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死ぬまでナメられる人生でしたさようなら2024

思えば、他人からナメられてばかりいた。

サラリーマン時代、社員旅行の宴会で、余興みたいのがあった。くわしいことは忘れたが、社員たちのいろいろな出し物があった。
私は宴会場の壇上で、演歌を歌う部長の後ろで、他の社員と混ざってタンバリンかなんかを叩いていた。
要は部長の歌の賑やかしである。

別にイヤだったわけではなく、酒も入っていたし、私はその部長が嫌いじゃなかったし、楽しい気分でやっていた。
(もともと社員旅行嫌いの私としては、めずらしいシチュエーションである。)

そして部長の演歌が終わった際、ハケるタイミングを間違えて、突然、若手社員の何人かが壇上に上がってきて、なんかすごいダンス(これまたどんなものか忘れてしまった)が始まった。
壇上から降りるタイミングを見失った私は、若手社員グループの「なんかすごいダンス」に混ざって、適当に踊っていた。
そうしたら、それがけっこうウケた。

もちろん自分が「笑われている」のはわかっていたが、その場がなごんでいるからいいじゃないか、と思っていた。
このテの余興を異様にいやがっていた女性社員たちが、他の場面で意外とマジメに取り組んでいて「この人たちは、こういうこともできるんだな」と感心したことも覚えている。

要は、私はめずらしくこの社員旅行に前向きだったのである。

私が壇上に取り残されたハプニングもあって、そのダンスショーは盛り上がった。繰り返すが、私は一人、取り残されて仕方なく適当に体を動かしたのが「笑われている」ことはわかっていた。
しかし、そのときはめずらしくその状況が楽しめたのだった。おそらく、その宴会自体の雰囲気が良かったのだろう。

そうした楽しい気分で舞台を降り、また自分の席で酒を煽っていると、浦川さん(実名)という先輩が近付いてきて、私の肩を叩いてこう言った。

「キミは人生でもああなる運命なんだよ(嘲笑)」

私はギョッとした。
要するに、翻訳するとこうだ。

たまたま私が壇上に取り残されるハプニングがあって、私が見よう見まねでヘタなダンスを踊っている光景を観て、

「おまえのようなマヌケなやつは、ああやってタイミング悪く場違いなところに取り残されるような、ズレた人生を送ることになるんだよ」

ということだ。

これが大勢のいる中で、
「新田さんもホント、間が悪いよなぁ!! めちゃくちゃ笑ったけど!!」とか言って、その場が笑いに包まれるのなら良いのだが、

私にしのびよって、だれも知らないところでこっそり言うことだろうか?
そのひと言でいっぺんに醒めて、大変不快な気分になった。

この浦川さんという先輩は、まったく別の場で、サシ呑みになった際、

「よく『石橋を叩いて渡る』というけど、新田さんって『石橋をたたいて壊すタイプだよね」

と言われたこともある。仕事で失敗続きで悩んでいた頃だったから、大変傷ついた。

浦川さんは知らなかったかもしれないが、もともと方向音痴な私は、会社から用事のある関連会社にたどり着くことができず、わざわざ前日に地図を観ながらその場所まで行って確かめていた(要するに本番と二回、行っていた)、というくらい、いろいろと苦労していたから。

遠方への出張の場合は、前日にあらかじめ目的地に行くことができず、失敗続きだった。

「石橋を叩いて壊す」

という表現は、現在のネットでもよく見られるが、仕事のケアレスミスに悩んでいる後輩に言うことではない。

浦川、いつかおまえの乳首を万力でひとつずつ、ちぎり切る。
これは「契り」とかけている私の愛の行為だ。

もちろん、麻酔は使わない。

おしまい

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