にわかと本

前回の記事をたくさんの方に読んでいただけたようで嬉しいです。
わたしのTwitterのフォロワー以外にはなにがなんだか、な内容だったと思います。
逆にフォロワーにとっては耳にタコの内容でしたね。

Twitterを始めてもう1年以上になりますが、時折わたしの言葉を褒めていただくことがあります。
わたし自身、これまでの人生の中で言葉や文章を自分なりに大切にして生きてきたのでそう言っていただけると嬉しいです。
そしてその根幹には「無類の本好き」という性質があります。
幼い頃から本が大好きでした。
字が読めるようになるまでは毎晩母や姉に読み聞かせてもらい、字が読めるようになると休み時間の度に図書室に駆けて行きました。
ランドセルの中にはいつも図書室で借りた本が入っていました。
母の教育のおかげ、というのはもちろんありますが、わたしが本当の意味で本というものにのめりこむきっかけになったことを今日はお話したいと思います。

本の虫、誕生

わたしが本の虫、と聞いて思い浮かべるのは「月島雫」ちゃんです。
説明不要のわたしの師匠みたいなひとです。
ここでいう雫ちゃんはジブリ作品の「耳をすませば」の雫ちゃんですので、予めご了承ください。
元々家族揃ってジブリ作品が好きだったので、例に漏れず「耳をすませば」もテレビのロードショーで観ました。
小学1年生の頃だったと思います。
まずときめいたのは雫ちゃんが手にしていた大量の原稿用紙です。
そこ!?って声が聞こえてきそうですが、そこです。
わたしはあの大量の原稿用紙が羨ましくて羨ましくて仕方なかった、理由はわかりません。
次にたくさんの本が並ぶ大きな図書館、まるで雫ちゃんの秘密基地のようで、見ていてわくわくしました。
もうおわかりでしょうが、ストーリーそっちのけでわたしは本を読み、そして物語を書く雫ちゃんの虜になりました。(ストーリーは何回も見返しているうちにしっかり理解してますのでご安心ください)
雫ちゃんのようになりたいと思ったのです。
そしてどういうわけか、そのタイミングでわたしは母から一冊の本を買い与えられました。
「天使のいる教室」という本です。
有名な本なのでこれも説明を割愛します。
当時幼い子どもだったわたしはどうしてもハッピーエンド、大団円の結末しか許せなくて、だったら自分で書いてしまえ、と、この本のパロディを書き始めました。
主人公の男の子視点で物語を進め、最後は女の子の病気が治る、というご都合ストーリーです。
わたしはこれにのめり込みました。
おそらく人生でいちばんなにかにのめりこんだ時間だったと思います。
400字詰めの原稿用紙とペンを専用のバッグに入れていつも持ち歩いていました。
学校にも、友達の家にも。
隙間の時間でひたすら書きました、早く女の子の病気を治してあげたかったのと、まるでドラッグのような高揚感に包まれていました。
原稿用紙がわたしの書いた文字と物語で埋まる快感、それを小学1年生で味わってしまったのです。
結果、原稿用紙100枚近くの超大作を書き上げてしまいました。
この時、わたしの脳裏に「将来の夢 小説家」とインプットされてしまいました。
目の前がぱあっと開けたような心地でした。
嬉しくて嬉しくていちばんに母に報告しました。
母は喜んで「じゃあ本をたくさん読まなきゃね」と言いました。
なるほど、確かにそうだ。
今回私は「天使のいる教室」をそっくりそのままなぞったようなら物語を書いたけど、実際はそれじゃあだめだ。
自分でつくりださなきゃ。
「第二の月島雫」になるんだ。

こうして本の虫にわかが誕生したのです。

「なんでも好きな本買ってあげるからね」

わたしの最大の幸運のひとつは活字中毒の母の元に生まれたことです。
母も本を読むことを好む人で、それは母の父(わたしの祖父)が「子どもへの本を買うお金をケチってはいけない」という教育理念を持っていたためです。
そんな祖父に育てられた母に育てられたわたしは、順当に本の虫へと成長していきました。
図書館と同じくらい本屋が好きなのはおそらくこのおかげでしょう。
母は漫画の単行本は買ってはくれませんでしたが、本に関しては湯水のようにお金を使ってくれました。
文庫本と違って、子どもの本はほとんどがハードカバーですからなかなか値が張ります。
なぜか子ども心に「高い…」と感じ、本を厳選していたわたしを他所に、ひょいひょい、とわたしが欲しがる本をいくつも買ってくれる母がとても神々しく見えました。
そんな母は仕事の忙しいひとでした。
小学校にあがると放課後私は地元の児童クラブに通っていました。
学校から歩いて友だちと児童クラブへ通い、5時になったらまたそこから歩いて近くの図書館へ。
母の仕事が終わってお迎えに来てもらうまで、わたしは図書館でひとりで過ごしました。
時間帯も時間帯だったので、貸切状態。
大好きな母に早く会いたい気持ちと、まだまだ本を読んでいたい気持ちがまぜこぜになって、なんだか不思議な気持ちだったのをよく覚えています。
わたしにとって、図書館や本屋は母との楽しい思い出が詰まった思い出の場所でした。
宝の山に埋もれて、どのお宝も持って帰っていいのよ、と言われているようで、わくわくしました。
我が家の教育方針で「ゲーム類は買わない」というルールがありました(ファミコン全盛期に、です)
母はよく「(周りがゲームを持ってる中で)よく欲しがらなかったね」と言います。確かにあったらいいなあ、と思うことはありましたが、ないならないで別段どうということはありませんでした。
ゲームするよりも山ほどの本に囲まれているほうがきゅんきゅんしてましたから。

インプットとアウトプット

今のわたしができあがったのは、「本を読む」インプットと、「物語を書く」アウトプットが子どもながらバランスよくできていたかもしれません。
アウトプット先は学校での作文や、同人活動でした。
夏休みの読書感想文の宿題はむしろご褒美。
読んで書いて、こんな楽しい宿題ほかにない、ときらきらするわたしははたから見たら変な子だったと思います。
自分の書いたものを人に読んでもらう環境が整っていたのは幸運でした。
同人活動の沼に浸かって(小学6年生の頃でした)からは、もっぱらそれ専門になってしまいましたが…。
小学1年生の頃の自分とは比べ物にならないくらい、文章力は向上しましたが、あの熱量を超えられたことは未だにありませんし、きっとこの先もないでしょう。
けれども、今でも原稿用紙やまっさらなノートを見るときゅんきゅんして仕方ありません。
腱鞘炎にならない保証があるなら、デジタルよりもアナログ派なわたしです。
たぶんわたしの頭と身体があの時のドラッグ並みの快感を覚えて、都度思い出すのでしょう。

叶わなかった夢

抗がん剤治療が終わって、経過観察に入ったとき、もっともっと本を読もうと思いました。
なにを根拠にそう思ったのか、あと3年の命と思って生きよう、それまでに何百冊も本を買って、読んで、夫や家族にそれを残そう。わたしがどんな人間かなにを考えていたのか言葉にする代わりに本を残そう、って。
もしも病気が治って3年以上生きられたら、夫と建てた家にわたしの書斎をつくって、そこに本を並べよう。本に囲まれて生きて死にたい。
でも神さまは3年もわたしに時間をくれませんでした。残された時間はおおよそ半年。
身体を起こすことがままならず、寝たままでは本を読むことも難しい。
だからこの夢は来世に持ち越し。
本の代わりにわたしの言葉をnoteやTwitterを通して家族に残そうと思ってます。
自分では文章が上手と思ったことはないけれど、それでも思ったことを文章にするのが億劫な性格じゃなくて本当に良かったと思うし、そんなふうに育ててくれた母にはいくら感謝しても足りません。
言葉や文章の持つ大きな力を知って残りの人生を過ごせるのはほんとうに幸運だと感じます。

誰かに忖度したりせずに、わたしはわたしの感じたことを言葉にして残しておく。
これは来世に持ち越してはいけない、今の私の使命だと思っています。