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8/6の記憶。



以下は私が5年前に非公開のFacebookに書いた記事です。この話を祖母から聞いた10歳の時から、死について、しあわせについて、死ぬまでの生き方について、繰り返し考えるようになりました。広島の原爆投下から75年。大好きだった祖母の思い出とともに、忘れないように、花を手向ける気持ちでそっとここにも貼っておきます。


広島に原爆が落とされたのは70年前の今日。

その時広島にいたという祖母の前では、原爆や戦争の話は禁句だった。パニックになってしまうから。

それでも一度、小学生の時に聞いたことがある。祖母は震えながら、一度だけ話すからよく聞いてね、とうまく曲がらない不自由な手を祈るように合せて、涙ながらに幼い父を連れて爆心地から逃げた日のことを語ってくれた。

話を聞きながら想像した恐ろしい光景が、それ以来、ずっと脳裏に焼き付いている。怖くて誰にも話せなかったけれど、70年を機に、ここに書いておこう。

目の前の人間が、一瞬で蒸発して形を失う…それを目の当たりにする恐怖。大量の死体、あまりの熱風に喉が渇いて川に群がり、そのまま折り重なって亡くなっていた。その中を、感覚を麻痺させて、祖母はただただ動物のように逃げたという。

今私がここに生きているのも、様々な偶然のつながりでしかない。体が蒸発していたのは、川で折り重なって亡くなっていたのは、私の家族だったかもしれないのだもの。

つい最近、昔の戸籍を調べて知ったのだけれど、私の祖父母の家は、爆心地からわずか1.5キロの地点にあった。

「普段通り」に過ごせる日常がいかにありがたいかを、今日を機に改めて、強く感じたい。

黙祷。




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