地獄の1週間

こんにちは、にわかです。
物騒なタイトルですが、わたしは本気です。
本気で辛かった、なんなら術後より抗がん剤より辛かった。
あまりの辛さに家族(特に母)に八つ当たりしまくって、毎日喚いて、昨日(9月6日)ようやくメンタルが安定しはじめたので、この地獄をきちんとしるしておこうとiPhoneを手にしました。
はたから読んでる人からしてみれば「そんな大袈裟な」と鼻で笑われるかもしれませんが、書いてる本人は至って真面目です。
ご承知おきください。

突然の尿意

初めは違和感でした。
そういえば昨日からトイレが近いなあ、と思ってて、でもさほど気にはしていませんでした。
それが土曜日ごろの話。
尿が出るのはよいこと(腹膜播種が進行すると尿管を圧迫し水腎症になることがあり、そうなると血尿や尿がでなくなり、腎ろうの造設が必要になってくる)なのですが、なんだか尿意と排尿量のバランスがおかしい。
強い尿意の割には尿量が少ない。
日曜日にはそれが顕著で、月曜日の往診の際に緩和ケア主治医のY先生に相談することに。

「播種が膀胱押してるかもねえ」

月曜日、頻尿のことを相談するとY先生は触診で、ごりごりと硬くなっているそこを押さえました。
今わたしのお腹には大体四つほど服の上からでもわかるほど大きく育った播種があり、そのうちのひとつが運の悪いことに膀胱を押して、膀胱の容積を狭くしているのではないか、とのこと。
ただこのときはまだそれほどわたし自身も切羽詰まっていなかったこと、足のむくみもなく、排尿もしっかりできているだろう、とのことで特別なにか手を打とう、という話にはなりませんでした。
ただ心配症のわたしは膀胱が完全に潰されたらどうしよう、と考えてしまって、「保険」が欲しかった。
常に最悪のことを想定して、それを打開する策があるんだと思えることでメンタルを保つのがわたしのやり方でした。
だからY先生に訊いてしまったんです、「先生、腎ろうになりますか?」って。
Y先生は疼痛管理やメンタルケアに関してはプロ中のプロですが泌尿器は専門外、それでも不確かなことは言えず「そうだねえ…」と濁したその言葉をわたしは額面通りに受け止め、「もうすぐわたしは腎ろうになるんだ!」と考えてしまい、そこからメンタルはガラガラと音を立てて崩れていくのがよくわかりました。仕事から帰ってきた母に泣きながら「腎ろうになっちゃうの?」と問いかけ、でも母は母で冷静で「腎ろうは最終手段だよ、まだまだ打つ手はたくさんあるよ」と優しく諭してくれました。
それでもわたしのメンタル崩壊は止まらず。
ぼろぼろの心身で夫の待つマンションに帰り、元々約束していた大の仲良しのフォロワーyさんとのスペースをなんとかやり切ったとたん、いろんな糸が切れたようになんにも考えられなくなって、一旦SNSを離れることにしました。
きっとたくさんのひとにご心配をおかけしたと思います。ほんとうにごめんなさい。(SNSを離れた原因は他にもありますがそれはまた追々)

拷問の始まり

火曜日から嘘のような頻尿が始まりました。
一体何回トイレに行けばいいんだ、と泣きたくなるほどの頻尿。
膀胱炎のそれに近いものがありました。
膀胱炎はとにかくたくさん飲んで出す、が一般的な治療法ですが、わたしの場合は飲んでも腹水に取られるので尿量は思うように増えないし、出したいのに出ない、という苦痛にほんとうに頭がおかしくなりそうでした。
横になっていれば播種もあまり膀胱を押さないのか、多少マシでしたが、少しでも身体を起こしたり、歩いたりしたらもうトイレに行きたくてたまらない。
なんならトイレから出たその瞬間にまた行きたくなる。
こんな状態が1日中続けばただでさえボロボロだったメンタルに余計な拍車をかけて、ネガティブなことばかり考えてました。
「こんなに辛いなら生きていたくない、もう頑張れない、夫にも申し訳ない、離婚したほうがいいかもしれない」
こんなことを母にも夫にもぶつけてしまった。
母にいたっては号泣させてしまって、相当困らせたと思います。夫は「にわかちゃんはばかだね」と一蹴して抱きしめてくれました。
それにどれだけ救われたか。
けれども母や夫の愛だけでは症状は治らず、藁をも縋る思いで腹水穿刺に通っている地元の総合病院の泌尿器科を受診する事に。
もう、もう、なんでもいい、尿カテでも膀胱ろうでも、とにかくこの尿意から解放してほしい。
半泣きの状態で受診したわたしを待っていたのはまさかの結果でした。

「不思議なくらいですよ…」

泌尿器科のドクターはT先生。
物腰柔らかそうだけど、なんだかちょっと頼りなさそう。
とにかくここ数日の死ぬほどつらい尿意のことを切々と訴える。
事前にしていた検尿の結果「濃縮尿」ということがわかった。
つまり水分不足。
濃縮尿だと頻尿になり、排尿することでまたそれが刺激となりさらに頻尿になり、の悪循環に陥りやすいらしく、わたしの状態もそうだろう、と。
じゃあ水をたくさん飲めばいいのか、と言われるとわたしの場合は腹水もあるから安易にそうは言えない、となかなかはっきりしない。
とりあえずエコーで腎臓を見てみよう、ということになり、診察台へ。
そういえば医大で造影剤CTを取ってから他の臓器はエコーすら当ててなかったからすこしドキドキする。
何を言われてもちゃんと受け止めるぞ。
そう意気込んだわたしの意に反して先生は少し驚いたようにエコーの説明をしてくれました。
「膀胱がかなり小さくなってます。おそらく腫瘤に押されているからかと」
はい、それはもう、なんとなくわかってました。
「ただ、これだけ腫瘤が大きいのに、不思議なくらい尿管と腎臓はきれいなんです。うまくそこだけ避けているみたいに。これでは腎ろうをつくったとしても無意味です、というかつくれません」
…えっ。
普通なら喜ぶところかもしれないけれど、その時のわたしの心境はかなり複雑でした。
付き添ってくれた長姉もあとからそんなわたしの心境をわかっていたようで「そうだろうなと思ったよ」と言っていました。
「じゃあ膀胱ろうはどうですか?いざというときは膀胱ろうでなんとかなりますか?」
とにかくなんとかこの尿意をどうにかしたいわたしは半ば必死で先生に食いつきました。
先生は「うーん」と唸って、
「それもあまり意味がないかもしれません。そもそもバルーンが膨らむかどうか」
そんな、じゃあどうしたらいいんですか、このままずっと尿意で頭おかしくなりながら過ごさなきゃいけないんですか。
「膀胱におしっこを溜めやすくするお薬を10日ほど試してみましょう。それでもだめなら尿道留置を試してもいいかもしれません。ただ、尿道留置しても尿意が消えるかどうかはわかりません」
わかりません、って…わたしどうなっちゃうの?
「とにかく膀胱にできるだけおしっこを溜めるように尿意がきても我慢してください。お水も可能な限り飲んで、10日後また受診してください」
縋った藁はやっぱり藁だった。
くしゃくしゃにしたそれをT先生に投げつけてやりたい気分だった。
先生は悪くない、誰も悪くないのに。

拷問はつづくよ、どこまでも

24時間の尿意に「我慢しなきゃ」が加わってしまってからはもうわたしのメンタルは完全に崩壊しました。
尿意が治まるのは排尿後のほんの数十分だけ。
また湧き上がるそれを今度は我慢しなければいけない。
寝てやり過ごせるならまだマシなのかもしれないが、時にはどう足掻いても無理なときもあって、それがいちばん辛い。
なんにも知らないひかりはママに遊んでほしくてひっきりなしにボールを手に押し当ててくる。
寝たまま遊べるようしつけしたことがこんなところで生かされてしまった。
でもできるならちゃんと身体を起こして遊んでやりたい。
じいじの協力を大いに仰ぎながらなんとかひかりがストレスを感じないようにだけ最大限注力した。
わたしが苦しいだけならまだいい、ひかりにまでとばっちりがいくことだけら絶対に避けなければいけない。
それでも辛いものは辛くて、身兼ねた長姉が緩和ケアY先生に相談し、ごく少量からだが抗不安薬を処方してもらうことになった。
尿意そのものは抑えられなくても、それにともなうメンタルの波は少し平坦にできるかもしれない。
木、金、土とそれでなんとかだましだましやってきたけれど、日曜日の夜、いろんなものが爆発した。

「にわかさん、もう我慢するのやめよう」

日曜日の夕方、わたしの引越しの手伝いをして疲れている母に盛大な八つ当たりをしたあと、母から「Y先生に電話してみようよ」と言われた。
Y先生は緩和ケアの専門であって、泌尿器の先生じゃないからしたところで無駄だと思っていても、もう誰でもいいからこの尿意地獄から救って欲しくて、またもや藁をも掴む気持ちで先生に電話した。
半分泣きながら辛くて頭がおかしくなりそうなことを伝えたら「応急処置として尿カテ入れよう」とまさかの返事が。
根本的な解決にはならないけど、夜はゆっくり眠れるはずだよ、との言葉に泣きながら頷いた。
もうなんでもいい、ここから抜け出せるから、なんだって。
電話して1時間ほどでY先生とO看護師が駆けつけてくれた。
尿カテは腫瘍除去の手術のときにつけていたことがあるからなんとなくどんな感じかもわかる。
入れるときは多少の痛さはあったけど、尿意地獄に比べたら全然大したことない。
痛みや違和感はアブストラル2錠を飲めば抑えられて、とてもとても久しぶりに尿意に悩まされない穏やかな夜を過ごすことができた。
八つ当たりしまくった家族に謝って、諸事情により泊まることになった夫に頭を撫でてもらい、ふわふわした心地で眠ることができました。
翌朝には尿カテは抜きました。
尿量はしっかり出ていたし、腹水穿刺の日で、蓄尿バックを抱えたまま通院する準備はできていなかったので。
無事に腹水穿刺も終わり、その日の夕方、またY先生とO看護師が定期往診に来てくれました。(わたしの定期往診は毎週月曜日)
そこで安定剤の一度の服用量を増やすことなどを話し合いました。
するとY先生が、
「にわかさん、もうおしっこ我慢するのやめよう。行きたいときに行こう」
そう言ってくれたのです。
神さまかと思いました。
「でも、そんなことしたら1時間に1回行ったりするかも……」
「いいよ、それでも。我慢すると余計にストレスになってそれが尿意になるよ」
そう言われて一気に気持ちが楽になりました。
これまでは「最低でも3時間は間隔空けなきゃ」と我慢に我慢を重ねていたけれど、先生に言われたとおり、行きたいときに行くようにしはじめたら、2時間くらいならストレスなく尿意を感じないのにまでになりました。(もちろん動いたり歩いたりするとダメですけど…)
それでも「行きたいときに行けばいいんだ!」と思えばひかりのお世話もストレスなくできて、これがいちばんありがたかったです。
わたしの中でY先生の信頼度ストップ高となった出来事でした。

きっとこれからも新たな地獄は生まれ続ける

かくしてわたしの地獄の尿意の1週間は一応の収束を見せつつあります(が、まだどうなるかはわかりません)。
播種はまだまだ大きくなるだろうし、そうなると今度こそ水腎症、腎ろうの話が現実味を帯びてくるでしょう。
イレウスにもなるだろうし、ほかの臓器に転移する可能性だってもちろんあるわけで。
きっとこれからも未知の地獄が死ぬまでにいくつもいくつも待ち構えている。
このままソフトランディングして死ねたらいいけど、きっとそううまくはいかないんだろうな、ということがなんとなく今回のことでわかりました。
同時に、ほんとうにたくさんのひとがわたしのために動いてくれていることもわかりました。
頻尿が始まったとき、我慢しきれなかったときのために、と尿取りパッドやオムツをすぐに買いに走ってくれた次姉、わたしのイラつきを毎日のように一身に受けた母、ダブルストマになったとしても俺がお世話するよと抱きしめてくれた夫、Y先生とわたしの橋渡しをしながら病院に付き添ってくれた長姉、そしてあの手この手を考えてくれたY先生緩和ケアスタッフの皆様。
これだけのひとがわたしのために全力で動いてくれる、この安心感といったらないです。
だからわたしはできるだけ心穏やかに日々を過ごすことを考えよう。
「みんなもう一度にわかちゃんに笑ってほしいだけなのよ」って泣いた母のためにも、辛い日々の中でも笑っていよう。
笑えない日があっても、その次の日には笑えるように。
そのためには毎日一生懸命に生きなきゃ笑えない。
それはがんになる前からよくわかってることだから。
大した取り柄もないわたしだけど、一生懸命生きることだけは物心ついたころからしてきたから、きっとできる。
みんなが言ってくれる、「にわかならできる」。
今までも信じられないくらいたくさん辛いことを乗り越えてきたわたしだから、この先もきっと大丈夫。