見出し画像

白最にょ(白鳥は最初から首がにょろにょろしているの略)、それとレコード

春の田んぼにいる白鳥からは何となく間の抜けた感じが出ている。

残雪が消えてきて、田んぼは一面の泥でぐちゃぐちゃしている。刈られた稲の跡がぼさぼさと突き出ている。ぐちゃぐちゃのぼさぼさである。
そこに白鳥たちは悠然と休んでいる。泥の中にいる虫でも食べているんだろうか。

近くを通り過ぎざま、車の窓越しに見ると、腹側が泥まみれで汚い。背中や羽根も純白ではなくて、多少黄色い。
立ち上がっている姿は不恰好だと思う。真っ黒い両足が泥に湧いた虫みたいに湿っていて、それらがぐちゃぐちゃのぼさぼさでコーティングされている。

そして首が長い。にょろにょろと無駄に長いのだった。
田んぼにいる白鳥が泥の中の何かを目がけてくちばしを突き刺そうとしているとき、首の長さが余って途中で一旦よじれたようになっているのを私は見た。
自宅の洗濯機の、風呂水用の給水ホースみたいだと思った。設置のお兄さんが何故かゆったりめに作ってくれたので、使うたびに持て余している。どうなってるんだ浴槽はこんなに遠くないぞ、何のために余裕を残した? 引っ越さねーぞ? と毎回思うけど、切ってつけ直すのも面倒なのでそのまま使う。

何もない場所、何もない状態で白鳥をイメージするとき、彼らは美しい。というかいわゆるエモい印象というやつを放っている。
空気の澄み切った冬の空を鳴きかわしながら飛んでゆく姿とか、
静かな水面に滑るように浮かんでいる様子とか、
なんかそういう優美さや凛々しさみたいな風情、情緖、空気感、エモさ、をまとったやつとして思い出しがちである。わりと自分は、白鳥のことを。

水かきがけっこういかついな、とか、
首の長さ余ってんな、とかは、まったくイメージの中になかった。
しかし、実際に目にする彼らは泥んこのでかい足でよたよた歩くし首が長すぎて多少ねじりながら何か食べてて、その様子に少しぎょっとさせられる。

でもまあこっちがリアルというか、
白鳥の首は最初からにょろにょろしているのだ。
仕方ありません。


これらをぽちぽち書いてるうちに外は急激に暖かくなって、
気の早い小学生は路上を半袖半ズボンで駆け抜けながら錦鯉のモノマネで絶叫しているし
残雪の隙間で憩う鳥たちもあまり見かけなくなった。それより残雪がさすがに消えてきた。

白鳥たちはそろそろ寒い国に帰ったかもしれない。首をまっすぐ伸ばしながら羽ばたいて。


日曜は少し遠くまでドライブした。
片道一時間半ぐらい、娘は気が向いたときしか会話してくれないし、休日ドライブらしい雰囲気を出したくて音楽をかけることにした。

助手席の前の収納にCDをぎゅうぎゅうに詰め込んでいるのでよくケースが割れてる。
信号待ちしながら手探りでデタラメに取り出したのはwowakaさんのアンハッピーリフレインで、これもケースが脱臼していた。長いこと聴いてない。

高速道路に乗るのは久しぶりだった。
天気のいい休日にはお金のかかっていそうなオールドカーやバイクにどしどし追い越される。
何故か威圧的な運転をする人も多いし取り締まりも多い。私は取り締まりのほうを応援するぞ。安全運転是名馬。
と、やや緊張しながら海を目指して流れていった。

そういう状態で聴く「裏表ラバーズ」とか「ワールズエンド・ダンスホール」とか、
いちいち全曲イントロ0.1秒で心臓のあたりに突き刺さってくる。
単純に懐かしい! そして今聴いてもやはり良い…! っていう気持ちはもちろんあるんだけど、それだけじゃなかった。

これをよく聴いてた当時のつらい出来事とか仕事の不始末とかやり場のない怒りなどさまざまな思い出(いい思い出ないのか?)が、
詳しい回想の形を取る前に鋭い痛みだけをビシビシと心に叩きつけて超高速で過ぎ去っていった。

よくわからないまま
あーーーーー! って叫んだ。
歌っているていで。

(で、海辺の観光地に着いた。
娘が人混みを嫌がるので、主に古い商店街を散策して写真を撮って遊んだ。)

帰り道にも同じCDをかけながら、
今、わたしは、果たして音楽を聴いているんだろうか…?
と、突然思った。

さまざまなあまり良くない出来事によって細かい傷がいっぱい刻まれた心があって、
そこに当時好きだった曲たちがまっすぐに突き刺さってきて、
悲しみや苛立ちなどの感傷が音に合わせて思い出されていく感覚があったのだった。

そうだとしたら、再生されているのは自分の頭の中にあるディスクだと思った。
心臓のあたりが痛むのはマジなので、頭の中じゃなくて胴体のほうなのか、ある位置は。

傷に音楽が食い込んではいろんな思いを引き起こす感じからすると、
そこにあるのは鏡みたいに光るディスクよりはレコードなのかもしれん。 

などと考えながら引き続き安全運転で帰った。煽りぎみに追い抜いてったワゴン車が数キロ先で取り締られていた。お疲れ。

娘は前より学校に行くようになった。
行く時間が安定しないので当面は自分が送り迎えに合わせた生活をしてる。
昨年末に仕事を辞めてから本当にまったく何もしてないけどこのままでもまあいいか〜と思っている。

ドライブに出たがるのは相変わらずで、
学校の後でまっすぐ帰らずに小一時間ほど遠回りして車を走らせてる。
雪が積もっていた時期は除雪の行き届いている国道ばかり選んでいたけど、
路面がすっかり乾くようになってからは田んぼに挟まれた静かな道をどんどん走る。

そういうときは、田んぼやその手前の歩道に鳥がいるのを見つけては娘に知らせるのがお決まりになっていた。
スズメやカラス、セキレイ、野鳩みたいなやつ、これらは歩道にいて跳ね回ったり田を覗き込んだりしている。
田の中にいるのはサギと白鳥。サギは白いのも灰色のもいて、突っ立ってどこか遠くを見つめている。
白鳥がいちばん面白い、見つけたときにうれしい、というのが、私と娘の共通した見解だった。

娘が言うには、三月頃までの白鳥は汚かったらしい。
ええー今も普通に汚くない? めっちゃ泥だらけだし首がにょろにょろしてっし。と言うと、
そういう汚さではなくて、もう全身が黒っぽくくすんだやつが何羽もいた。あれはやばかった…。と。

雛から羽根が生え替わる途中の白鳥だったのかもしれない。
私は黒っぽいやつは一度も見つけられなかった。

みにくいあひるの子、絵本やアニメであいつは、魔法みたいに一瞬できれいな成鳥になったかのような描写がされてなかったか?
体格が成鳥並みに育って首がにょろにょろしてて、羽根は黒っぽい、っていう時期が本当はあるんだろうか。えぐいなそれ。

来年は自分も、白鳥の狭間の姿を目撃してみたい。

しかし来年の今ごろ何やってるのか見当もつかない。
何なら秋口、白鳥がまた渡ってくる時期のことさえも決まってない。

もしかしたらこの春に見たものを能天気にぜんぶ忘れて、
今年も白鳥が戻ってきた…空を行く姿が美しい。
などとエモツイートをかましているかもしれない。

あり得る、実際あり得る。バカだからな。

書いておかないと忘れてしまって、
忘れたこと自体を忘れちゃうようなことがいっぱい起こっているような気もする。
今、こうしている間にも。

また何か思いついたら書きます。
今日はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?