あの日の事と美しい海の話

実は3月11日の事は色んな媒体で何度も語っている。
mixi(完全に個人情報なのでURLは貼れない)
はてな匿名ダイアリー(消しちゃった)
匿名掲示板(どこに書いたかは忘れた)
Twitter…

なので現地の人間でもないのに何で何度もわざわざ書くのか、の説明と、
消してしまった内容の補足と
福島にDDR行脚に行った時の思い出話を改めて記載したいと思う。
Twitterとnoteの引退そのものの
時期も迫ってきたのでここに書き残していきたい。

そもそも愛知県民の私はあの日愛知県内で何をしていたのか…

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丁度アルバイトの最後の出勤日だった。
アルバイトしている業界の話は伏せてしまうが、私の過去のnoteとTwitterを熱心に探ればおおよそ検討はつくと思う。

その日は朝から建屋に篭りっぱなしの一日だった。
自分の夢は完全に折れてしまい、最後の最後でもミスだらけで怒られ、失意の気持ちで仕事をしていた。
自分の(願っていた)人生は閉ざされ、もう死んでしまいたいくらいの気持ちだった。

普通に考えれば夢破れたくらいで…となるが、当時の自分にとってはこの業界で働く自分が自分が好きな自分でいられる唯一の心の拠り所であったし、アルバイト先の人らを家族が与えてくれないものを与えてくれる依存対象というような気持ちで縋りついてしまっていた。
そんな自分が全て否定されるのは当時の自分自身には耐えられなかった。

3月11日のその時…
建屋の中で大きな振動を感じた。
演者の上にある照明も大きく揺れる
演者もすぐに離れた方がよかったのだが、照明が頑丈でまず落ちる事はない事がわかりきっていたのか、その場にいた。
「演者さん危ないのでこちらに来てください!」
誰かがそれとなく叫ぶ。
しばらくすると揺れは落ち着いた。

私は外で何が起きているのかも知らないまま…揺れの中で「このまま全て潰れてしまえばいいのにと」
と、思ってしまった。

その後も外で何が起きているか知らないまま仕事が終わる。
中待合のような場所へ出るとそこに設置されているモニターには津波の様子が流れていた。
「うわあすげえな…」誰かのつぶやきが聞こえた。

私は何が起こっているのか正確に把握ができなかったが他のスタッフが慌てているのと、上司に帰れと言われたのでそのまま帰宅した。
地震の事を知ったのは翌日だった。

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私にとっての2011年3月11日というのは自分の無能さに失望し夢を諦める事に辛くなる日でありテレビ画面から流れる津波の光景が強く脳裏に残った日だった。

あの時「このまま全て潰れてしまえばいいのにと」思ってしまった事は未だに後悔している…

…というような事を2017?2018?年頃はてな匿名ダイアリーでは記事にしたためた。
すると「いつまでもくよくよしてんなよ」というコメントがついたのでハッと思い、記事ごと消した。
確かに被災者でもない人間がくよくよしていたところで自己陶酔にすぎない。

だがずっとこの時の事は記憶と心に残っている。

ーーそれから時が経ち、2018年5月、私は東北新幹線で福島県へ向かっていた。

何故か?DDR行脚の為でもあり…

DDR行脚の話もいずれ別の記事で書きたいが…
福島への行脚は2018年の3月末に思い立ち、5月に決行した。
新白河駅でレンタカーを借り、東へ走らせる。
道中に鹿嶋神社という歴史ある神社があったので立ち寄った。

元々神社と寺院が隣り合ってあったようでその痕跡らしき地蔵を撮るのに夢中になった。また巨大な石というか岩石祀られていたのでそこもお参りする。

さらに東に進み、国魂神社へ。
人はいなかったが、鶏は大量にいた(後で聞いたら近くに社務所があったらしいが、その時は気づかなかった)

これらはDDRには関係ないが…必要だと思ったので立ち寄った。

さらに東に進む、波立海岸展望台付近から北へ進む
どの辺りまで北に行ったか具体的には覚えていないが、当時は楢葉町までは行けな(立ち入り禁止区域)かったので、その近辺の海岸線、車が路駐できる場所に停め、
海へと歩いていった。

とても綺麗な砂浜と迫力のある海だった。
周囲は岩に打ちつける波の大きな音しか流れていない世界だった。
平日というのもあるが、周囲は散歩に来ている夫婦以外人はほとんど見かけなかった。

いわきの海岸より北の方角へスマホを向けて撮影した。望遠じゃないのでこの寄り具合が精一杯だった。

折りたたみ椅子を出して景色を眺めながら無心でスケッチをした。
しかしこの後ゲームセンターに立ち寄る事と帰りの新幹線の事を考えて30分程度しかいられなかった。
荷物を片付け車に戻る道中、
地元の海岸に比べゴミ一つない綺麗な砂浜に感動した。

…いや、嘘だ。
一つだけゴミが落ちていた…

…そのゴミは…どう見ても空の注射器だった。

私はそのゴミを見て全てを察し、とても悲しくなってしまった。
とても綺麗な海岸なのに…

その場を後にし近くのゲームセンターーレイホウスポーツセンターに寄る。


外観は新しめだが
バッティングセンター付きの昔ながらのゲーセンだ。


黒筐体にしてはやたらと綺麗だが…



中にはダンエボ、ダンスラ、
そして初代黒筐体(のわりに綺麗なので本当に初代筐体か疑っている)のDDRがあった。
ここでプレーして福島行脚を達成。

新白河へ戻り、今度は新白河駅近くのゲームセンターゲームスペースに寄る。


ここには現行のDDRは無いが、MAX2があるので懐かしい雰囲気の楽曲を堪能した。

こうして満足した気分のまま帰りの新幹線に乗った。
DDR行脚の為でもあり、いわきの海を見る為の充実した日帰り旅行だった。

福島にはDDRA20が出た2019年にも訪れている。
その時はスーパーノヴァ会津と福島ラウンドワン (あとついでに駅構内にあるサードプラネット福島)に寄った。


ラウンドワンはどこも外観が同じ感じなのでアルバムから探すのに少し時間がかかった(コラっ!)

この時は全国(といっても私が行けたのは一部だが)に設置された金筐体DDRで遊ぶのを目的とした中での行脚だった。…なお、この金筐体行脚はDDRA20の先行稼働もあるが…ある事柄を受信した事によって決定した行脚である。だから福島はどうしても寄りたかった。

この行脚の後、来年も寄る事を考えたりはしたのだが…まあコロナが来てしまって行けず仕舞いだ。
今後行く機会があるのかはわからない。
もう私もその時のような自由な立場にはなれない。

福島と関係がない私にとっての2011年3月11日もとても辛い日であったし、今でもその辛かった日を思い出す事がある。
忘れましょうと他人に言われたところで忘れられるものではないだろう。

ただ、今の私は3月11日が来る度にあの日の事とは別にいわきの美しい海を思い出す。
いつかまたあの美しい海を見に行きたい…



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