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時間軸と生体リズムの研究


前回の投稿で書いたように、熱い気持ちで美大受験を決めたものの、「浪人しないこと、一般企業への就職に有利な科を受けること」が限定されたため一旦は彫刻への夢を諦め、大学の時は映像の勉強をすることに。

そんなある時、ゲスト講師で来られた先生の音響と映像の関係についての話にとても興味をそそられたのです。音響と映像のタイミングの位置によって場面を盛り上げたり、何らかの意味づけを与えたり…意図をより効果的に伝達するための映像ならではのテクニックの話。以来それは私の研究テーマとなりました。

映像をあらゆる場所で目にする現代では、もはや太古の昔のことのように思えてきますが、30年近く前の当時は映像を見るためのハードは非常に限られていて、制作にもとても費用がかかりました。その上、実際見てもらう段階での上映機材の問題などあらゆる面で不自由が多かったのです。家庭用ビデオカメラは普及していましたが、今のように画像が鮮明ではなく、まだまだ作品を制作するのであれば高額でもフィルムで映像を撮ることがベストだとされていた時代。でも、気軽に撮れないからこそ、映像ならではの表現というのは何か、と深く追求できたし、実験的にいろいろなことを試すという意味では良い時代だったと言えるかもしれません。当時10代だった私は「映像の可能性とは、人の生理的な感覚に訴えやすいということと、時間軸がはっきりとあることなのではないだろうか?」と仮説を立てて、独自にその研究を始めることにしました。

そもそもが、CM(コマーシャル)やPV(音楽のプロモーションビデオ)などの、ストーリーを追うというよりは、身を委ね、感覚に浸るような映像を作りたかったので、この研究テーマは今後の仕事に必要不可欠だとの思いもありました。そこで、自分の好きな CMやPVの特徴について整理してみると、引き込まれる映像というのは、必ずしも映像そのものに意味があるわけではないことが見えてきました。要は、心地よさ。その意図を伝えるための、本題とは一見無関係の、感覚に訴えるような素材をちりばめること。そして映像の細やかなカット割りによって、リズムを生成すること。

タルコフスキーの映画で見られるカーテンや木々による風の表現、画面の中をじっくりと探検できるようなロングショット&ロングテイクと、限られた時間で目を釘付けにさせる、資生堂やサントリー、三陽商会などの当時の優れた映像的にも美しいCMのカット割が参考になりました。自分の研究では、それによって集中力を高め、没入していくような感覚を与える映像を作り出すことを目標としました。そのリズムとは、数字で書き表せるリズムとは違って、生理的欲求に訴えかけるもの、つまり呼吸や、心拍数と近いのではないかと考えました。

この研究に確信を持つことができたのは、ある失敗がきっかけでした。

2年生の作品制作の課題でのことです。私は16ミリフィルムで制作することにしました。今の金額は分かりませんが、当時はフィルムも、それを現像することにも大変なお金がかかりました。学生にはせいぜい3分程度のフィルムを3−4本撮ってつなげることが精一杯の値段でした。

アルバイトで必死に貯めたお金で、制作に入りました。しかし理想ばかりが膨らむ頭の中を具現化するのは難しく、カメラの扱いもままならない状況で、全くイメージ通りにはいきませんでした。テストのつもりで撮った一本を合わせても、使える映像の尺はとても短くなってしまいました。

先生のアドバイスを受けて、仕方なく16mmよりは安価な8mmフィルムを数本撮り足して、テレシネ(フィルムで撮った素材をビデオで再撮影すること)でビデオテープにまとめた素材を編集して、ビデオ作品として提出することにしました。

テレシネの機材は、16ミリと8ミリの映写機が小さなブラックボックスに向かって設置されており、ブラックボックスの中に映し出された映像を、やはりブラックボックスに取り付けたビデオカメラで撮影するというものです。

最初は、この機材を使っても16ミリと8ミリで撮った映像の明るさや質感が合わず、悩みました。そこで、ビデオのレンズにカラーフィルターを取り付け、映像の均質化を試してみました。

これが転機でした。

アナログ機材ならではのことですが、このフィルターの色の濃度を変えたり、フリッカーのようにフィルターを素早くレンズ前で動かしたり、ビデオカメラ側のピントをずらしたり、ズームしたり、ブラックボックス内をロングショットで撮影したり。できうる限りのあらゆることをして、映像素材のバリエーションを増やすことに成功しました。同じ映像素材が、色違い、サイズ違いでひたすら反復されることで一定のリズムが生成されるという、怪我の功名、とでもいうべきことが起こったのです。

この微妙に色や質感の違う映像組み合わせていく作業に、私は没頭しました。たった10分弱の編集を毎日のように繰り返して約1年間、少し繋いでは最初から見直すという膨大な作業を繰り返して作品は完成しました。

今時の編集機材と違って、きれいなカット割をするためには、時系列でつないでいくしかありませんでした。ビデオの特性上、どうしても映像を途中で差し込むということをすると微妙でも映像がヨレてしまうのです。解決方法があったとしても、今のように簡単に調べられるインターネットも普及してはいないので、ただわかる操作方法を創意工夫でやっていこうとすると、作品を地道につなげていく以外はありませんでした。

反復による高揚感。そのリズムを、脳が反応するであろう一瞬先にのばしたり、わざと前倒しで崩すことで、見る側の集中力を高められるのではないか…文字通り寝食を忘れて、頭の中は毎日そのことばかりが巡りました。

最初は失敗だった、とはいえ、その成果は報われました。制作を始めたのが19歳の時。そして20歳の誕生日の直後くらいに、日本の実験映像を牽引する憧れのイメージフォーラムの映像フェスティバルで賞をいただくことができました。(同じ年の受賞者には河瀬直美監督がいらっしゃいました。)

この賞をもらえたことは、天に昇るほど嬉しいことでしたが、実際に作品が渋谷のシードホール(当時渋谷にあったとても素敵な劇場)で公開されると、誇らしさでいっぱいになる…かと思いきや、私はじっと座って大勢が私の作品を凝視していることにたえきれず、外にフラフラと出て行って街路樹にもたれ、しゃがみこんでしまいました。

真剣に、自分の命を削って全神経を集中して作り上げた作品は、それはそれは気迫がこもっていたのかもしれませんが、映し出された映像は、人に見せるための作品ではなく、拙い私自身の内面のすべてでした。

それは裸よりももっと裸な、表皮のない、神経剥き出しの状態で人前に晒されているような、耐え難い痛みでした。プロになることを真剣に考えて取り組んできた映像制作だけれど、この痛みを伴いながらプロとして作っていくのは、私の本意ではない、と思いました。幸い、作品の拙い内容云々ではなく、作業的なことが評価されての受賞ではありましたが、これは私の成功ではなく挫折だと強く思い、プロとしてやっていく道を自ら絶ち、自分の作品制作をその後10年、封印しました。その話については、またいずれ。

さて、それはともかく、私の研究自体は間違っていなかったことはこの賞をいただいたことで、証明されたように思いました。それだけは、誇らしかった。

実はその後でもう一本、同じテーマで撮った学校の課題作品があります。この作品はより具体的に生体リズムについて着目しました。あえて無音で制作し、見ている人間が自分の心音や、時計などの生活音とのリンクで映像の世界観にひきこまれるような仕掛けをしたつもりでした。…しかし、受賞のおかげで優先的に機材を使わせてもらえるようになったことと、自分自身の技術が向上したことで映像自体は以前よりもかっこいいものが撮れたにもかかわらず、肝心のテーマを難しく追いすぎたためにただきれいな映像が反復されるというような、作品全体は底の浅い、つまらないものとなりました。

これは今も思うのですが、作品を作っているときは、技術的なことが進化したとしても、わくわくするような、自分でもどうなるかがわからない未知の部分があることが、とても大切なように思います。同じスタイルで作品を作るとしても、いつも新鮮な気持ちで没頭できるようなテーマを設定しないと、わからないことがわかっているつもりになったような、つまらない作品になってしまう。少なくとも、私の場合はそうなのだと、自覚したのでした。

その作品から15年ほど経ってから、あるきっかけで挑戦したDJに面白さを見出して、いろいろなイベントに出演させてもらってプレイしていた時期があります。積極的に活動をしていたのはわずか5年ほどですが、それはこの研究ととても近しいところがあったからでした。音のタイミングと人の動き、という観点で、選曲の順番と音の質を微妙に変えていくことで様々な実験を毎回試みていたのです。

いつも成功するわけではなかったですが、一番楽しかった成功例は、クラシック音楽だけをかけてフロアの全員が飛び跳ねて踊り出したことでした。

演奏の、盛り上げていくパーツを切り出し、一曲の音楽に聞こえるようにライブで編集しながら。海の波のように寄せては引く反復を繰り返すことで、生まれるリズム。最初はこわごわ、いつのまにか全員で、飛び跳ねていたあの姿。クラブのフロアでショパンのピアノが鳴り響き、飛び跳ねる踊り手たちの姿は、ただただ、感動的に、美しかった。

この研究が、今、何に生きているかというと、大きな作品(インスタレーションや彫刻など)を配置する時にとても役立っています。

目に見える数値だけでは測りきれない、人の心地いい生体リズムに沿った配置、というのを毎回感覚的に決めていきます。彫刻は時間軸とは関係がない、と以前は思っていましたが、実際に設営されてみると、人の導線というのが時間軸であることに気づきました。

思えばもう30年も(!)続けてきた時間軸と、人にとって心地が良い生体リズムの関係を見つめる研究は、これからも作品づくりを通して、探っていきたいと思っているテーマです。


写真(撮影・niŭ): ある日のレストラン。



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