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私とマンガ版「パトレイバー」

かなり前に、テレビで麒麟・川島が「マンガ版の機動警察パトレイバーでは、長編連載なのに宿敵(グリフォン)と数回しか戦ってないんですよ。面白いのでオススメです」と言っていたので、
「そういえばマンガ版、ぜんぶ読んでないな」と思って、買って読了した。

マンガ版「機動警察パトレイバー」は、週刊少年サンデーで、1988~1994年の連載。
少年サンデーコミックスで全22巻。
アニメ版はテレビシリーズと劇場版を観てはいたが、とくに熱心なファンというわけではなかった。

もちろんリアルタイムで、少年サンデーに連載されていたことも知っていた。
しかし連載当初は、最初の方しか読んでいない。
理由ははっきりしている。

「なんかもうオタクみたいな作品観るの、やめようかなぁ~」という気持ちと、私が最初の会社に就職した時期とがっつり重なっていたからだ。

「パトレイバー」の連載が開始された1988年、私は大学二年生だった。
中学、高校、大学、就職、はおたく趣味をやめる大きなきっかけとなる。

1990年に大学を卒業し、社会人となり5年半、同じ会社に勤めていた。1996年頃に、最初の会社を辞めている。
1995年にエヴァンゲリオンが放送され、同時期に「おたくってないがしろにされすぎてないか?」的な主張が出てき始めた頃なので、そのときにはわりとおたく情報も摂取していたが、それより前、1994年までは、仕事が忙しくて趣味のことまで考える余裕がほとんどなかった。

個人的にはファーストガンダムから始まるリアルロボット路線は、「ボトムズ」以降、頭打ちになった印象もあり、夢中になれるものがなかった。

それと1988年から89年にかけて、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」が起こっていたことも非常に大きい。
その残虐性、異常性と同時に犯人の部屋に大量のビデオテープがあったことで世間に衝撃を与えた事件で、おたく差別が強かった最盛期である。

そうそう、「パトレイバー」の連載時期と「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」が大騒ぎになった時期はガッツリ、重なっているのだ。

「パトレイバー」の作風そのものは、「悪い意味でのおたくっぽさ」は極力排除されている(イングラムのデザインに関して登場人物が「趣味が出ている」などセルフツッコミをする程度)。
しかしまあおたくバッシングの「渦中」であったことは間違いない。あくまで個人的なことと強調しておくが、80年代後半から90年代初頭に、「おたくっぽいコンテンツ」を摂取することは周囲にかなりのエクスキューズを必要とした。

で、90年か91年頃に自分は新社会人となるが、その後の人生を決定づけるくらい、この期間に自己否定感が強くなった。別にとくべつブラックな会社だったわけではないのだが、あまりに自分が仕事が出来なないので、精神的に叩きのめされた。
そんな時期に、ある意味「お仕事マンガ」であった「パトレイバー」を、自分が楽しんで読むことはできなかっただろうと思う。
なんというか、心理的障壁があったね。ずっと後にテレビでアニメが再放送していた頃は楽しみに観ていたが、90年代初頭はとてもそんな気分じゃなかった。

それと連載当初は少し読んでいたのだが、今でも思うが「思想犯」がザコ扱いされているのが気になっていた。
アニメだと押井守が関係しているから、軍事クーデターをテーマにした「二課の一番長い日」みたいな話が出て来るが、マンガ版では大物キャラとしては思想犯は登場していない。
当時は環境問題が現実世界ではトピックスになっていたので、作中では環境問題に関する過激派組織「地球防衛軍」が出て来るが、単に「出て来るだけ」で、大企業にだまされてレイバーを貸し付けてもらい暴れるだけの「やられ役」になっている。
マンガ版では「地球防衛軍」はそれほど統制が取れていたようでもないようで、レイバーで暴れる「地球防衛軍」メンバーも、「レイバー犯罪」は独断でやっているように見える。

他にも「やけくそになったやつが衝動的にレイバーを街中で暴れさせる」などが「一般的なレイバー犯罪」として出て来るが、どうにもリアリティがなかった。現実世界で、ショベルカーやブルドーザーで暴れ回る犯罪がほとんどないので、なんかうそくさかったのだ。

「地球防衛軍」の扱いの話に戻ると、仕方ない面もある。80年代後半から90年代初頭にかけては、政治的な過激派の存在感は、ものすごく希薄になっていた。
1986年に「迎賓館ロケット弾事件」という、迎賓館に向けて過激派がロケット弾を発射させた事件があったが、あくまで私の記憶だが世間的には失笑さえ買っていたからだ(ロケット弾は迎賓館に命中しなかった)。

そもそも論的なことを言ってしまえば、海外に比べて治安のよい日本では「凶悪犯罪や特殊犯罪に対抗して警察に特別組織がつくられた」的な設定で物語をつくるのは、リアリティの面でなかなかむずかしい。それは「オウム事件」や「911」を経た現代でもそうだから。

一方で外国人技術者が「老害」な日本人経営者に信用されていなかったり、肉体労働者が集団で社長に抗議するシーンなどはリアリティがある。バブル景気だった80年代後半から90年代初頭のトピックスといえば、とにかく再開発に関係する談合、汚職、人手不足、それにともなう外国人労働者への依存、などだったから。

で、お話のメイン(「グリフォン」に関するもろもろ)は、知能犯で愉快犯の内海課長が起こす事件がメインになっている。
それと、企業間の争い。
内海課長が「遊び」としてグリフォンを扱えるのは、当時のバブル景気と、「技術立国」という日本のイメージがあったからこそで、今観ると、かなり立ち位置的に特殊な人である。
今、「大企業の社員だが裏でうまいことやって、独自に金をひっぱってきて気ままな研究開発を行っている切れ者」という設定は、ちょっと無理があるだろう。

なお、内海課長がグリフォンの搭乗者としている少年「バド」は、子供ばかりを扱う人身売買組織から買われて来たことになっているが、アメリカの人身売買については当時から問題にはなっていたが(作中に登場する、牛乳パックに行方不明の子供の写真がプリントされたヤツ、実際にあったらしいし)、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」後に出て来た描写である。
もしかしたら、言外にあの事件に対するメッセージが含まれているのかもしれない。

ぜんぜん関係ないが、精神的にまったくの子供で、遊び感覚で「グリフォン」をあやつっていたバドが、身の回りの世話をしている女性の身体に急に興味を示し、「一緒に風呂に入ろう」とか「一緒に寝よう」とか言い出したシーンがあったが、あそこは活かされなかったな。あれは何だったんだろう。

さて、単行本の最終巻、22巻は1994年9月15日初版。
翌年の3月20日にオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こる。オウムに関しては、それ以前から「坂本弁護士一家殺人事件」など、いくつも犯罪をおかしているが、「テロリストの集団」と広く認知されたのは「地下鉄サリン事件」からだろう。

逆に言えば「カルト教団が武器などを製造してテロを起こす」ということ自体、1995年以前のフィクションの世界では「リアリティがなかった」。
そういう意味では1994年までのマンガ版「パトレイバー」は、「オウム事件以前」で「911事件以前」の物語と見ることもできる(もちろんそれと作品の面白さ、レベルの高さとは関係ないのだが)。

なお、作中で企業間競争が犯罪につながっていることは、「パトレイバー以前以後」とはあまり関係ないのだが、内海課長が「楽しいから悪いことをする」という、特段大きな目的がない(なんか当初はグリフォンの技術で「篠原重工」を出し抜こう、みたいな話があったが、だんだん目的と手段が逆転して行った気がする)「悪」として描かれているのは、当時としては新しい。

「人類のために強固な管理社会、全体主義国家をつくり上げようとする」巨悪、独裁者、というのが80年代を通じてエンタメでは主流だったからね。
内海のような「組織の中で要領よくバランスを取りながら、自分のやりたいことをやる」というようなワルモノキャラは、当時、きわめてめずらしかった。

ちなみに時代ものの「花の慶次」が週刊少年ジャンプで1990年から93年、連載されている。この作品は、マンガ版「パトレイバー」と連載時期がガッツリ重なっている。前田慶次は、悪役ではなくヒーローだが、「戦国の世も終わり、世の中が徐々に整理されつつある日本でいかに自由に生きるか」をテーマにした作品だった。
そういう意味では、内海課長と慶次は立場的には似ていなくもない。
このことは、偶然ではないと思う。

現実世界ではバブル期で、大手企業が博物館だの美術館だのをつくったり、あるいは会社を突然やめても同レベルの会社に転職できる可能性があったりと、企業社会としてはわりと社員が(気分的にも)自由な頃だった。
「花の慶次」も「すでにいちばんヒリヒリしていた時代が終わりつつある」日本を設定しており、慶次に「天下を取る」みたいな大きな目標はとくにない。
ただ、固まりつつある世界が窮屈だから、あえて周囲と摩擦があっても生きてみようという話だから、現実世界の雰囲気を反映していたのは間違いないだろう(原作小説は数年前に書かれていて、主旨はそれほど変わっていない)。

んでまあそんな「雰囲気」はバブル崩壊とともに雲散霧消してしまい、1996年から借金苦の人々がゲームで一発逆転しようとする「賭博黙示録カイジ」の連載開始。
1999年に1999年には小説「バトル・ロワイアル」が登場。「デス・ゲーム」ジャンルの端緒となる。
つまり、もともとのパイが極端に小いさくなり、それを奪い合うような世知辛い話が主流となっていくのであった。

なお、「マンガ版パトレイバー連載期間は、私が新社会人として苦労した時期と重なっている」と書いたが、エンタメで言えば、その後の「デス・ゲームもの」は「限られたパイを奪い合う悲惨な話」で到底乗っかる気分にはなれず、95年からテレビ放送が開始され一大ブームとなった「エヴァンゲリオン」も、知り合いにのべつまくなしエヴァの悪口を言い続けている人がいたことと、テレビ版エヴァの最終回の炎上騒動にドン引きしてしまったので、いい思い出がない(今は好きですよ)。

余談だが「パトレイバー」ではあきらかに「あぶない刑事」的なドラマ撮影に主人公たちが振り回されるエピソードがあり、「あぶない刑事」的な刑事ドラマをおちょくった感じがあるが、「パトレイバー」が後の刑事ドラマ、警察ドラマの「新しいリアリティライン」を構築したことを考えると、それもまあ仕方ないかな、と思ったりもする。

「あぶない刑事」も好きですけどね。

おしまい

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