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同人誌の原稿を三本書きました(そのうちのひとつがメガゾーン23)

同人誌の原稿を三本、書きました。
以下の三作品についてのレビュー。

・「メガゾーン23」(PART 1)
・「ウルトラマンブレーザー」
・「宇宙探索編集部」

たまたま三本の締め切りが重なってしまい、ほっとくと(加齢のためか)集中力が散漫になるのを、どうにか気を引き締めて書きました。

どれもいろいろと印象深い作品ですが、「メガゾーン23」(PART 1)は高校生のときに観て、当時は意味が分からなかったことが、年齢を重ねて当時のバックボーンを踏まえるといろいろと理解できたことが多くて面白かったですね。

amazonレビューでは「繰り返される日常が当たり前ではなかった」という意味で、前年に公開された「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」があるからメガゾーンはいらない的なことを書いている人がいますけど、とんでもない見当違いですね。

80年代は日本全体が「箱庭的な平和と経済的繁栄がむずがゆい」という感覚がみんなあって、それは当然、当時の娯楽作品にも反映されているわけです。
それと、60~70年代に「為政者が権力的ではないことと」と「理想社会を築きたい」という矛盾した命題が当時の若者にずっとあって、それがそのまま80年代に持ち越されてます。
「為政者に権力的にふるまわれるのが気に入らないなら、自分が権力者になってしまえばいい」という思考も出てくる。
だから「少数のエリートによって、日本国とか人類全体を支配する」という欲望を持った悪役が、バブル崩壊くらいまで主流でした。
(もちろんナチスドイツがモデルになっていたことも大きい。)

現在の「デスゲーム」的な話は80年代にはまったくなかったと言って良くて、それはまだ「本気出せば為政者を倒せる」ってフィクションの世界の中では可能性があったってことです。
「デスゲーム」設定は「抵抗不可能なほどの強権力」が存在しないと成立しないので、これが流行り始めたこと自体、一般人の感覚で「権力に抗してもしょうがない」ってかなり深い部分で思ってる、ってことです。

まあこの辺はどっかのだれかが書いているでしょう。
また、つまんないことを書いてしまいました。

でも悪いとはまったく思っていまーせん。
反省してまーす(今、流行りの謝り方)。
それでは、真夏にスノボをするために、冷蔵庫の向こうの世界へ行きます。

おしまい

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