ロバート・ジリアンという男について

O・ヘンリーの名前は知らなくとも"賢者の贈り物"という物語を聞いた事がある人は多いのではないだろうか。
夫婦がクリスマスに互いにプレゼントを渡す。しかし、貧乏ゆえに高価な物は贈れない。
思慮を巡らして決めた二人のプレゼントと、その結末は。
というのが"賢者の贈り物"のあらすじだ。そして、その作者がO・ヘンリーである。
O・ヘンリーはサキと同じく短編の達人、名手として知られ、有名所では"最後の一枚"や"よみがえった改心"などが挙げられる。
ニヒルで悲観的な短編を作るサキと比べて、O・ヘンリーはユーモアと数奇で物語を編み出している。
僕の「O・ヘンリーでオススメの話は何か?」と聞かれた時のストックは、十は下らない。
その一つ一つを紹介していては全く話が進まないので、今回はある一つの、僕が最大に愛する主人公の話をしよう。
タイトルは"千ドル"。主人公は我らが愛すべき一族の厄介者、ロバート・ジリアンだ。

余談だが、これから話す"千ドル"が収録されている光文社古典新訳文庫より出ている芹澤 恵翻訳の「1ドルの価値/賢者の贈り物」がかなり読みやすく
またamazonのkindle unlimitedなら無料で読めるのでお勧めしておく。

前置きが長くなってしまったが、もう一つだけ注意を入れさせてほしい。
あまりこういった注意は好ましくないと知っているが、これをしないとお叱りを受ける可能性が多分にあるためする。人に怒られたくない。

僕がする話の都合上、これから千ドルについてネタバレをするどころか、思い切り踏み込んだ考察をする。
そのため、読む予定か興味を持った人はとりあえず読んでからにするか、僕のことを忘れて欲しい。

さて、"千ドル"の話だ。
場面はジリアン青年が弁護士に「千ドルです」と告げられる所から物語は始まる。
この千ドル(現在の価値にして約200万円~300万程度)は亡くなった祖父からの遺産で、これを使い切って報告することが叔父の遺言であると弁護士は語る。
叔父はとんでもない金持ちであり、叔父の脛を齧っていたジリアンにとって千ドルははした金のようなものである。
物語の端にはジリアンは甘やかされた環境により、人を小馬鹿にして食ったような内面を持ち、足りすぎた裕福さは彼の人間関係を腐敗させ、彼自身がそれに倦んでいるような様子が描かれる。
そんな彼にとって千ドルとは派手に使うには少なく、安酒を買って寝るには多すぎる額だった。
そこで、話のタネとして、あるいは自身の好奇心を満たすためにジリアンは様々な知人と他人に千ドルの使い道を尋ねて、決めることにする。

あるものは、高価な宝石をプレゼントすればいいと語り。
あるものは、店を開いてさらに金を稼ぐべきだと語り。
あるものは、千ドルがあっても何も変わらないと語る。

そのどれもが、結局はジリアンの満足のいくものではなく。
考えあぐねた彼は叔父の後見人で、叔父の友人の娘であるヘイデン嬢に思い至る。
彼女も"一応"は叔父から遺産を受け取っており、内容は十ドルと印章のみ。
ジリアンは弁護士に確認した後に、決める。
彼はヘイデン嬢に会い、弁護士の不手際があったと嘯いて叔父からの遺産だと、千ドルをそのままそっくり渡してしまう。
ここで、唐突にヘイデン嬢に愛の告白をする。「君のことが前から大好きだったんだ」といった調子で。
この告白は本当に突然で、ジリアンの様子を振り返ってもヘイデン嬢に対して哀れみはあっても好意は描かれていない。
さらに、プレイボーイである様子から、彼の愛の告白が全く本気であると思えない。
当然、その申し出はヘイデン嬢に断られるのだが、彼はそれを承知していたかのようにほほ笑む。
そして、ジリアンはヘイデン嬢からペンを借りると千ドルの報告書にこのように記す。

「一族の厄介者こと黒い羊であるロバート・ジリアンによって、千ドルは永久不変である幸福の象徴、この世で最も善良にして親愛なる女性のものとなった」

ジリアンはその足で弁護士に会い、報告書を放り投げて使い切ったと告げる。
弁護士達は語る。叔父の遺言には追加条項があった。
ジリアンの使用した千ドルの使い道によって彼が叔父の真の遺産、五万ドルを受け取る資格があるのか判別する、というものだった。
もしジリアンにその資格がなければ、五万ドルはすべてミス・ヘイデンのものとなる。
そう告げて、報告書をあらためようとする寸前でジリアンはそれを取り上げてビリビリに破いてポケットにしまう。
そして「賭け事に使ってしまった」などとまた嘯いてから、口笛を吹きながらエレバーターを待つ彼の姿で物語は閉じる。

この"千ドル"というストーリー、並びに主人公のロバート・ジリアンという人物は実に奇妙だと僕は思っている。
ジリアンはお金に興味がない性格なのだろう、と感じるが五万ドルといえば現在価値で一億円はある。
金銭感覚がぶっ壊れていたとして、一億円もらってもなぁ、とはならないだろうし、物語の開始時点のジリアンならば大喜びで受け取り浪費しただろう。
またヘイデン嬢に遺産を譲り渡す、という善行をしたのだからジリアンにはそれを受け取る資格がある。なのに、辞退するどころか、善行そのものを自分で否定してしまう。
さらに、ジリアンによるヘイデン嬢への突然な愛の告白。
話の大筋は不真面目な青年が改心したというキャッチーな展開で「そういうハッピーエンド」を描くならば、上記の二点は不必要どころか、無駄な味付けですらある。
この二点を皮切りに"千ドル"という物語を紐解くことで、何がこの物語を複雑にさせ、僕の心を躍らせているのかを説明しよう。

まず、ヘイデン嬢に千ドルを渡したジリアンが愛の告白をしたのは当然、本気ではない。
彼はヘイデン嬢を試したのだ。ヘイデン嬢からすれば、ジリアンは大金持ちの叔父の遺産を受け取っているはずである。
さらに"後見人である自分ですら千ドルの遺産が貰えた"という事実が、ヘイデン嬢の視点では存在する。
仮にヘイデン嬢がジリアン青年の愛の告白に応じたとしよう。
そうすると、ジリアン青年の立場から見てヘイデン嬢は"金持ちの叔父の遺産を受け継いだ男の金を当てにする女"ということになる。
ジリアンはそこをはっきりさせたかった。
もし善良だと信じ愛するに値すると女性が、ジリアンという人間ではなく背景に積まれたお金しか見ていなかったら?
自分が今まで付き合っていたであろう、心の無い愛を方便に金を引き出すことしか頭にない欲深な女であったら?
彼女が見え透いた偽りの告白を受け入れたならば、ジリアンはひどく落胆しただろうし、こんなものか、と鼻で笑って、自身に芽生えかけた善性を捨て踏みつぶしていたことだろう。
ジリアンはヘイデン嬢が善良であると信じ、試し、そして、ヘイデン嬢は真実そうだった。ジリアンはヘイデン嬢を通して善なるものを見て、満足した。だから、ほほ笑んだのだと、僕は考えている。
ヘイデン嬢が真に善人であると証明できたため、彼は報告書に「千ドルは永久不変である幸福の象徴、この世で最も善良にして親愛なる女性のものとなった」と書き記すことが出来たのだ。

補足として僕ではなく、他に千ドルを考察をしている人が「エンディングを迎えたジリアンがヘイデン嬢とくっ付いてハッピーエンド」という展開を阻止するために、ジリアンを振らせたと書いていた。
なるほど、確かにその可能性もあるな、と思う。
同時に、もしそうであれば、この物語は徹底的にジリアンが大金を得てハッピーエンドを迎える展開を潰していることが分かる。

もう一つの疑問、なぜジリアンは最後に五万ドルの遺産を放棄したのか?について語ろう。
ヘイデン嬢に譲り渡すためだ、とか、自分の善行が大金に変化してしまうのが嫌だったから、とか。
そういうった解釈が一般的には好まれている。
だが、僕はそうではないと思っている。
千ドルにおいて、大金は何を示すのか?
この物語の大金とは、叔父の遺産。
そして、ジリアンにとって叔父の遺産とは"叔父そのもの"である。
冒頭から散々、ジリアンは放蕩し不真面目で軽薄で金がなければ何も持たざる人物であるように描かれている。
これはジリアン自身が甘えていたせいもあるが、間接的には可愛い甥のためにいくらでも金を出した叔父がそうさせている。
読者は千ドルを通してジリアンが何も持っていないことを知らされる。
千ドルを人に渡すための努力も出来ない。千ドルで誇れる何かを為すことも出来ない。そもそも千ドルを稼ぐことすら出来ない。
今までは叔父がいたので、彼は困ることはなかっただろう。しかし、叔父が死に、あてにしていた遺産は千ドル。
いまさら生き方を変えることは出来ない。ジリアンにとって千ドルとは彼自身の破滅そのものであったはずだ。
彼は、それでも破滅を受け入れることが出来なかった。というより、破滅に対してどうこうしようとは全く思っていない。
それ程、ジリアンの人間性は麻痺していたのだろうと思うし、叔父が大金を通してジリアンに施したモノは呪いは強力だった。
亡くなった叔父はジリアンが浪費しているのを知っていた。そのうえで金を渡しており、身勝手にも遺言で「善行をしていたら大金を上げるよ」とのたまっている。
叔父からすればお灸をすえたかったのか、あるいは、ジリアンが自分が誇れる善性を持つ人物だと信じたかったのかもしれないが、はっきり言う。
冗談じゃないだろ、それは。
何故なら、ジリアンがそうなったのは大金があったからで、善人だったら大金を渡す、というのは何も分かっていない人間の妄言だからだ。
良いことをしているつもりなのだろうが、言い換えれば「私が施した呪いを解くことが出来たなら、新しい呪いをプレゼントしよう」と言っているのと変わらない。
もし、最後にジリアンが自分の善行に安堵し、その報酬として大金を受け取ってしまえば、彼は一生呪われて生きていくことになる。
自分自身を見失いつつある彼が、善性を取り戻せるチャンスを手にしてなお最後に大金(叔父)を頼れば、それは何よりも不幸なことだろう。
ジリアンはヘイデン嬢を通してこの世に善なるものを見た。そして、自分もそういう道を歩みたいと少なからず思ったはずだ。
そこで、何もかもを台無しにする金という呪いを、彼は最後に振りほどき、自らの生涯に善の楔を打ち込んだ。
千ドルはありきたりな骨子でありながら、飄々とした捉え所のない雰囲気がある。だが、なんてことはない。この話はロバート・ジリアンという一人の男が自らを克服し、一人立ちするまでの話だ。
五万ドルを受け取らなかったことでジリアンは今後、苦しい生活をするだろう。
しかし、彼は口笛を吹きながらエレベーターを待っている。
呪いをかけられた青年は最後に「ロバート・ジリアン」になれたのだ。
彼は彼の道を定めた。
僕がロバート・ジリアンを、RLスティーブンスンの"新アラビア夜話"に出てくるフロリゼル王子と並ぶ最高の主人公であると思えるのは、全てそこに集約される。
何者でもなかった人間が、最後に輪郭を持って物語の幕を閉じる姿は何よりも美しい。

千ドルは、そういう話だ。


明日は「我々はコンビニで何を買うべきか?」について語ろうと思う。


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