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アイドル歌唱力問題2024

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

年末には紅白歌合戦など、歌番組が増えるせいか、ふだんアイドルを目にしていない人たちがアイドルを目にする機会が多くなり、

・下手すぎてかわいそう
・学芸会レベル

という批判がネット上に出て来ることになる。

これ、あまりにも何度も繰り返される物言いなので、私のとぼしい知識でなんとか説明してみたい。

「歌がヘタなアイドルをデビューさせる」ことが、現在、あたかも秋元康の策略みたいに思われていることもあるが、「歌ヘタアイドル」の歴史は今に始まったことではない。

私の記憶では、今の「アイドル歌手」と比較的近しい存在として、70年代にデビューした天地真理、南沙織、アグネス・チャンなどは、まだうまかった方だと思う。
「歌ヘタ」で有名だったのは、まず73年に歌手デビューしている浅田美代子。
1979年歌手デビューの能瀬慶子も、ご本人には申し訳ないが、「歌ヘタと言えば能瀬慶子」と言うくらいヘタだった。

しかし、アイドル歌手には歌のうまい子、歌手志望の子と同時にそこまで歌に自身のない子、女優志望ゆえに歌手活動に入れ込んでいなかった子などが混在していた。
たとえば石川ひとみ、高田みづえ(高田みづえがアイドルかどうかは 微妙だが)、松田聖子、中森明菜、などは歌で聞かせる方だった。
河合奈保子、早見優、松本伊代なども「めちゃくちゃうまいか」と言われると疑問だが、魅力的な歌唱をしていたと思う。

この人たちが70年代後半から80年代頃のデビュー。
80年代半ば以降になると「歌ヘタ」で有名なのは、おニャン子の新田恵利。
記憶のみで書くのだが、「夕ニャン」での新田恵利のソロデビューお披露目の際(「冬のオペラグラス」を歌った)、なんかヘタすぎてスタジオがちょっと変な空気になり、まだまだ若い頃の、トレーナー姿の秋元康が、
「彼女はそれでいいんです!!」
って言っていたのを覚えている。捏造記憶ではないと信じたいな。

他にも、当時タレントのプロモーションの問題で、地方回りなどで名前を売るのにはとにかく歌がヘタだろうが何だろうが、歌手デビューは必須だったと懐古している芸能プロの社長もいた。
シングルレコード一枚出していれば、地方のイベントに行っても、A面を歌って、トークして、B面を歌って、最後にまたA面を歌えば間が持ったんだ、と言う。

確かに「なんでこんなに歌がヘタな子がデビューするんだ!?」と疑問に思ったことも数知れないが、では楽曲までテキトーだったかというとそんなことはない。
浅田美代子のヒット曲「赤い風船」は、作詞が安井かずみ、作曲が筒美京平。能瀬慶子の「アテンション・プリーズ」は浜田省吾の作曲である。

その製作過程については不勉強でよく知らない。依頼を受けた作詞家、作曲家たちは「なんでこんなことしなきゃいけないんだ!!」と思っていたかもしれないし、職人に徹していたかもしれない。
とにかくこれだけは言えるのは、「歌がヘタな子でも、制作者サイドは最終的な楽曲の完成度をある程度目指していた」ということ。
「歌ヘタアイドルのレコードやCDは、ただのタレントグッズ化したものに過ぎないだろう」と断じる人もいるが、ことはそこまで単純ではないと思う。

極論を言えば、「なぜ浅田美代子や新田恵利は歌がヘタだったのに売れたのか、ファンが歌声を聞きたがるのか」という点は、2024年に至るまで、多くの人が真剣に考えてこなかったということだ。
70~80年代に真剣に考えてこなかった人が多いから、いまだにアイドルファンとの価値観のズレが起こっているのである。

別にファンは「ヘタだから」聞いていたわけではないし、「歌がヘタだろうがうまかろうが関係ない」と思っていたわけでもない。
ただし、「歌っていること」が「魅力」につながっていないといけない。
ということは、単に一般的な「歌のうまい、ヘタ」とは違う価値基準(しかし「魅力」という点でははずしていない)で、幾人かのアイドル歌手の歌唱はファンに評価されて来たということだ。

突然、話が飛躍するようだが、このことは70~80年代頃に、現在だったらとうていデビューできないレベルの画力でも、編集者がどんどんマンガ家をデビューさせており、読者もそれを受け入れていた感覚に近いと思う。

おしまい。








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