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世界の解像度と彩り

どうも、にらです。
順調にジムに通っております。まだあんまり体に変化や実感は現れてません。と、そこは副産物。あくまで運動するのが気持ち良くて。それが通ってる理由の半分くらい。なのであまり気にならない。そのうち変化あるでしょう。現状維持でも良いでしょう。



世界の解像度、上げたいよ~。
そう思うことなんてないでしょう。

世界の彩り、豊かにしたいよ~。
そんな風に感じたいものです。


大人になると、解像度や彩りに関してあまり意識することがなくなる日々です。
といえど、子供の頃、思っていたわけではない。ただただ、生活していただけ。それなのに毎日楽しかったような気が。それが解像度・彩りだったかどうかはわからない。
なぜこんなことを思ったのか。

先日、ネット記事で字を覚えた子供のエピソードを見たため。
内容は「ある日突然『世界ってこんなに文字がたくさんあったんだね』」と言ったというもの。素晴らしい言葉であり、視点だと思った。
この言葉こそ世界の解像度が上がるという発言も同時に見た。その通りだと感じた。

世界の解像度は知によって高まると感じる。そして、世界の彩りは感情の幅広さ・価値観の広さによって豊かになると思う。
このどちらか一つでも今より上がる、と人生が楽しくなる気がする。

実際、最近の私は楽しいと感じる場面が多い。
仕事の負担が減ったことももちろんある。それよりもなによりも、勉強することが楽しい。知識がどんどん増えていく。増えた知識により、今まで知っていたことや当たり前にあった事項に対する気付きがさらに増える。楽しさを助長させる。
知識欲があるからなのかどうかはわからない。誰しも知識欲はあると思っている。それが楽しいにまで繋がるかどうか、そこが問題。知っている知識が、点と点が、繋がるそれが快感。みんなそうなっていけばいいなぁ、と思っている。


何の話をしたかったかというと、毎日楽しいということと、タイトルの言葉が好きだということを言いたかっただけ。


最近は、プログラムの勉強が楽しい毎日。
勉強する時間が足りなくて足りなくて、困ってます。誰かと通話をしながら、黙々と作業したいなぁ。友人に声をかけてみようかと思ったり。
それはまあ、追々。

気付いたら、アップロードする土日が過ぎていた、にらでした。
それでは、また。

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