自分らも世界や社会を動かしてる主要な人たちが見てる世界が、とても見えにくい。何とかついていこうとしてるのだけど、追いつけずに、躓いて、すっ転んで、怪我して泣いて、時に倒れて、また、起き上がって。この躓いて自体は誰にでもあるのだけど。
ズッコケる原因が、大抵の人が理解しがたいことが多いようで。なぜ、自分が簡単に、生配信が始められないのか、と関わってくる。生配信だけじゃなく、自分の世界を広げようとするコト全てに、とても慎重にならざる得ないのか。
これは言葉での説明が、ほぼほぼ通じないことが多い。本当は通じ合える人同士は、お互い慎重だから出会うのも難しい。巧みに、気づかれないようにしている場合も多いから、出会っていても、わからない。もしかしてって思っても、踏み込めない。感覚の問題、なのだと思う。何か感度が、多くの人と異なっている。

※脱線※
ふと浮かんだ疑問。
HSP?AHSD?ASD?うつ、コミュ症、正確な名称は、ともかく、理解してもらうために使う人をネット世界では、ちらほらに見る。理解や配慮を求めたい、それは、当然だとは思う。でも、世の中、障害とか症状とかの認定をもらってない人たちも、多くのストレス抱えて疲れてる人ばかり。正直、同情や理解を得るのは難しいのが現状だったりしないだろうか。むしろ、それの文字列を見るだけで、ただ、めんどくせぇ、、、ってなる場合もあるだろう。相手に負担を強いてしまうワードのような気がした。
じゃ、書くなと?その人たち、どうこうというより、ちゃんと効果あるのか、が疑問だ。いや、そういう効果を見込んでのことじゃないかもしれない。こういう障害、症状の人が、どんな人なのか、知ってもらう機会としての表記なのかもしれない。
自分もYOUTUBEの紹介に学習障害を書いてる。自分の動画見たら、言わなくてもわかるは!という声が聞こえなくもないものの、なぜ、自分は書いたのか。無意識に勢いで列挙してしまっていたけど、今思えば、学習障害についての配慮は、どんなものか自分でもわかっていなかった。学習障害だから、覚えられてなくても、笑って許して!かもしれない。いや、というより、なんで、そんな簡単なこともできないの?という言葉を防ぐためだったんだ。今さら気づいた。さんざん言われてきて、嫌な思いをしてきたから。
しかし、効果があるか。そもそも、誰も何も言ってこないからわからない。数値を見なくなった今、動画自体が見られているのかもわからない。結論、不明。


そんなこんなで、人と交流するのが、とても高難易度な自分だとは言え、自分の世界だけに留まっていたくない、それが本音。思考が隔たり、柔軟な視野を失って、物事と捉え方の幅が狭まる。
それを防ぐのには、いろんなものに触れるのも、もちろん効果的だと思う。映画や音楽や、Web上の様々な情報も役に立つはず。なるべく、食わず嫌いなく、目に通せそうな時に触れるようにしてる。
でも、それじゃ足りない。何というか、それらは目を通すとき、「自分」というもののレンズが余りに強い気がする。自分じゃない要素を、知りたくて見ているのに、入ってくる要素は少ないのではないかと感じる。なるべく製作者や役者の身になって見ることを意識することで、多少は改善するように思うけど、一番は、やっぱり「生」の声が威力抜群だと思う。
制作物は、どうしても過去に作られたもの。生配信で得られるものは、その場の言葉、その先に生の存在を感じれるはずで、こっちで頑張って意識しなくても、自然に、むしろ逆に否応なく感じるはず、、、じゃないかなー。
Discordがそうだったように。なら、Discordでいいじゃん、と思うかもしれない。でも、Discordの負担が大きかったら、生配信に微かな希望を見出したんだと思う。
ただ、生配信には、生配信の負担、リスクがある。


リスク

「メンタルと体が保つか、と、悪意ある方々」

何をするにも、必ずリスクは伴うわけだけど。もっと気軽に、リスクを恐れずに挑めたら、でも、本当に、それでいいのかとも思う。どっちにしても、自分の「頭」は、何事も気楽に取り組みさせてはくれない。

自動的に、何事にもプレッシャーをかけてくるのが、自分の頭の機能の一つ。病的、病的、と言われるほどに、病的、、、らしい。一つの物事に関して、数パターンの思考が頭に浮かんでくる。自分にとって、いいと感じることも、嫌だと感じることも。これらに振り回されずに、「今」の自分の感覚に目を向け続けるのが、楽じゃない。弱っている時、疲れている時、目を奪われやすくなる、だから、余計に疲れる。
疲れて、また、目を奪われやすい状態になる。期待にすがり切らないように、不安に囚われないように、バランスを失わないように、ずーっと、どうにかこうにか、どうにかこうにか、、、疲れる!
というのが、いつも、自分の頭の中で起こっている闘い。

これだけなら、少し何とかなるようになってきた。
でも、もう一つの問題、「腹下し」が対処法が見つかっていない。
正直、YOUTUBEの動画投稿は負担になっている。動画を作ること自体は、とんでもなく楽しくて、ゲームプレイ含めて無我夢中でできる。でも、投稿すれば、当然、自分の頭は勝手に反応を幾パターンも予想してしまう。さらに、YOUTUBEは数値を見せつけようと、あらゆる場所に配置し来る(それを少なくするBOTはある)
数値は、見てくれてる人がいる!嬉しい!だけじゃなく、今までのクオリティを保たなければ、もっと面白くできないだろうか、など、見てくれている人を喜ばせたいという思いを強くする。
逆に、見てもらえてない、、、やっぱり、こんな自分じゃなぁ、、、と凹む場面だってある。

これを繰り返し、ずっと腹を壊し続けている。今に始まったことじゃないが、栄養失調を引き起こし痩せてしまう。そして、また、立っているのも大変な状態になっていく。
アルバイトでも、イラストの依頼でも、大学の課題でも、オンラインゲームでも、そして、Youtubeでも、自分の期待以上に結果が出ているにも関わらず、毎回、これを起こしている。

Youtubeは、別の記事に書いた「数値を見ない」という方法で改善が見え始めた。しかし、生配信は?
ずっと、見せつけられる「ゼロ」に耐えられるのか。おっかないイジメっ子が来るかもしれない。有名な嵐というのが来るかもしれない。善良な振りした詐欺師、善良なつもりの無神経な人、悪意のない圧力かけちゃう系の人、メンタル病み中の構ってちゃん、取り込みたい宗教家、ウィルスにAI、声や画像の盗人、電力、電気代、考えだしたら不安は尽きない。

内心、いっそ誰も来なければ一人の世界で気楽できる、なんて思いもあるけど、だったら生でない方がいい、という話。
やってみなきゃわからない、だから、やってみる方向で進めている。ダメなら、いつだって止めていい。仕事じゃないんだし、稼ぎでもない。配信自体の失敗は問題じゃない。情けない自分は見慣れてる。一番の懸念は、また、家族に負担がかかる事態になるんじゃないかってことだ。家族は背中を押してくれている。でも、まだ、悩み続けている。応援はしてくれてるけど、もしかしたら、またドクターストップがかかるかもしれない。YOUTUBEは、頼み込んで、もう少し様子を見させてほしいと、何とか止めなくてすんでる。
「やりたい!」なコトを見つけては、上手くいってるのに、体調で潰れてきた。薬、漢方、温熱療法、認知療法、もろもろで、修復しては、ここまで持ちこたえてきた。
健康のため、という理由で新しく格闘技も控えているし、そっちはそっちで、人付き合いに大きな不安がある、、、果たして、生配信はどうなるだろう。