【あと一週間もすれば誰も坂本龍一の話をしなくなるだろう。】4/6日記。
BGMにどうぞ。
あと一週間もすれば、誰も坂本龍一の話をしなくなる。49日にも思いを馳せる人がいったいどれだけいるだろう。
僕は未だにイノマーの話をしてるよ。
君の話をしてる。僕にはそんなコアファンがいるだろうか?結婚も子供もなしでは難しいだろね?それを確かめたくて「このアカウントの主〇〇は死にました」って嘘ついちゃう男のコがいたり、思ってもいないのに彼氏に「別れよ?」って言ってみちゃう女のコがいたりするんだろね。愛されたい、愛を確かめたい。想われ続けたい。とかって。
死ぬ側からみれば、遺される人たちには幸せでいて欲しい。
だからどうか哀しまないでというのは嘘で、ちゃんと哀しんで欲しい。死ぬのはちゃんと寂しい。あの親父でさえそうだったハズ。死ねば無なんだからいいじゃん、とはアタシは思えない。それに対して反論しても無なので割愛。遺された人が流す涙は、僕が生きた証しになる。哀しみはわるくない。哀しみをちゃんとやろう。そしてどうか幸せでいて欲しい。泣いたあとにはセックスして欲しい。49日には忘れていて欲しい。でもたまに何かの言葉や音や匂いでフと思い出してくれる人がいたら、生きた甲斐がある。それが生き甲斐ってもんなんじゃないの。
だってそうでしょう?
ああああああニーチェ!ああニーチェ!なぜ死んでしまったの?って未だに哀しんでる人いたらスゲ~よな。
ニーチェほどの偉人じゃなくても、僕にもたしかに歩いた道がある。
その道である人は語らい、ある人は走り、ある人は寝転び、またある人は耕して、道の存在は忘れられ、やがてこの星が爆発して塵になっても。
たしかにそこに君はいた。
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