三大地雷ワードのはなし

こんにちは、にわかです。
Twitterで度々話題にあがる、わたしの「三大地雷ワード」について改めてお話しようと思います。
ありがたいことにフォロワーさんも日々増え続けていて、もうすぐ7,000人を突破しそうです。(2022年8月16日現在)
この闘病アカを始めた頃はまさか自分にこんなにたくさんフォロワーさんがつくとは夢にも思わず、今もどこか信じられないでいます。
以前からわたしをよく知ってくれている古参のフォロワーさんもいらっしゃれば、今日新しくフォローしてくださった方もいる。
中には「なんとかにわかを励ましたい!」と思ってリプやマシュマロをくださる方もいらっしゃいます。
とっても嬉しく、ありがたいのですが、その中で特にわたしが言われたくない三大地雷ワードてんこもりのメッセージが届くこともまた、事実です。
悪気はないかもしれないけれど、そこにわたしを慮る気持ちもないのではないか、と悲しくなることも多々あります。
わたしは「気持ちさえこもっていればどんなことを言ってもいい」という考え方にはどうしてもなれません。
生来の不器用で、そんな方たちの厚意の上澄みのきれいなところだけ掬いとることもできません。
だから今日はこうして改めて文章にして、「にわか」という人間を知ってもらい、お互い嫌な気持ちにならない、平穏なTwitter生活を送れたら、という想いでiPhoneのディスプレイをタプタプしております。
「励ましてもらえるだけありがたいと思え」、「わたしは医療従事者orがん患者家族だからその他大勢の人間よりも言葉に重みがある」、こんな考えの方は今すぐわたしのフォローを外してください。
きっとあなたにとってもわたしにとっても、良い結果にはなりません。
どんな背景も関係ない、大切なことは相手を慮ること、わたしはそう考えます。
そのためにもわたしという人間をまずは知ってもらいたい。
ひととなりを知るには「好きなこと」よりも「嫌なこと」を知るとよい、とわたしに教えてくれた上司は今もお元気かしら…。
そんなこんなで、早速始めていきますね。

地雷ワード① 「頑張って」

つい言ってしまいがちですよね、「頑張って」。
わたしもこのアカウントを持って数えきれないくらい言われました、「頑張って」。
その度に思います、「いや、言われなくても頑張ってるし、これ以上なにをどう頑張れと?こちとら命かけて手術も抗がん剤治療もやってますけど?」って。
この時点でわかったでしょう、にわかは相当なひねくれ者です。
悪意なき善意を受け止めきれないやつなのです。
自分でも嫌なやつだなあ、と思いはしますが、それでも嫌なものは嫌なのです。
わたしはなぜこんなに「頑張ってアレルギー」になってしまったのか…、自分なりに考えてみました。
病気になる以前からそうだったのか、いえ、恐らくそうではありません。
罹患してからです。
それまでのわたしは「頑張って」と言われたら、「はーい」と返せる人間でした。
罹患前と後、大きく違うのは「頑張るレベル」です。
罹患からこれまで、わたしの「頑張る」は文字通り命懸けでした。
まずは自分の病気を受け入れること、大好きな仕事場を長期離脱すること、決して楽ではない検査の数々、命を脅かす病であることへの不安、プロポーズしてくれたけどもしかしたら「やっぱり別れよう」と彼から言われるかもしれない恐怖、永久的な人工肛門の増設、自分の身体が変わってしまうこと、妊孕性、生存率、コロナ禍のためひとりで乗り越えなきゃいけなかった入院生活、信じられないような痛みとの闘い、体力の低下、半年間に及ぶ抗がん剤治療とその副作用、それでも治らないかもしれない死ぬかもしれないという逃れられない絶望、ステロイドで醜く太った自分、やっと抗がん剤が終わったと思ったその日に転移の疑いが浮上したこと、効いていたと信じていた抗がん剤は奏功してなくて腹膜播種が発覚したこと、余命宣告を受けたこと。
これら全てがん発覚からたった1年間でわたしの身に起こったことです。
もちろん辛いことばかりじゃない、夫と結婚できたし、楽しいこともたくさんありました。
それでもやっぱり心のどこかで「再発したらどうしよう、余命宣告されたらどうしよう」という逃れられない不安はつきまといました。
それでも歯を食いしばって食いしばって、必死で生きてきた。
そんなわたしを見て家族や夫は誰ひとりとして「頑張れ」なんて言いませんでした。
わたしにとって、他人から言われる「頑張って」は、例えるなら、眼下には沸き立つマグマ、断崖絶壁を命綱なしで必死に登るわたしを横目に、安全なヘリコプターに乗ってジュース飲みながら「頑張れ〜」と言われているようなものです。
こう言えば多くの人は「そんなつもりはなかった」と言うでしょう。
あなたにそんなつもりはなくても、わたしはそうは受け取れない、だから言わないで、という話なのです。
では同じがんサバイバーからの「頑張って」はどうなのか。
わたし、サバイバーの方から「頑張って」って言われたこと、ほとんどないんです。
仲良くしてくれているフォロワーさんたちは、「頑張って」を言わない代わりに、わたしが崖から落ちそうなとき、さっと手を出して掴んでくれました。
ご自分だっていろんな辛さや不安を抱えているだろうに。
ああ、わたしもこうありたい、と思いました。
わたしが「もうだめだ」と思った時に、「頑張って」と高みの見物をするのではなく、手を掴んでくれる、そんな人たちにわたしは支えられているんだと思えたのです。

地雷ワード②諦めないで

これ、余命宣告受けてからほんとうにたくさん言われました。
わたしが、いつ、諦めたって?
そもそも「なに」を諦めたというのでしょう?
無治療で終活をすることはそんなに人生投げ出しているように見えるのでしょうか?
と、喧嘩腰になってしまうくらい、わたしはこの言葉が嫌いです。
「余命宣告を受けても奇跡が起きて治った人もいます」と言われたこともありますが、その方とわたしはイコールではありませんから正直なんの慰めにもなりません。
余命宣告はあくまで目安で必ずしもわたしに当てはまることではないのは重々承知しています。
わたしの主治医も「あくまで平均ですが」と付け加えた上で、「余命は半年ほどです」と教えてくれました。
ましてやわたしは腹水貯留も著しい腹膜播種。
これがなにを意味するか、わからないほど脳天気でもないつもりです。
再発する前からさまざまな転移について調べてましたから。
そこで「嫌だ」と駄々を捏ねたり、奇跡を信じて病気が治るならいくらでもやりましょう。
でもそんなことしても時間の無駄だってこと、わたしがいちばんよくわかっています。
「治ると信じなきゃ治るものも治りません」、じゃあなんでわたしは再発したんですか?あんなに毎夜毎夜夫の手を握って「絶対に治すんだ、この人を置いて死ぬもんか」と祈っていたのに。
どう足掻いても事実は変えられない。
ならば精一杯受け止めて、遺される家族のために自分ができることをやろう。
「諦めないで」という言葉はそんなわたしに冷や水をかけるようなものです。
わたしはなにひとつ諦めたりなんかしてない。
今ある命を精一杯生きてる。
疼痛管理を必死にこなして、週に2回痛い思いをしながら腹水を抜いて。
夫のため、家族のため、必死に生きてる。
やがてくるであろう死を受け入れることは、決して今ある生を諦めることじゃない。
むしろ誰よりも生に貪欲にしがみついて生きている。
これでもまだ、わたしに「諦めないで」と言いますか?

地雷ワード③奇跡を信じて

地雷ワード②と重なる部分が多々あるかもしれません。
奇跡、起きてほしいです、なんなら今でも「奇跡起きないかなあ」って毎日思ってます。
朝起きたらお腹がぺったんこになってて、痛いのも苦しいのもなくなって、腫瘍が全部消えてて…、そう考えない日はありません。
「奇跡が起きるよ」は「諦めないで」とセットで使われることが多い気がします。
でもそんな起きるかどうかわからない奇跡(少なくともわたしのような状態から寛解した例はひとつも見つけられませんでした、ひとつも、です。あるなら是非教えてもらいたいくらいです)を信じて、ただのんべんだらりと日々を過ごすのと、奇跡が起きるかどうかなんて別にして自分に残された時間を有限とし、できうる限りのことをし尽くすこと、果たしてどちらがわたしにとって有益なのか、火を見るより明らかです。
でも、「奇跡を信じる」という言葉に救われたことが実はあります。
仲良くしてくださっているフォロワーさんや、リプや、メッセージでいただいたことがある、「あなたのために奇跡を信じ祈ります(意訳)」という言葉です。とてもとても嬉しかった。わたしに「奇跡を信じろ」というのではなく、わたしのために祈ってくれるということ。誰かの痛みや苦しみに寄り添う、ってこういうことなんだな、って教えてもらいました。
実はこれ、わたしの敬愛するビッグボス(わたしが秘書を務めるお方。会社の社長)もこう言ってくださる方なんです。「にわかちゃんの病気が良くなるように毎日祈ってるから、大丈夫。ビッグボスがついてるぞ」って。
ビッグボスは普段から神仏への信心厚い方で、毎朝出勤すると必ず社長室の神棚へお祈りするのです。その時間は何人たりとも邪魔してはいけないとても神聖な時間で、その際にわたしの病気平癒もお祈りしてくださっているとのこと。ビッグボスのそのお祈りが日々の暮らしの中でどれほど重要な時間なのか、そばで見てきてわかっているだけに、嬉しくてありがたくて仕方なかった。

おわりに

さて、ここまで地雷ワードを3つご紹介してきました。
こうして改めて文章にして気づいたのですが、この3つに共通していること、それは主語が「にわか」なんですよね。
目から鱗です、なんで今まで気づかなかったのか笑
にわかに、「頑張って」ほしい、「諦めないで」ほしい、「奇跡を信じて」ほしい。
もしこれが夫や家族から言われた言葉なら、わたしはそれを「祈り」と受け取るでしょう。
なぜなら夫や家族はわたしと同じように断崖絶壁を命綱なしで登っているからです。
勘違いしないでほしいのはこれはあくまで「わたし」にとっての地雷ワードであって、すべてのがんサバイバーに当てはまるわけではありません。むしろこれらの言葉に励まされる方々もたくさんいらっしゃるでしょう。
そしてわたしのことをよく知らないまま、「なにか言葉を送りたい」とも思って悪気なく言ってしまう方もいらっしゃるでしょう。
そのお気持ちまで否定する気は全くありません。ただもしかすると「このnoteを見てください」とお願いするかもしれません。
「過去ににわかに頑張れって言っちゃった」、次回からやめていただければそれで十分です、わざわざ謝ろうとか考えないでください。
わたしがやめてほしいのは、これらの言葉を敢えてわたしに送る行為です。
そんな人いるの?と思われる方もいらっしゃるでしょう。
残念ながら一定数いらっしゃるんです、そしてそういう方々は決まって「自分の言葉は他者とは重みが違う、そういう背景を持っている」とわざわざ前置きしてまで送ってきます。
わたしから言わせてみれば背景なんて関係ない、「やめて」と言われてるならやめるべきです。
言葉を送ることだけが「応援」ではありません。
そっと見守っていただけるだけでもとっても嬉しいですし、わたしに共感してくださったりすることも大きな力になります。

読んでいて決して気分のいいものではなかったと思います。
でもこれからわたしをフォローしてくださるのなら、是非知っておいてほしいことでもあります。
これを読んでわたしのことを嫌なやつだと思う方はたくさんいるでしょう、わたしだってこんな面倒くさいやつ嫌です笑
そんなときはどうぞ黙ってフォローを外してください。
そうやってお互いを傷つけない距離を保てるのがTwitterのよいところだと思っています。
残り少ない人生、だったらできるだけ穏やかで優しくて濃密な時間にしたい。
わたしのささやかな願いにお付き合いいただける方だけ、これからもどうぞよろしくお願いします。