簡単に死ねると思ったら大間違いだった〜①病状〜

こんにちは、にわかです。
前記事が過去一の反響でなんだかびっくりです。
徹頭徹尾尿意の話しかしてなかったんですが、なんか響くものがあったんですかね……。
なんにせよ、読んでいただき、ありがとうございます。
今日はタイトルにもあるようにわたしの考える「死を迎える過程」について、現段階の思いや現状をお伝えします。
初めに言っておきますがわたしは大して学がないので、崇高な理論は展開できません。
ただ自分の思ったことを書き連ねていきますので、今後の参考に!なんて思ってる方には不向きな内容だと思います。
ただ時折見かける、「人間死ぬときは死ぬ」とか、「どうせ死ぬから高いお金払って保険入るとか意味わからない」とか、「人工肛門や腎ろうつけてまで生きていたくないわ」というご意見を時折見かけます。
そんな人たちに先に逝く者として親切心で教えてあげようと思って。
「簡単に死ねると思うなよ」って。
今回は、
①病状
②金銭的
③精神的
この主に3つについて死に至るまでいかに困難かをわたしなりに記しておきます。
かなり長くなりそうなので、フランクに読んでもらいたくて記事も3つに分けてみます。
くどいようですがあくまで「わたしなり」ですので、ほぼ主観です。
それでも「いざとなれば無治療でさっさと死ぬわー、今のうちに好きなことするわー」という世の中のことをあまり知らない方、特に人生これから楽しむぞ、という方への啓発になったらいいな、と思いながら書きます。
あ、ちなみに無治療でも死ぬまでお金かかるから、そのつもりでね。

現在のにわかの病状

1.腹膜播種転移
Twitterなどでわたしの病状を詳しく紹介していますので詳細は省きます。
2022年9月30日現在、わたしは「末期の大腸がん患者」です。
正確に言えば、今年1月時点でもう末期でしたが、その時はまさか再発しているとは思いもよりませんでした。
大腸がんの場合、ステージなどにもよりますが、術後や抗がん剤治療後に再発、転移がないか定期的に検査します。
ちなみにわたしの術後のスケジュールは以下のとおりです。

2021
6月1日 腫瘍除去&人工肛門造設
除去した腫瘍と周囲のリンパ節への転移の状況でステージがわかりますし、抗がん剤の有無や種類が変わってきます。
その検査におおよそ1ヶ月半かかります。
7月14日 周囲リンパ節への転移あり、ステージⅢb(このときはまだ根治可能範囲)のため、7月20
日から半年間の術後化学療法(ゼロックス8クール)を実施
ケモ中はCTなどはせず、血液検査のみ
2022
1月20日 もがき苦しみながらなんとか抗がん剤治療完走。
最後のゼローダ飲んだ時は夫とふたり抱き合って泣いた。
辛いことはこれで最後なんだ、って本気で思った。
その日造影剤CT検査実施、祈るような気持ちで泣きながら順番を待っていたのをよく覚えています。
1月27日 CTの結果、他臓器などに転移を認めず。
ただ、骨盤内に少量の腹水あり。術後の影響によるものか、がん性によるものか判断できないため、3ヶ月後再度造影剤CT検査を行うことに。
もやっとした。
「ままあるよ」とは言われたけど、術後半年経ってもまだ排液されない、なんてこと、あるのかな、って。
それでも抗がん剤8クール終えたばかりだし、「再発なわけがない」って妙な自信もありました。
家族にはありのままを伝えてました。
多分みんな大なり小なりもやもやを抱えていただろうけど、わたしと夫は無理矢理そんなことを忘れようとしました。
だって入籍して一緒に暮らし始めたばかり、新婚だったから。

2022年4月19日水曜日
3ヶ月後の造影剤CT検査の日。
わたしは一生この日を忘れない。
1月の検査からこの日に至るまで、再発の怖さを振り切るように、というより見ないふりをしてきました。
新婚生活、仕事、フォトウェディングのためのダイエット、いつか夫と建てる家のために展示場巡りや雑誌を買ったり。
とにかく未来を見たかった。
けどそんなわたしに現実を押しつけるように出てきた腹囲。
元々ステロイドの副作用で太っていたからそのせいだろうと思いました。
でもこれだけダイエット頑張っているのに、どうしてかお腹だけが痩せない。
それどころか明らかにボールのように張って、どう触っても脂肪とは思えなかった。
補正下着を履いても誤魔化せないくらい張り出たお腹は側から見たら妊婦さんのようでした。
脂肪なら柔らかいからある程度補正下着で誤魔化せるけどそれすらできないくらいパンパンに張ってました。
わたしはお腹が出てる割には手足が細かったので余計にそう見えたと思いますし、実際職場では「にわかは妊娠したらしい」という噂がたちました。
無論それは事実無根だし、絶対に太っただけ、腹水なわけない、って前日までずっと自分に言い聞かせてました。
Twitterのフォロワーさんにも「これで脂肪だったらダイエット付き合ってね」なんて冗談言わなきゃやってられないくらい、本当は怖かった。
当日の検査にはお守り代わりにハウスメイクの雑誌を持っていきました。
大丈夫、腹水はすっかり消えてる、明日から本格的に家の予算に見合った貯金を始めなきゃ、やっぱり平家がいいな、犬を飼えるくらいの広さのお庭、わたしは書斎、夫にはゲーム用の部屋をつくって……。
検査が終わって呼ばれるまでずーっとそんなことを無理矢理考えてました。
いつもなら検査終了から1時間程度で呼ばれるのに1時間半経っても呼ばれなくて。
やっと呼ばれて診察室に入った時の主治医の表情を見て、「ああ、なにかあったんだな」と思いました。
そこで腹膜への転移を告げられて、その後のことはあんまり覚えていないんです。
覚えていない、というよりかは思い出したくない。
あれほど絶望したことは後にも先にもあの時だけだったと思います。
翌日、腫瘍内科(抗がん剤治療)の主治医を受診し、今後の治療、現在の病状についてより詳しい説明を受けました。
当時のわたしの病状は、
・播種が腹膜全体に広がっていること
・術後の補助化学療法は奏功していなかったこと
・がん性腹膜炎によって腹水が溜まっていること
・進行度合いは中程度
・腹水が溜まっているので使える抗がん剤は限られる(セカンドラインのイリノテカンは使えない)
・抗がん剤がしっかり効けば余命は1年から2年、効かなかったり無治療なら3か月から半年程度であること
同行してくれた両親がわたしの背後で明らかに動揺したのがわかりました。
わたしは「半年」という時間の短さに夫の顔が浮かぶばかりでした。
つい昨日まで「5年後根治したら改めて結婚式披露宴しようね」「犬を飼える平屋を建てようね」、そんな話をしていた夫に「あと半年後にわたし死ぬらしいよ」なんて、どんな顔をして言えばいいのか、そればかり考えていました、
5年先の未来は消え去って、数ヶ月単位、それも薬が効くか効かないかもわからないまま、生きていかなきゃいけない。
そう、生きていかなきゃいけないんです。
「5年後生きられる保証ないならもういいです、死なせてください」なんて、今の日本ではできないんです。
耐えられない苦痛を抱えながら、死に向かって生きなきゃいけないんです。

2.余命宣告から半年の現在
経緯は省きますが、余命宣告からすぐにはじめた「ベクティビックスの2ヶ月間単剤投与」は奏功しませんでした。
それどころか、腹水の増加、局所再発、リンパ節転移と病状は悪化していました。
あとは「ロンサーフ」という抗がん剤を試すこともできましたが、副作用の「食欲不振、嘔吐」がどうしてもひっかかりました。
播種はやがて大きくなり、腸管を潰します。
そうなると絶食となり、食べられなくなります。
食べることは生きること、をモットーにしていたわたしには耐えられない副作用でした。
また、ロンサーフには腫瘍の縮小効果はありません。
よくて現状維持なんです。
現状…腹水を週に2回抜きながらなんとか生活を送っているこの現状のまま、副作用がついてくる…、わたしにとってはメリットよりもデメリットのほうが上回っていました。
ましてや残された時間はあと半年、ロンサーフの効果が確認できるのは2ヶ月後、奏功率はベクティビックスよりも低い。
効くかどうかわからない薬で2ヶ月を無駄に過ごすことになるかもしれない、それよりかは無治療にして、あなたのためにご飯をつくって、あなたの顔を見ながら「美味しいね」って笑いたい。
そう、夫に告げ、夫も清濁合わせ飲み、わたしの意見を尊重し、主治医に無治療の選択、そして緩和ケアのみなの移行したい旨を告げました。
余命宣告からもうすぐ半年の今日、2022年10月7日、
・播種は増大し、腹水も変わらずです。ただ、溜まる腹水の量が少し減ってきています。おそらく大きくなった播種が腹膜内のスペースを狭めているからでしょう、と主治医。
・足のむくみがひどく、ひとりでの歩行はほぼ無理です。買い物などをするときは車椅子を使うようになりました。
・播種のひとつが膀胱押しているため、絶え間ない尿意に苦しめられています。夜も1時間起きに目が覚めてトイレにいく毎日です。ただ日中はオキノームやアブストラルの医療用麻薬が尿意に効くことがわかったのでなんとかそれでやり過ごしています。
それでも無理なときは一度導尿してもらうとリセットできるみたいで症状が緩和されることがわかりました。
・食欲はありますが、食べられる量は明らかに減ってきました。
・いちばん心配されていたイレウスや水腎症にはまだなってません。これがいちばんの驚きです。泌尿器科のドクターも驚いてました。「これだけ播種が大きいのに、避けるように尿管はきれいだ」って。
・貧血のせいでしょうか、常に倦怠感があります。それと頻脈なので、少し歩くだけでも息があがり、携帯用の酸素ボンベをいつも持ち歩くようにしました。

辛いです、苦しいです、痛いです。
それでも死ねない、まだまだそこまで辿り着けない。
こんなに苦しいなら、どうせ治らないならさっさと死にたいと思うことが多々あります。
そうすればわたしも家族もきっと楽だろう、って。
それでも母は頑なに「うん」とは言いません。
わたしの苦しみを誰よりもそばで見ているのに、「そこにいてくれるだけでいい、手を握ってあたたかいのが大切なの」と泣きます。
親とはなんと傲慢でそして愛に溢れた生きものなんでしょうね。
そんなこと言われたらわたし、これからくるどんな苦痛にも耐えてやろう、って思ってしまうじゃないですか。

3.人間はしぶとい
がんを宣告されて一年半、余命宣告されて半年、それでもわたし、まだ生きてます。
毎日いろんな苦しみに殴られながら、それでも生きてます。
死ねない、っていうほうが正しいのかな。
もしこの国で安楽死が合法化されて、目の前にそのスイッチがあるなら、わたし押しちゃうかもしれません。
それくらい追い詰められても、死ねないんですよ。
人間って意外としぶとくできてるんですね。
この記事を読んで「あーわたしがんじゃなくてよかった」って思う人、たくさんいると思います、いて当然です。
でもね、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
わたしががんになった理由、不明なんです。
現代医学では解明できてないんです。
いろんな検査をしました、それでもわからなかった。
だから誰がなってもほんとうにおかしくないんです。
がんでひとは簡単には死ねない、そうなったとき、あなたのまわりに「死にたいけど死ねない、それを心身共に支えてくれる人」がいるかどうかで、死に方は大きく変わると思います。
良くも悪くもわたしには死ぬ思いしてでも生きる理由となるひとがたくさんいるから拷問みたいな毎日でもなんとか息をしています。
今日もこれ以上ないくらいぱんぱんに膨れ上がったお腹と浮腫んだ足を引き摺って何度もトイレとベッドの往復をして、こうしてなにか残そうともがくみたいにnoteに文章を打ち込む。
無様に見えるかもしれませんがこれが現実です。
それを受け止めて前を見据えること、それが今のわたしの「生きる」です。

次回は「金銭面」についてお話します。
無治療でもお金、結構かかるんですよ、ってお話になると思います。