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歪さは悪ではなく(抒情詩)

高橋元吉『十五の少年』に感じて。

歪さは悪ではなく

おめおめと
生きているのは
少しでも
悪いことを
しているからだと

そうしなければ
現代では
たちまちに
自殺しなければ
立ち行かないからと

かつて
詩人は言った

誰が教えてくれるだろう
そのままの己で
あり続けるやりかたを
それでいて
他人の全てを
受け入れるやりかたを
そして
まったく悪のない
生き方というものを

どこにあるというのか
一点の曇りもない
情熱というものは
それは
歪さのまったくない
天然石を求めるように
人工的過ぎる
概念であり
逆説的には
われわれもまた
歪さなくしては
人でありえないことを
示している

しかしながら
一人きりの者にとっては
歪さが悪を求めるのでなく
貧困こそが悪を誘う

魂云々の
高尚な話でなく
胃袋の餓えが
絶望の寒さが
一人きりの者へ
死か悪かの選択を迫る

それは
それほどまで
追い詰められていない
者にとっても
薄められた毒のように
日々に潜み
こっそりと目を盗み
実行されているが

一人きりの者の
それと異なり
これは歪さであり

我々は
少しだけ
己を殺しながら
少しだけ
悪を行い
少しだけ
それに喜びを
感じてしまう

われらの
歪さは
そうして
消費されている

たばこ

ドラッグ
セックス
ギャンブル
……

世には
こんなにも
歪さが満ちているから
歪さと歪さの間には
隙間があり
そこには
忘れさられた
純心が残っていて

時折
冒頭の詩のように
ぴかりと
目を射る
光を放つ