(創作)大丈夫ちゃん

自宅学習ノートのほかに日記も毎日書いて提出するっていうのははっきり言って大変です。

昨日、Aくんが「今日は書くことが何もありません。終わり」とだけ書いてマルをもらっているのを見ました。だって何もねえもん。まさか毎日何か素敵な出来事をいっぱい書いて先生に見せてんの? 真面目ちゃんかよ、何がんばってんの。と言われました。

わたしが大変だと思うのは書くことがないのに書かないといけないという所ではありません。何も書くことがなくて困る日なんてなくて、友達とどんなことを話したかとか掃除の時間にどこの当番だったかとかそういう普通の出来事を書いて最後のほうにちょっとだけ、その出来事でどう思ったかをつけ足せばだいたい日記は出来上がりです。先生が、ふだんわたしたちがどんなことを思っているのかを知るために日記を書かせているということはよくわかっているので、どういう日記にすれば良いかということもだいたいわかります。簡単です。

わたしが大変だと思うのは、そういう簡単で先生が満足してくれる日記を書こうとするときに、別に書かなくてもいいようないろんな出来事を思い出すことです。最近は前の学校にいたときのことをよく思い出します。□町はちょっと変な所だったのかもしれないと思います。お母さんが、住んでる間は言えなかったけど、今まで引っ越した中でも独特な雰囲気の町だなと思っていた。と話して、お父さんに怒られていました。

変な町から転校してきた生徒が、前にいた所でこんな変なことがあって、ということを毎日の日記に延々と書いて提出してきたら、先生は反応に困ると思います。だから日記には反応に困らないような提出するための文章を書いています。

頭のなかには書くことができないことがいっぱい残っていて、日記用のノートを開くとそれらを思い出します。思い出す出来事は毎日増えていきます。それを無視して普通の日記を書きます。思い出すことがかなり増えてきているので、それを書かないようにするのが大変になってきました。

それで頭のなかでこの日記を書いています。□町に住んでいた頃にあったことを、もしも日記に書くとしたらどう書くかを想像しています。

転校してきた日に先生はわたしに「もう大丈夫だからね」と言っていました。何かこわい目にあって逃げてきた人を安心させるためにかける言葉だと思いました。わたしには、とくにこわい思いをしたというつもりはありません。ただ、変なことがいっぱいあったなあ、と思っています。そのかわり、転校してきたから何かが安心になった、何かが大丈夫になった、という気も、全然しないのです。

こんなこと聞かれてもやっぱり困ると思うので頭のなかの日記に書いているのです。わたしは、大丈夫になったのでしょうか。

社宅の隣の町内からバス通学が認められていました。わたしは徒歩で□小学校に通っていました。だいたい四十分ぐらい歩きます。

その朝、大きい道路に出ると、あたりいちめんに真っ白な霧が出ていました。通りに出る前に橋を通って小さい川を渡るのですが、その川から霧が立ち上っているのです。

朝早くに家を出て一人で学校に行くようになってから、霧の日はたびたびありました。他のみんなと同じくらいの時間に家を出ていた時期には見かけなかったので、霧は朝の本当に早いうちにだけ漂っていたのだと思います。

川霧のなかを少し進んで横断歩道で大きな通りを渡って、少し細い道に入ると、あとは学校まで徒歩三十分ぐらいの直線です。川から遠ざかるので霧も薄くなっていました。その霧の向こうから三輪ババアが現れたのでした。

こっちの小学校の学区には、生徒たちのうわさになっている老人はいないんでしょうか? 転校してきてから、まだ聞いたことがありません。三輪ババアは□小学校の近くに住んでいると言われているおばあさんでした。いつも三輪の自転車に乗っていて、その自転車はちょっと変わっていました。三輪自転車はほかにも見たことがありますが、たいていは小さい子の乗るそれと同じで、前輪がひとつで後輪がふたつです。三輪ババアの三輪自転車は、前がカゴをはさんで二枚の車輪、後ろが一枚の車輪で構成されていました。

三輪ババアは雪が降っても三輪自転車で爆走している、あの三輪自転車は自分で作ったらしい、バランスが悪いのでよく転ぶ。と、集団登校のときに他の班の子が話しているのを聞きました。自分たちの班は全員同じ社宅でそれぞれあちこち転校している家の子供たちなので、町のうわさ的な情報はよくそんなふうに立ち聞きして得ていました。

その朝が、秋の終わりごろだったことを思い出しました。だから川に霧も出ていたのです。初雪はもう降ったあとでした。早朝の細い道で、ほかに歩いている人もいなくて、車も通っていませんでした。三輪ババアは人気のない道をこちら目がけて走ってきます。舗装が傷んでいるせいでその姿は霧のなかでがくがくと揺れながら少しずつ大きくなってきました。遠くてはっきりしませんが、三輪ババアはわたしのほうを見ているように思えました。  

わたしはそっと道路を斜めに横断して、反対側を歩き出しました。毎日四十分ぐらいの通学路を行き来していると、話したくない子だとかよそ者と見てからかおうとしてくる子と同じタイミングになることもあります。放し飼いの犬もたまにいます。ぼんやり歩いていることはできません。接近したくない相手と接近することを防ぐために早めにルートを変えたり道路をはさんで距離を取ろうとすることは、身を守るために自然とやっていました。そのときもそうしたのです。

ところが三輪ババアはわたしのいるほうに急激に三輪自転車のハンドルを切りました。そして派手に転びました。ハンドルの切り方が明らかに無茶な感じだったと思います。車体は逆くの字になってそのまま道路の真ん中に倒れ、地面に投げ出された三輪ババアが長い髪の毛を空中に広げながらごろり、ごろりと転がるのをわたしは見ました。

こういうときどうすれば良かったのでしょうか? 不気味な人物としてうわさされているおばあさんと距離を取りたくて道を渡った、道を渡ったせいで彼女は急いでハンドルを切った、そして転んだ。わたしが少し悪いんでしょうか。とりあえず「大丈夫ですか」と遠くから声をかけてみました。返事はありません。道の上で三輪ババアはじっと転がっています。まさか死んではいないだろう。そう思いながらゆっくりと近づいてみました。

それにしても彼女は何故わたしのほうへハンドルを切ったのでしょう。集団登校のとき、他の班の子たちがこうも言っていたのをそのときになって思い出しました。三輪ババアが冬でも三輪自転車で走ってる理由知ってる? わざと転んでケガするらしいよ。なんでわざとケガする必要があるんだよ。知らねえよ。

霧の湿気で濡れたアスファルトの上で三輪ババアは手足をぴくぴくとうごめかせてもがいていましたが、たしかにわざとらしい動きだと思いました。息を殺して彼女のほうに進みながら、わたしは男子たちの会話を記憶から探り出しました。ケガさせられた! って怒って追いかけてくるらしいよ。マジかよ。連れ去られた奴いるらしいよ。どうなったのそいつ。知らねえよ。見かけたら逃げろよな。やっつけようぜ。バカ、やべえって。

ねえ、どうしてこんなに早い時間に学校行くの。うちに寄っていってよ。寄っていくでしょう。お茶とお菓子ぐらいは出すからさ。時間あるでしょう、学校まだ始まらないでしょう。学校の前にさ、いいじゃないの、少しうちに寄っていっても。

うちにはほかに誰もいないの。だから何も気にしないで上がっていっていいのよ。あたし、一人暮らしなの。前は旦那も子供もいたんだけどさ、本当よ。でも今は一人なの。身軽な一人暮らしなの。みんなは家族と狭い家に肩寄せあってさあ、おばあちゃん、ご飯ならもう食べたでしょう。とかおばあちゃん、テレビの音がうるさいよ、とか言われながら暮らしてるんでしょう。どうせみんなそんな感じなんでしょう。あたしはそういうのと違うの、生き方がね。だいたい、あたしいくつに見える? 聞いたらびっくりするよ。若いねって昔からよく言われるの。昔からずっとよ。あたしもてるんだから。

もてたからね、旦那のほかにずっと面倒見てくれてた人がいてね。ずいぶん悩んだんだけど結局そっちに行ったの。あんたもいい男を見極められるようになるといいね。その人はね、駅前にビルあるでしょう、それのオーナーだったの。それから店も何軒もやっていてね。すごい人でしょう。女っていうのはね、そういう強い男に愛されなきゃだめよ。愛されなきゃ。

何でも、ほしいもの買ってくれる人だった。指輪もネックレスももらった。店も持たせてくれたんだった。あんたの母さん専業主婦? 主婦にはわからないでしょうね。ご飯つくったり掃除やら洗濯、そんなことして一日終わるなんてあなた変だと思いませんか? あら、思わないんですか。だって家事なんて、勤めてる人だって誰だってやってることでしょう。家事だけやって、これが仕事でございますって、そう言うんですか? ちゃんちゃらおかしいわよ。ってね。

店を持たせてもらったからね。あたしお店をやっていたのよ。ついこの間まで店に出ていたわ。子供は来ちゃだめな所、お酒を飲ませるお店よ。こう、天井にシャンデリアを飾ってね、開店のときにはお花がいっぱい届いてね。毎晩、ドレスを着て、カウンターの中に立ってね、いろんなお客さんを迎えるのよ。毎日がパーティーよ。

いいこと教えてあげようか。男ってねえ、みんなバカなのよ。とっても単純。いろんなお客さんを見てきたから知ってるの。本当にみんなバカ。お客さんが来たらね、あたし、いらっしゃいませなんて言わないの。どうしたのよ、待ってたのに。そう言うのよ。会いたかったわよ。って、いつ来てくれるか待ってたわよ。ってね。ちょっとした気配りよね。それでどんな男も騙されるのよ。特別扱いされてるとか、この女は他の女と違うって、すぐ思っちゃうの。それで喜んじゃって、また遊びにきてくれるのよ。ねえ、バカでしょう。そうやってね、人生思い通りに楽しまなきゃだめよ、あんたも。

あんた、すらっとしていて、美人さんね。顔もお人形さんみたい。自分がきれいだって思っているでしょう。川向こうの、新しい団地の子? お父様は何の役職? 自分がいいおうちの子だって思っているんでしょう。残念だけどね、女の価値はそういうことじゃないのよ。あたしみたいにいろんな人に会って、いろんな経験をして、レベルアップしなきゃだめ。ちょっとこっち見なさいよ。聞いてるの? いくら学校のお勉強ができたってだめなのよ。人生経験から学ばないと。家に寄っていきなさいよ。学校なんかいいから。ねえ。大丈夫だから、ちょっと上がっていって、大丈夫なんだからさ。

小学校はちょっとした山の上に建っていたので、登校には坂を上っていく必要があります。いつも通る坂の真下まで三輪ババアはわたしにずっとついてきて、ずっと話しかけてきたのでした、三輪自転車を押しながら。一言も答えないで歩き続けましたが、言われたことは何故か今でも記憶に残っています。

坂の手前まで来たら、走って逃げよう。と、心の中で決めていました。けっこう急な坂を駆け上っていけば、追いつかれないだろうなと思いました。マラソン大会とその練習でわたしは何度もその坂を走って慣れていたし、三輪ババアの歩きぶりはよたよたしていて、俊敏そうには見えませんでした。何より三輪ババアは三輪自転車を置いて行動することはできないだろうと予想していました。乗るにせよ押していくにせよ、自転車、しかも前輪が二枚の自転車で上れる坂ではないのです。

ところが、いざその地点まで来たら、わたしの頭に別の計画が浮かびました。それで、家に寄るように勧め続ける三輪ババアにわたしは、この近くなんですか? と初めて反応を返しました。

彼女は喜んで、そうよ、すぐそこなのよ、と言いながらわたしの腕をぐいとつかんで引っ張ったのです。指の先に力をこめたかぎ爪のようなつかみ方で、これまでに誰からもそんな触られ方をしたことがなかったので驚きました。三輪ババアの髪の毛や服の袖からは木を燃やしたときのようなにおいがしました。

こっちよ、こっち。と進んでいく三輪ババアの後に続いて、坂の下にある市立図書館の裏手に回りました。車では入れないような細い路地が伸びています。普通は道の両側に引かれているような側溝が苔の生えた路地の真ん中を通っていて、両側には傾いて崩れそうな家が何軒かくっついて並んでいました。三輪ババアはそのうちの一軒の扉を、ここよ、入って。と言いながらガラガラと引き開けました。扉の両脇が波板を何枚か貼り合わせた壁になっている家でした。開いた扉の奥からも、何かを燃やしたような妙なにおいが漂ってきます。

やっぱり大丈夫です、入りません。学校に行かなきゃ。そう言ってわたしは立ち去ろうとしました。図書館まで駆け戻ってその裏庭を横切れば近道で学校に続く坂にたどり着ける。と、逃げるための道筋を頭の中で描いていました。が、三輪ババアは簡単にはわたしを逃がしてくれませんでした。

何でよ! 寄っていくって言ったでしょう! と叫びながら三輪ババアがわたしの腕を再びつかもうと迫ってきたのです。寄っていくなんて言っていません。わたしは飛びのいてそのまま二、三歩離れ、三輪自転車をはさんで彼女と向かい合う形で立ちました。

霧の向こうから三輪自転車を漕いで現れてからここまでずっと、三輪ババアの行動は意味のわからないものばかりでした。しかしこうしてわたしが逃げ去ろうとしたときに三輪ババアの取った動きは、意味がわからなすぎました。

ふわあ、というわざとらしい音を立てて彼女はため息をつきました。そして、その場にどさりと尻餅をついたのです。自分で座り込みながら、誰かに押されて転んでしまったと言いたげに苦しみの表情を顔に浮かべていました。そして、両手でスカートの裾近くを握ると、勢いよくまくり上げたのです。スカートの中がわたしのほうに見せつけるように向けられました。三輪ババアはパンツをはいていませんでした。黒い影に覆われた赤茶けた肌がわたしに向けられていました。

今度こそわたしは全力で逃げ去りました。考えておいた道筋を走り抜けて、そのまま坂を駆け上って、学校を目指しました。この寄り道にそれほど時間はかかっていなくて、いつものように他の誰よりも早く教室に入ることができました。



坂の下でわたしの頭に浮かんだ計画とは、三輪ババアの家の場所を把握することがその第一歩でした。その次に、これはという生徒を探しました。結局、集団登校の時期に三輪ババアのうわさをしていた男子たちに目をつけ、いろいろと時間はかかりましたが、彼らが放課後というとあの家に通っては扉を叩いたり大声で歌いながら通り過ぎたりするようになるのを見守っていました。

今日は彼らが三輪ババアの家に花火を投げ入れる。と聞いて、図書館で本を読みながら待っていました。既に季節は冬が終わって春から夏を迎えようとしている頃で、図書館の前に植えられた桜の木が新緑の色の葉をさやさやと揺らしてきれいだったことを覚えています。

窓の向こうで火薬のはぜる音がしたので、裏口から出て外のようすをうかがいました。男子が四人ほど、無表情で駆け去っていくのが見えました。続いて、三輪ババアが玄関から飛び出します。袖のないワンピースを着ていましたが、着方が間違っているのかそれは奇妙にねじれており、そしてどういうわけか髪の毛から煙がもくもくと上がっていました。

ニュース映像で見た活火山のように煙を上げ続けるその様をじっと観察していると、三輪ババアはこちらに気がついて、あんたが! あんたが! と両腕を振りながら叫び出したのです。狂人の洞察力という言葉をわたしは思い出しました。前に読んだゲームの説明書にあった能力で、正気度が下がった人が逆に強い直感を発揮して物語の真実を見出してしまう、というものでした。三輪ババアは今日までに起こったあれこれ、怯えて逃げるばかりだった子供たちが反撃に転じたことに、わたしが関わっているということを見抜いたのだと気がつきました。

わたしは三輪ババアにだけわかるようににっこりと笑ってみせると、身をひるがえして図書館の中に駆け込みました。追いかけてくるだろうと思いました。

その日からこっちの学校に転校するまでの二か月ぐらいの間は、お父さんが車で送り迎えをしてくれました。お父さん、ごめんなさい。お仕事が大変なのに。そう言うと、お前は何も気にしなくていい。娘を守るのは親として当然のことだ。とお父さんは言っていました。信号待ちのときに鼻水をすすってもいました。自分に酔っているなあと思いました。

三輪ババア一件があるまでのわたしが早朝に誰よりも早く登校していたのは、お父さんが朝起き出すより前に身支度を終えて家を出るためでした。お父さんは仕事のストレスがあるとよく言っていて、朝は起きるのがつらそうでした。お母さんに頼まれて起こしにいくと、起こし方が悪いと言って怒鳴るのです。どいつもこいつもわかっていない、田舎者共に一般常識から教えて統制を取らないとならないんだ、家の中でぐらい人並みに扱ってもらえないのか。そんなことを言いながら壁や机を蹴っていました。それで、起こすのはお母さんに任せることにして、早めに登校して学校で勉強したいと言って家を出ていました。

送り迎えしてもらえるようになったのは楽なので良かったと思います。また、お父さんいつもわたしたちを守ってくれてありがとう、お父さんお仕事おつかれさま、そういうことを適切なタイミングを選んで言い続けることで、彼は急に怒鳴ったり何かを蹴ったりすることが少なくなりました。

三輪ババアはその日図書館で捕まりましたが、すぐに解放されたようで、その後もときどき姿を見かけました。ただ、霧の中で遭遇したあのときみたいに勢いよく三輪自転車を走らせている様子ではありません。地面に落ちている何かを探すようにじっとうつむいてゆっくりと歩いていました。三輪自転車はどこへやったのでしょう。壊れてしまったのかもしれません。

花火の投げ込み事件にわたしが無関係であることは、図書館の職員さんが証言してくれました。いちばん苦労したのはそこです。自分ではなくみんなが自然と三輪ババアの居所を知っている状態にして、その中の誰かがいたずらを行い、自分は見ているだけという形にしたい。そのためには、それまでのわたしのままでいてはいけないと思いました。考えてもみてください。あまり他の子と話したり遊んだりしない、何故か一番乗りで登校して勉強している、転勤族の家の子が、突然に、ねえ三輪ババアの家知ってるんだけど、教えてあげようか? なんて言い出しても、わたしなら断ります。

同じクラスのいろんな子と遊んだり、いっしょに帰ったりするようにわたしはなりました。それと同時に、クラスの外側での人間関係を広げることもがんばっていました。町内子供会とか、委員会とか、そういう場所でのことです。

スポ少でサッカーをやっていて、背が高くてかっこいいと言われている佐藤くんという一学年上の男子がいました。地域合同クリスマス会の準備の日、遅れて入ってきた佐藤くんを手招きして隣の席を空けてあげると彼は素早くそこへ腰かけながらわたしの頭をぽんと押さえるように撫でたので、そのとき、計画は成ったと思いました。座る直前に、待ってたよ。と声をかけたのは効果があったと思います。彼のほかに何人か、そういう人気のある子を中心にして、三輪ババアのうわさと住所が生徒たちに広まっていきました。

先生、わたしは、本当にもう大丈夫なんでしょうか? 両親からはどう聞いていますか。図書館にいたら近くに住む老婆に突然襲われた。その後は明るく振る舞っているが、無理をしているようだ。そんなところでしょうか。

わたしは自分のことは大丈夫だと思っています。ただ、三輪ババアに図書館でつかみかかられたときのことは今でもよく思い出します。裏の戸を開け放したまま館内に戻ったので、彼女はすぐさま追いついてきました。あんたが! あんたが! と叫び続けていました。あのかぎ爪のような指先がわたしの両腕に食い込んで、わたしたちは再び向かい合いました。

キャーーーーーー、と、わたしは叫びました。叫んでいる声を自分で聞きながら、なんだかわざとらしいな、これでいいかな。と考え、息継ぎをして、またキャーーーーーと叫びました。キャーーーーーー、息継ぎ、キャーーーーーー。図書館の職員さんが三輪ババアを引きはがすまでそれを続けました。

あれからわたしの考えることがふたつに分かれてしまったのです。それで日記を書くのが大変になりました。先生に普通に読んでもらうための日記を普通に書くわたしと、日記に書ききれないことを思い出しつづけるわたしとがいるのです。キャーーーーーーというわざとらしい叫びをまだどこかで叫び続けているような気がしています。先生、これは大丈夫なんでしょうか。

おわり

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