ボーナスステージという考え方

余命宣告からはや4ヶ月

こんにちは、にわかです。
今日から9月、暦どおり風も秋めいてきました。
まだまだ日中は暑いですが朝晩の空気は少しひんやりしてきたように感じます。
わたしが余命宣告を受けたのは4ヶ月前の4月21日。
受けた、というのは少し不適切かもしれません、わたしが主治医から無理矢理聞き出した、というほうが正しいかも。
「あくまで平均、このまま無治療なら」と前置いた上で告げられた余命は半年。
播種の具合や腹水の溜まり具合から進行は「中程度」とされました。
率直に「短いな」と感じました。
あと半年で夫になにが残せるだろう、そんなことばかり考えていました。
死ぬことよりもあんなに優しくわたしを愛してくれる夫を絶望のどん底に突き落とすことが怖くて辛かった。
主治医の説明をわたしの後ろで聞いていた両親が明らかに動揺していたのはわかっていたけど、正直ふたりをフォローするより、夫になんて説明したらいいのか、そればかりを考えていました。
ごめんね、お父さん、お母さん。

一度生きることを諦めた日

2021年4月19日。
わたしががんを宣告されたのは地元の小さな古い外科病院でした。
職場から近く、肛門外科があった、というだけで受診した病院は一生忘れられない特別な場所になってしまった。
痔かなにかだろう、と思っていたそれが実はがんだった、と医師に告げられた時、そばには母がいました。
検査中の鎮静から目が覚めたわたしに看護師さんが「おうちのひと呼べるかな?」と言ったので、朦朧とした頭で呼んだのが母でした。
仕事を切り上げて急いで駆けつけてくれた母とがんの宣告を受けたとき、理解するまでに幾分か時間がかかりました。
医師がなにを言っているのか、ほんとうに意味がわからなかった。
そんなわたしを置いて医師と母は医大の受診の相談やストーマの話をすすめていました。
鎮静が完全に覚めるまで、と処置室に通され、狭く硬いベッドの上でまだ状況を受け止めきれないわたしの手を握って母が言いました。
「手術で悪いものとったら大丈夫。人工肛門になるかもしれんけど、お母さんたちがおる、大丈夫」
「じんこうこうもんってなに?」
「腸をな、お腹から出して少し出して、袋をつけて、そこに便を溜めるんよ」
想像してぞっとしました。
「やだ、絶対いや。そんなことするくらいなら手術なんてせんでいい。綺麗な身体のまま死にたい」
本気でそう思いました。
母は泣いて、「うん、それでもお母さんはにわかちゃんに長生きしてほしい」。

こんなに愛してくれる母に言った「死にたい」という言葉をわたしは今も後悔しています。

わたしはこの日、一度生きることを諦めました。
自分で自分を殺したのです。

こうなることは決まっていた

直腸がんの5年生存率はおおよそ60%〜70%、再発や転移する可能性は30%と言われています。
でもそれはあくまで統計の話であってわたし自身に当てはまるわけじゃない。
わたしにとっては0か100か。
どっちに転んでもおかしくはない話だったと思います。
いやむしろ、こうなることは決まっていたんじゃないか、って。
なにをどうしてもわたしはがんで死ぬことが決まっていたんじゃないか、って。
手術はそれをほんの少し先延ばしするための手段のひとつに過ぎなくって、今こうしている時間はボーナスステージなんじゃないかな、って思うようになりました。
詭弁だと思いますか?
それとも死に損ないの負け惜しみ?
どちらもそうかもしれない、でもこうでも考えなければとてもじゃないけれど自分を保つことすらできない。
この先何十年も続くはずだった人生をたった33年で断ち切られた、と考えるのではなく、元々33年の人生を如何に素晴らしいものにするか。
そんな命題を与えられたのだと考えればいろいろ合点がいくのです。
そしてがんを宣告された日、わたしは一度生きることを諦めた、一度人生が終わった。
そこから先はボーナスステージ。
元々なかったはずのもの。
「この人しかいない」と思えた人と結婚できた。
短かったけれど新婚生活も満喫して、婚前旅行も新婚旅行も行けた。
結婚式も挙げられて、無理だと思っていた犬も飼えて、もうすぐ一緒に暮らせる。
なかなか最高なボーナスステージじゃないかな

そうは言っても

そうやって自分に言い聞かせているけれど、辛いものは辛い。
抗がん剤の主治医の予測を裏切ってはいるけれど、がんは確実に進行している。
お腹の上に手を当てるとぼこぼこと腫瘤があちらこちらにある。
腸閉塞を起こす日もそう遠くないのかもしれない。
ただ他の臓器は信じられないくらい状態もよくてまだまだ余命うんぬん言う段階じゃないよ、と緩和ケア主治医のお墨付き。
いいんだか、悪いんだか。
半年、と自分の中でもゴールを決めていたから頑張れたこともある、耐えられた痛みもある。
でも実際はゴールはまだまだ見えなくて(余命半年はさらっとクリアしそう…)辛さだけが増してゆく、わたしはそれがいちばん辛い。
そんなわたしをそばで見ている家族がいちばん辛いんじゃないだろうか。
どうせ生きてても死んでても辛いなら、わたしさっさと死んだほうがいい?そのほうがみんな早く前を向いて生きていけるんじゃない?
そんなことを母に言ってまた泣かせてしまった、懲りないわたし。
「そんなことあるわけないやろ。寝たきりでも生きててくれたほうがいいに決まっとる。にわかちゃんが望むなら一緒に死んだっていい」
こんなやりとりを何回しただろう。
何回母を泣かせれば気が済むんだろう。
でも母は言う。
「にわかちゃんが本心からそんなこと言うわけない。病気が言わせとるだけ。みんなわかっとるんよ」
どうしても逃げられない辛さに苦しむわたしを真正面から受け止める母や夫はどれだけ辛いだろう。
それでも逃げずにそばにいてくれる。
愛されてるなあ、っていつも思います。

生きるって辛い、ほんとうに辛い。
時々、というかほぼ毎日、もうなにもかも投げ捨てて生きるのをやめたくなる。
でも安楽死が認められていない日本ではなかなかそれも難しい。
だったらもう、やるしかない。
折れては立ち上がり、折れては立ち上がり、をがんを宣告された日からもう何百回、何千回と繰り返した。
今日もまたそれをするだけ。
そうして1日1日積み重ねて、どこかで「あー、今日はいい日だった」と思えたらめっけもん。
だってこれはボーナスステージ。
元々はあるはずのなかったもの。
33年の生涯の最後の幕引きを素晴らしいものにするために、今の自分にできることをやろう。
それがすべて、それがベスト。
そうやって今日も生きる。