小学校の思い出

とある不登校の子を持つ母親のつぶやきを見た。
学校の環境が子に合わず、不登校になってしまっているという。
子と向き合いつつも周囲の親とも向き合わないといけないという「現実」に対し思うことをつぶやいていた。

私は小学校という存在を思い出す中で、あるイジメの存在を思い出した。
いや、イジメ・ハブリ・陰口、そんなものは小学1年の頃から存在していた。
何がきっかけかわからない。
発達障害寄りの子の見た目であったり
身体障害者の子の性格であったり
引っ越してきたばかりというだけであったり
ちょっと背が高くてヤンチャなぐらいで理由が無いような子もターゲットだった時期があったように思う。

しかし私が小学生時代を振り返って1番記憶に残っていたイジメは、子供同士ではなく、子供から教師へ対するイジメだった。



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小学校6年になりクラスも担任の先生も変わった。

担任の先生は今からすればハンサムで優しそうな見た目の20後半〜30代ぐらいの男性だった記憶がある。
(以下は彼を担任と書くことにする。)

5年生の時仲良かった子達とはクラスが別になってしまった。
何をして過ごしていたかあまり思い出せないが、
親がいなくて施設に預けられている子を中心としたグループと交流する事が多かったような記憶がある。
彼女らと交換日記ならぬ交換漫画を描いて過ごしたりしていたハズだ。

施設の子達とは1年生の頃から交流があり、色んな子がいた。
中には兄弟で施設に預けられている子もいた。

上の年齢が何歳までかの記憶は無いが、上の年齢の子もいる為かマセていた方だったと思う。
私は色々と無頓着だった為、彼女らに「鼻毛が出てるよ」などとからかわれたりもしたなと記憶がある(今にして思えばあの年齢で身なりの指摘をしてもらえたのでありがたい話でもある)。
施設の子という認識はあるが特に差別意識もなく、むしろ彼女らの方がスクールカースト的には上だったので、私と彼女達とは特に揉めることなく生活を過ごしていた。

いつからだっただろうか、教室の異変を感じるようになったのは。

確か施設の子のある子が「担任がA子を贔屓している」というような事を言い出した頃であっただろうか。
A子は確かに見た目可愛いくて真面目な子だったが、贔屓されているような印象は無かったというかそこまで気にした事がなかった。
その頃から施設の子を中心としたグループによる担任への「イジメ」が始まったように思える。

私が見た範囲では悪口と授業妨害が中心だった。
よくある騒いだりお喋りで授業妨害する他、
セクシュアルな質問を投げかけて
担任の返答を困らせた光景も記憶に残っている。
(担任がもっと砕けた人間だったらコレに関してはなんとかできたかもしれないがいかんせん真面目な人だった)
このお喋りやバカ騒ぎによる授業妨害は生徒や先生は変われど中学・高校でも見られた光景だ。
授業が中断され、注意されても止めない生徒達の光景が毎日のように続くので先生達の心はじわじわと病んでしまうのだろう。

そういった授業妨害がエスカレートするにつれ、施設の子達の過ごし方も変化があった。
ある子はガムや綿パチ的なお菓子を学校に持ち込むようになった。
私が授業と授業の間の休憩時間にその子に呼び出されて行くと「食べない?」と誘われた記憶がある。
コレがスナック菓子だったら食べていたかもしれないがガムや綿パチ的なお菓子は正直苦手だったので結局断った(正しさよりもお前の好みの話かよと思うがそういう感想が頭に残っている)
小学校は現金もお菓子もゲームも持ち込み禁止だったはずだ。私は幼心ながら「大丈夫なのだろうか…」とは思った。


そして決定的な出来事が起こった。

1時間目が終わった後の休憩時間だったろうか?
例の子達の一人がある事をクラスの皆に言い出した。
「B子がどっか行っちゃった!みんなで探そう!」

B子は施設の子のグループと特に仲のいい子だ。私は私で彼女と交換日記ならぬ交換漫画をよくやった。
これは大事だと学校中を探し出す私を含めたクラスの子供達。
私も色んなクラスや部屋を見て探した。
色々探しながら歩き回り図書館にたどり着く。
図書館に入ると例の子達が本や学習漫画を読んでくつろいでいた。
どういう事なのか声をかけると、居なくなっていたはずのB子も姿を現した。
どうやらB子は図書館内に姿を隠していたようだ。
(記憶が朧げなので正確な詳細は覚えていないがカウンターのような机の下に隠れていたそうだ)

そこで私はようやくこれが彼女達が授業をサボる為に起こした茶番だと気づいた。

完全な学級崩壊・授業崩壊だ。

そこから先、私がどうしたか、授業がどうなったかは覚えていない。

あと覚えているとすれば卒業式の時の記憶と一年経ってやつれてしまった担任の姿ぐらいだ。

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例の施設の子達とは中学校に入ってからも会う事はあったが、あまり交流する事は無くなり、高校では完全に離れてしまった。

成人式後の同窓会でも姿を見た気がするが覚えていない。

これだけ覚えていない事だらけなのに
あの頃の事は覚えているのも変な話なので
これは私の脳内にある幻ではないのか
何かの夢で見た記憶なんじゃないかとも思ってしまう。

ただこのエピソードが頭から抜けて出てくれないのでここに書き記した。

書き残す中で「よくよく思い出せば小学生の頃からろくでもない世界だったな」という感想が改めて思い浮かんでしまった。

イジメは理由や程度どうであれ加害者の「気にくわない」の意識によって引き起こされると私は考えている。
私の小学校生活がイジメに遭う事もなく一応無事に終わったのは施設の子達の「気にくわない」のターゲットが担任だったおかげでもあるのかもしれない。
決して平和に生きて来れたわけではないが攻撃を受けなかった。ただそれだけだ。


…不登校になってる子が希望が持てる話をしたかったが残念ながらそういう話が全く出せなかった。

そんな私から言えるポジティブな事といえば
小学校中学校高校生活を上手くやる工夫よりも
社会人生活を上手くやる工夫をした方が
未来を見据えた場合、己の心を自由にさせやすいという点だろうか。

小学生中学生レベルの学習はそれこそ進○ゼミや学習ドリルで十分であり
私が学校生活で唯一恩恵を受けているのは図書館で本を読んだ事で身に付いた読解力だ。

社会人生活になってからは己の持つスキルで仕事をいかに円滑に進めるかが重要であり。
仕事が出来ればそれなりに居場所を持ちやすい。(そういう会社を探すのが大変ではあるが働き場所を分散させるのも手だろうか)
そして稼いだお金で食べたい物を食べたり見たい物を見たり推したい者を推したり行きたい場所へ行けばいい。
そこに心の自由がある。

だから学校に行かない代わりに色んな職業体験をしてどういう仕事をする社会人ならやってけそうか己の適正を見極めるのもいいのかもしれない。

ただし、小学校中学校で人間関係に躓かなくても
結局社会人生活において人間関係でぶつかる事になる。
どういう自分であろうと先程のエピソードに挙げた担任のように「気にくわない」によって攻撃されてしまう時は必ず来る。
その覚悟と立ち向かうなり逃げるなりの対応手段をはよく考えてもらいたい。

私が担任が攻撃されていても助けなかったように
攻撃されて助けを求めても救いの手というのはそうそう出てこない。
世の中にご意見申したところで己の身が救われるわけでもない。
そして世の中というのは「気にくわない」を隠して学級崩壊を起こした彼女達のように、じわじわと被害にあった担任のように、茶番に巻き込まれた私のように
小学校で起こるレベルの事をたいそうな言葉や数字で誤魔化しているにすぎない世界だ。
そういう覚悟を持った上で己の心の自由の為に生きてほしい。

美味しい食事や美しい風景・作品・楽しい娯楽は心の自由の為に存在している。

その心の自由がほんのわずかな時間しか得られなかったとしても、全く無いまま死ぬよりかは、得た上で出来るだけ長く生きてほしいと私は思う。

私はそうであるから、それをここに書き残す。


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