やっと行く事ができた


とりあえず行く事は決めていた…が、献花するかどうかは前日まで悩みに悩んだ
献花台があるような場所ではない=普通の観光名所であるという事、
原爆ドームのような最初からそういう場所ではない為普通に観光に来てる人達の目・空気を壊してしまうと思っていたのだ。

しかしその他人の目・空気感に結局彼は抗えず亡くなってしまったのだからそんな気持ちではいけない、抗わねば…!
そう思い直し、まず、三国駅付近の花屋を訪れた。
最初は白い菊1本だけにしようかと思ったが店員のおばさんにノセられもう色違いを一本、見栄えがしょぼいのでもう二本、と、購入した。

ちなみに花屋に寄る前、道中にあったお寺さんに寄って見学していたら柚子を収穫中の住職の奥さんらしき人に出会し、大量の柚子をいただいていた。

これで花束もリュックにしまうと一杯になる為、目的地に着く前に既にそこそこ重いリュックを背負う事となってしまった。
普段の行脚の感覚であればここにDDR用の靴も入れていたが今回は持ってこなくてよかった。

更に車を走らせ、目的地、東尋坊へ。
流石に柚子は重い為、車内に置いていく。
少し軽くなったリュックを背負い「いよいよだ」と思いつつ歩きだす。

実は10年近く前、制作会社でアルバイトしていた際も崖までは行っていないがここには訪れていた。
その時は夜な上に雨でしかもバタバタだったな、あの時訪れたお店まだあるんだな、と、懐かしい気持ちに浸りつつ崖へ向かう。

そして到着。
コロナの影響か思ったほど人は多くはないが、
平日のわりには賑わっているようにも感じた。
なにぶん今日は天気が良く風が強いとはいえ少し暑いくらいだ。

先に来ている観光客達がただでさえ高く危険な場所にもかかわらず結構な所まで行って記念撮影をしているので、私も写真を撮りつつ進んでみる。
いくらスニーカーを履いているとはいえ、足元は岩なので動き辛い。

画像1

一眼レフを持ってシャッターポイントを探すおじさん、自撮り棒で撮影するカップル、座って景色をただ眺める人達…強風で荒れる波を見て何を思うか。
「いよいよだね…私は覚悟できてるよ」というような会話をするカップル(?)の会話が聞こえる。
女の声色に腹が立つ

周りの観光客を見ると、どうやら階段(とはいえ岩なのであって無いようなものだ)を降りて海面近くの岩までいけるようだ。一枚の板のような岩を背景に記念撮影をする家族が見える(落ちたら海なので危ないといえばそこも十分危ないのだが)

海辺に近い岩場まで行くと岩の壁から回覧船(東尋坊周辺を回っているのだ)が覗きだす。

画像2


ちょうど海面に近くちょっと低くなった岩があったのでそこに降りてリュックを降ろす。

画像3


決めたとはいえやはり人の目や海面への不法投棄というような所も気にしてしまう(気にしなきゃいいのに)

包み紙をリュックから剥がす。輪ゴムが留められていなくてよかった。


束でなくなった花を
周囲の目を身振りで振り払うかのごとく


海に放り投げる


花はばらっと海面に落ちた。


そのまましばらく海を見つめる。


2016年の3月の半ばを過ぎたある日、欠勤が続くK氏を心配して課長が電話をかけた
会話の内容から察するにK氏は福井にいるらしい。
欠勤が続くという話の時点で、更に
福井という言葉で嫌な予感はしていたが、電話の課長の声を遮ってなんとかしようと動く事ができなかった。
それは、一度は献花をやめようと思った昨日の私の心理と重なる。


とりあえずその時をなんとかできれば
欅坂が大きく話題になって平手ちゃんに共感できたかもしれないのに
ポケモンGOが流行って東尋坊は夜も人気が多い安全な場所になったのに
元号が変わる話、陰謀論の話、科学が発展しているという話、宗教の歴史の話、コロナの話、もし遡って話す事ができたら、少しでも気を変えてくれただろうか

その時をなんとかするのは東尋坊に行って花を投げ込む事よりも簡単な事だったはずなのに…

岩壁の向こうの海に視線を変えると、強風による大きな波に回覧船が波に呑まれそうなくらい大きく揺らされていた。

さらに回想する

自分はK氏と同じ側だと本当はわかっていた。

要領悪く交流下手な自分と容量良く交流上手な某有名大学の子、生きてる世界が違う事をまざまざと見せつけられたアルバイト時代があり
あの会社では見た目も中身も取り繕い、必死に仕事をした。

仕事のできなさでクビになりたくない、いや、それもあるが、単純に前のように迫害や笑われ者扱いにされたくないだけだった。

努力の甲斐があり表向きは上手くやっていけた
「これであとはあの人が手に入れば…」
こうして自分はK氏側の世界から脱出したような気持ちで過ごしてしまっていた。

しかしその取り繕いがいつまでも上手く行くはずもなく、自業自得というか調子こいたというか、それでボロが出る。人間関係のトラブルを起こしてからは一気に「噂話の声」や「悪口」に内心怯えるようになった。(元々そういうのというか空気感や声色に敏感で苦手だったなとは今の歳になって振り返って思う)

K氏他そういう人達がそういう言われをされがちの社内環境でもあったのでとっとと辞めればよかったのだが、せっかく普通になれた世界を手放したくなくみっともなくしがみついてしまった。

K氏は確か家族葬の後、お別れ会があるとFAXに書いてあった記憶があるが、その紙は貼り出しされず、聞くにも聞けない気持ちになった私はお別れ会にも行けてなかった。(悪口を言う人らに出会したくない気持ちも強かった…)

そういう後悔もあった為、今年こそは行こうと考えていた。コロナのお陰で当初の予定である3月末からだいぶズレこんでしまったが、やっと行けた。


K氏が亡くなった後2週間もしたら元通りの空気になってしまった職場を見て私はやっとあの会社を辞める決断ができ、今に至る。
だから私はK氏の死体の上で生かされている存在であるという気持ちがあの時からずっと消えない。


「Kさん、私は絶対あなたの事は忘れないからな!」


心の声を荒げた



最後に再度海面に揺れている花を一瞥して岩場を立ち去った。

岩場を離れてトイレで手を洗い、売店の並ぶ通りに戻る。
元来た道を戻りつつ越前そばが食べれそうな店に入った。
そばを待つ間、大学時代の恩師にメールする為写真フォルダを開く。
外だとiPhoneの画面が見辛く写りがわからなかったが天気も良くいい写りだったと我ながら思う。

海面に浮かぶ花の写真は撮っていない。

というよりかは撮りたくなかったのだ。
ただ、その光景は自分の脳裏にしっかりと焼き付いている。


それで十分だと思った。

恩師にメールをした後、店内を見回す。

その店はよくある大衆食堂のような店内だが、コロナ対策なのか透明の仕切りが座席の至る所に置いてあった。しかし、観光客自体が少ないのか今いる客は私一人だけだった。
店員のおばさんが気を利かせて流してくれた有線放送が小さく聞こえる。

水を喉に通す。

さっき見た海に浮かぶ花の光景が脳内に蘇る。

一年前の私が見たらディストピアだと思ってしまうような店内で、私はひと仕事を終えたような晴れやかな気持ちになっていた。

画像4



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