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読み放題対象「素晴らしき新世界」



杉田水脈は、撤回しない


杉田水脈は、謝罪しない



杉田水脈氏といえばリベラルの皆さんから、大人気なキャラクターである。「差別だぞ」「謝罪しろ」と殴ってスッキリするサンドバックとして大変、優秀ということらしい。彼らは杉田水脈を叩いてれば自動的に「正しい人」側に分類され、そして「正義」を消費できる。

そもそもが、杉田水脈の「LGBT(のカップル)には生産性がない」をめぐる言説は、批判も擁護も定型化している。だいたいリベラル側からは、「人の価値を生産性で測るな」「人権思想を勉強し直せ!」「役に立たない人間を排除する優生思想」「生産せいさん 性なんていう言葉を人間に使った時点で、政治家としての資格がない!!!」といったところだろうか。

一方でそれに杉田水脈氏を擁護するような典型的な「保守」側の論理としては、「でもLGBTのカップルに人口の生産しょうさん 性がないのは事実でしょ、事実が事実として議論のベースとして書けないのがやばい」「国家の存続には子どもが必要なので、LGBTカップルに国家運営側が積極的にインセンティブを与えられないのはむしろ当然の話では」「国家がないと人権なんて空念仏だよ。国家が持続するから、人権やら権利も主張できるのに」とか、そういう感じではなかろうか。

要するにまとめると、「天賦人権説」の議論でも散々繰り返された「(人権を保証する)国家の持続性が優先か、(近代国家が存在する理由である)人権が優先か」のいつもの対立構造がここに現出するわけだ。当たり前だがこの枠組みで考えている限りは、いつまでたっても出口がない。


だが、そもそもであるが、杉田水脈自身は、そのなかで批判側も擁護側も、「国家の持続性こそが人権に優越する」というようなステレオタイプな「国家主義者」や「全体主義者」という役割がわりふられている。


その点ではブレない。

だが、どうだろう?

じつは全然、逆なのだ。

今回は、「LGBTには生産性がない」とかいかにもアレなことをいったようにみえて、杉田水脈氏の思想性こそが、本当の意味で「自由主義リベラル 」だったんですよ?という話を書く。

なにをいっているかわからない感じだが、大丈夫。これから説明する。


私達は、いまあまりに極東の小島の「差別であるぞ~!謝罪しろ撤回するのじゃー!」と国会の時間を浪費して、「正義」の消費をはじめるアレな「リベラル」に汚染されている。そのせいで気づかない。だが、そもそも「リベラル」的な発想方法とはなになのか、当たり前のことを忘れている。こじつけでもなんでもなく事実だから事実として書かなければならないのだ。

私達は、今の野党のひたすら杉田水脈を「謝罪しろ」という態度こそがリベラリズムから遠いことを知らねばならない。その態度のゆえにこそ、本質的な意味で杉田水脈寄稿文は腹立たしいものであったのだ。

今回も、あなたのモヤモヤをすっきりさせるニワカちゃん

杉田水脈の寄稿文は、主にリベラル側から「全文を読んだけど、もっとひどかったぞ!切り取りではない」という声がきかれる。だが、それは単に読んだ人がリベラルを名乗りながら、自由主義の議論も歴史もよくしらないだけかもしれない。

どういうことか。まず今回の騒動を振り返りみれば、まさにこの杉田水脈的な「自由主義リベラリズム」がいま、必要とされていることを証明しているからだ――

特に、今月はいってからずっと、

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