niwakaningen

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最近の記事

MEDUSAのDDR行脚(大阪編長野編奈良編)

前回に引き続き、e-amuアプリ内でMEDUSA名義で投稿した行脚記録をこちらに再掲載する。 実はMEDUSA名義ではNNDRというDDR好きな有志が自主的に行ったオンラインイベントがあったのでそれに参加させていただいた記録も残っている。 あのイベントは私のようなTwitterとeamuを分けて運用していた人間にも優しい…非公式だからこそ痒い部分にも手が届くような運用がなされたいいイベントだった。 …話が逸れたので前回紹介した行脚の続編の話に戻る。 まずは大阪編。 ーーー

    • MEDUSAのDDR行脚(イントロデュース・東京編)

      iPhoneに入っている画像を整理していたら 過去のDDR行脚時に撮影していた写真とDDRのリザルトが出てきた。 一時期e-amuアプリの方とinstagramで上げていた方のも残ったままだった。 instagramは電話番号認証を放置していた為消失。 e-amuアプリも来週にはコナミIDを退会処理しようと思っている。 iPhoneの中に入っていた画像ももう消そうと思っていたが…せっかくなのでこのnoteの記事にだけ残そうと思う。 私がDDRを始めたのは2013年の夏の事だ

      • あの日の事と美しい海の話

        実は3月11日の事は色んな媒体で何度も語っている。 mixi(完全に個人情報なのでURLは貼れない) はてな匿名ダイアリー(消しちゃった) 匿名掲示板(どこに書いたかは忘れた) Twitter… なので現地の人間でもないのに何で何度もわざわざ書くのか、の説明と、 消してしまった内容の補足と 福島にDDR行脚に行った時の思い出話を改めて記載したいと思う。 Twitterとnoteの引退そのものの 時期も迫ってきたのでここに書き残していきたい。 そもそも愛知県民の私はあの日愛

        • Twitterの話

          どうやら今月でTwitter始めてから10年経つらしい…じゅっ10年!? 過去の記事でも書かせていただいた通り、もうすぐもうそんなにTwitterでつぶやくこともできなくなってしまうのですが、 今までの活動の清算ならびにこんなアカウントをフォローして見ていただいていた皆様へのありがとうございましたも兼ねて 私が何故Twitterを始めたかを含めつらつらと新規記事を書かせていただきます。 …Twitterもいつ閉鎖するかわからんでね! そもそもTwitterを何故始めたか、

        MEDUSAのDDR行脚(大阪編長野編奈良編)

          お詫び

          前回の記事でnoteの記事を終わりにするつもりだったが、今回追記しないといけないというのが一つ目のお詫び 二つ目は過去記事を残しておくつもりで前回記事の最後にも書いたが、過去の働いていた場所に対する事細かく書かれた記事に関しては削除させていただくというお詫び 何故かというと、自らの身体を5Gと接続できる方限定で配信していた"こちょう"しのぶとの一件で「こちょうしのぶと戦っておいてここはそのままなのはどうなんですか?」というようなご意見を受信したからだ。(過去の記事を見ても

          バーチャルな世界・リアルな世界

          最近メタバー○とかいうのが話題になっている。 簡単に言えばVRのむっちゃ凄い版らしい(簡単に言い過ぎだ) 私からすると対して魅力を感じる話でもない…と思ってしまうのは リアルを生きる「私」としての生活とは違うインターネットの中の「わたし」として インターネット歴20年、うちTwitter歴は9年目という中で、今までこそがメタバー○的な生活をしていたからだろうか。 以前Twitter内でも呟いたが、 私は元々幼少期からゲームに依存気味の生活をしていたが、インターネットが使える

          バーチャルな世界・リアルな世界

          無題

          上級国民とは旧華族だったり旧武家だったりでお金持ちであるから更なる投資もできてお金持ちであり続けてる…というのが下級国民からする上級国民のイメージではあるし上級国民に産まれたら勝ち組だと、私もそう思っていたが ちょっとある事を思い出したついでに少し疑問に思うようになった。 よくドラマで一族のお世継ぎに男の子を〜っていうのはよくあるエピソードで そこに男の子が産まれなかったり直系ではない人らに男の子が産まれたりな展開になる。 そこのベースにあるのは自分ら一族の末長い繁栄であり

          痛みを噛み殺して

          今回は急に私の幼少期〜どういう人間でありどういう事があったのか、を、長々と書きたくなった。 元々の私だったらインターネット上に書くつもりのない事柄というか書いたところで今が変わるわけでもないのだが…何故か書き残しておいたほうがいいような気がしたので以下に残す。 よくある不幸自慢やこうやって乗り越えたんだよ的な話にしたくないので気にしながら書いたつもりだが、読了後そう受け取ってしまうようだったら申し訳ない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「お前が辞める

          痛みを噛み殺して

          例え話:山と登山者と麓の住人

          これは例え話だ ある大きく険しい山があったとして、 私達市井のものがその山の麓に住む住人だとするならば 彼ら(女性もいるが、彼らと呼ぶ)は登山者だ。 登山者が山を登るきっかけは色々あって、 山に憧れて、食べていく為、才能があって働いてたら気づいたら山を登っていた、麓に住む住人にちやほやされたい為、…中にはお母さんの笑顔の為に山を登っている子供もいるだろう。 そんな登山者達が山を登る姿を麓の住人は毎日見ている。見ているだけではなく、時には応援、時には罵声、時には嘲笑、時には崇

          例え話:山と登山者と麓の住人

          文化と呼ぶか知恵と呼ぶか教育と呼ぶか

          私はそれを教育と呼びたい 教育という言葉を聞くと学校で学ぶ知識等を思い浮かべがちだが、今日話したいのはそういう話ではなく、身体に染み付いおり無意識に出てしまう動作のような教育だ。 よくテレビ番組で○○県はめでたい時に○○を食べるという紹介がされる事があるが あれも○○県という団体に所属すると学ぶ教育のようなものだろう。 そういう話をする。 これは私のおぼろげな記憶の中で残っているものを再構築しただけの話であるので半分はフィクションだと思ってもらって構わない。 ある知人がい

          文化と呼ぶか知恵と呼ぶか教育と呼ぶか

          鶏小屋

          最近鶏小屋の世話をしていた頃を思い出す。 農業高校に通っていた頃の話だ。 別に農家を目指していたわけではなく両親の出身校がそこだったのと推薦入学が可能だったので楽な道を選んだだけだった。 普通科高校と違うのは農業系科目の授業と実際に作業服を着て農作業的な事を行う実習授業があるという点だ。畑の草取りや植物の植え替えの他牛小屋鶏小屋の世話をするような授業もあった。 インターネットの世界と深夜ラジオに没頭していて授業を寝て過ごすような何も考えていない人間だったが鶏小屋の世話をして

          小学校の思い出

          とある不登校の子を持つ母親のつぶやきを見た。 学校の環境が子に合わず、不登校になってしまっているという。 子と向き合いつつも周囲の親とも向き合わないといけないという「現実」に対し思うことをつぶやいていた。 私は小学校という存在を思い出す中で、あるイジメの存在を思い出した。 いや、イジメ・ハブリ・陰口、そんなものは小学1年の頃から存在していた。 何がきっかけかわからない。 発達障害寄りの子の見た目であったり 身体障害者の子の性格であったり 引っ越してきたばかりというだけであっ

          小学校の思い出

          無題

          今回の旅は第一に種子島に行く事を目的としていた。 本来ならば種子島行き便到着が9時30分頃で帰り便が12時発とレンタカーのやりとりも考慮すると僅か1時間程度しかいられない予定だった。 個人的には種子島南端に行きたかったのだが時間がギリギリなので南端をちょっとよって帰ろうと考えていた。 が、その後帰り便の出発予定が13時30分発に変更となり、もう1時間余裕ができた。 このような偶然は神の導きだろうか 増えた1時間で寄れる場所がないか検討しながら当日を迎えた。 鹿児島空港に

          無題

          夢落ち葉 根本に集めた折れ枯木 未来の風に もろとも朽ちるか どれだけ己の中の夢のような楽の時間を集めても その楽は全て刹那的であり いずれもすぐに終わってしまうものばかりだ それでもなんとかかき集めてここまで生きてこれたが 相変わらず私の中の私という審判には許してもらえない 楽をかき集めるのは誤魔化しでしかならず その時間が無くなりふとした瞬間 己の希望が叶えられなかった己に対しての徹底的な批判が行われるのだ その審判にいくら謝罪をしても、金銭や食物を捧げても、誰かのせい

          やっと行く事ができた

          とりあえず行く事は決めていた…が、献花するかどうかは前日まで悩みに悩んだ 献花台があるような場所ではない=普通の観光名所であるという事、 原爆ドームのような最初からそういう場所ではない為普通に観光に来てる人達の目・空気を壊してしまうと思っていたのだ。 しかしその他人の目・空気感に結局彼は抗えず亡くなってしまったのだからそんな気持ちではいけない、抗わねば…! そう思い直し、まず、三国駅付近の花屋を訪れた。 最初は白い菊1本だけにしようかと思ったが店員のおばさんにノセられもう色

          やっと行く事ができた

          人身事故

          転職してから4年近く、電車通勤をしていると 人身事故による遅延のアナウンスを聞く機会が多くなった 東京のようにシャッターが設置されている駅の方が少ない環境の為 どこかしらで人身事故のアナウンス… 名古屋栄生間の事故アナウンスは特によく聞いたりする。 先週は幸いにも事故には遭遇しなかったが線路の安全確認による遅延に三度遭遇した 一度目は先程話した名古屋栄生間、二度目は帰りの電車に乗ってる際、某ハブ駅手前の駅で急ブレーキ、三度目も帰りの電車だ。 三度目はある駅出発してある駅に行