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SNSという恐怖と試練の場

X(旧Twitter)、YOUTUBE、どちらも自分にとっては試練の場。
自分の中の自分を貶める言葉と闘い続けながら、やりたいことを続けるための修練の場。おおげさに思う人が大半だと思う。ずっと、この自分の中から勝手に出てくる言葉との闘いに苦しんできた。受け取り方、考え方次第、それで、何とか対応できるコトも確かにある。それを併用して、言葉の威力を薄めて、何とか耐えてきた。

YOUTUBEから見せつけられる少ない数値の受け取り方

自分の頭が真っ先に告げるバージョン
「あなたのチャンネルを応援したい人は殆どいません」
「あなたの動画の価値は、とても低いです」
「数が、あなた自身の価値を示しています」

冷静な受け取り方
「宣伝も、ろくにしていないのに、コンテンツもまだ少ないのに、これだけの人がチャンネル登録までしてくれた」
「聞き取りにくく、技術不足な面がまだまだある動画にも関わらず、継続して見続けてくれている人が確かにいる」
「コンテンツが溢れていて、楽しいものが他に沢山あるにも関わらず、自分の動画に時間を割いてくれている人がいる」
冷静に考えると、スゲェ、、、幸運過ぎるってなる。

Xへの苦手意識

まず、自分は旧Twitterの時から、このアプリがとても苦手。見るのも、書くのも、好きではない。今は、思いを呟くというこのと必要性を感じていて、前ほど嫌ではなくなったけど、思いをつづるならnoteの方が使い勝手がいいので、結局、Xは誰にも需要がなさそうな、ショート動画を流すだけの場となっている。でも、ショート動画なら、YOUTUBEで出した方が断然、見てもらえる。自分の動画ですら二桁は必ず行くくらいだから、凄い。でもショート動画は4桁いかないとバカにされるものらしい。4桁は1回だけあるが、それをXで出したら、二桁もいかなかった。フォロワーを増やせないなら、YOUTUBEへの引率力。それがXの現実だと知った。正直、Xは止めたい。

チャンネルを知ってもらうための機会として使おうと思っていた。その時は、チャンネル登録者を15人に増やす目標があって、いろいろな情報を参考に、内心、やりたくないと思いながら試していた。いわゆるマーケティング。自分が、めちゃくちゃ苦手なもの。イラストの依頼を受けようとした時も、いろいろ調べて、試したことがある、その時も心の底から止めたかった。思えば、noteもマーケティングの一環として始めていた。依頼する側の人のことを一番に考えて、イイヒトに感じてもらえるように、、、。
結果、依頼はもらえ始めた。確かに、効果はある。

Xも、そう。毎日、投稿を心掛けて、自分に興味を持ってくれそうな人に、自分からイイネして、できればリプライして、フォローして。反応がなければ、しばらくしたらフォローを解除する。内心は、違和感しかなかった。
今まで、上手くいかなかった人付き合いと同じようなことしてる。付き合ってくれそうな人を選んで、媚びて、見繕って。
ほんの2日で、止めてしまった。

でも、止めて次の日、何の気なしにイイネしてくれた人のアカウントを見に行ったら、レトロゲーム好きのYOUTUBERのおいちゃん(仲良くもないのに失礼、あらゆる面で大先輩だし)で、たまたま、その日が誕生日だったみたいで、つい、お祝いメッセージしたくなってリプライしたら返事くれて、初めてのフォロワーになってくれた。
こういうのは、いいなって思う。素敵なおいちゃんと相互フォローできて嬉しい。いつ解除されるか、わからないけど。
そのあと、ショート動画を出し続けているだけなのに何人か、Youtuberじゃない人がフォローしてくれた。動画に需要があるからなのか、わからないけど、内心、ほっともしている。誰かは存在に気づいてくて、フォローしてやってもいいかって思ってくれる。

それでも、Xも見るのは苦痛。ここでも、数値が自分のネガティブ野郎を活性化させる。内容は、YOUTUBEの時とほぼ同じ。


全ては「自分」の問題

これは、世の中に、自分を受け入れてくれる人や興味を持ってくれる人がいないことが問題なのじゃない。
根本は自分の中の「自分を貶める思考」
それと、それに勝てない自分、制御できない自分。

自分の価値を、外側に委ねてしまう自分。
一人でも、自分を嫌う対応をされると、全ての人に嫌われている、と感じ始める自分。
数値が低いと、Youtubeにいてはいけない、やっていてはいけないのではないか、自分のような存在が、表に出てはいけないのではないか、自分の存在が人を不快にさせているのではないか、と頭を巡る自分。
社会に貢献できず、煙たがれ、時に人を不快にして怒らせ、サイレントに仲間外れにされるような自分が、この世に慎ましくいるなら、まだしも、人の目に触れるようなところに出ていていいのか。

ここで大事なのは。自分のもう一つの口癖。
「知るか!」
かもしれない。
冷静になれ。相手がどんな人間だろうと、気に障ったというだけで、見下げたり、けなしたり、貶めようとする状態にある人にへつらう理由なんてない。気分害したって知るか。

それと、もう一つ、お互い様。
自分だって同じ。意図的であれ、ないであれ、無視してる存在はたくさんいるし、心の中で嫌ってる人はたくさんいる。

最終的に、一番の口癖「めんどくせぇ」「どうでもいい」
最強かもしれない。自分が現実的に、どう思われ、どういう存在かなんて、どうでもいい。知るか。考えても、どうにもならないし、めんどくせぇ。

今、自分は金銭的に余裕があるわけじゃないとは言え、好きなことを好きなだけできる暮らしを送っている(好きなことがゲームとか家でできること、そうお金のかからないことばかりだから、というのはあるけど)

今日の成果

noteに書いていて、頭が整理されて、また初心に帰れた。
やっぱり、YOUTUBEもXも、ある意味、外側の存在に振り回されないための訓練の場。見てくれてる人に楽しんでもらえるなら、それに越したことはないけど、他の人たちと違う利用目的が含まれてるから、同じ動画制作者や配信者とも、何とも話が合わなくて当然。いいんだ、これで。「孤高」になるためにSNSが必要なんだ。