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好きなものの理由を考えてみる
この記事は言語化コミュニティアドベントカレンダー8日目として書かれた記事です。
誰しも文章の癖ってある。
自分の日記、note、言語化コミュニティの投稿…今までの文章を眺めていてそんなことを思った。友人にも「匿名で投稿されていてもnitlonが書いたとわかる」と言われるほどなので、多分合っていると思う。
文章の癖、こと私においては「〜すべき/すべきでない」という結論に至りがちだ。もちろん、より良い人間、もといマシな人間になるにはそういった考えも必要だ。
しかしこの語り口の欠点は、どうしても暗い気持ちになってしまうという点だ。内省的な文章を書いていると陥りがちになる。
そういうわけで、今回はせっかくの機会だし、好きなもののことだけ考えて文章を書こうと思い立ったのだ。
好きなものを語るのは簡単でも、好きなものがなぜ好きかを語るのは難しい。「好きな野菜はなんですか?」と聞かれれば胸を張って「ししとうです!」と答えるが、「なぜししとうが好きなのですか?」と聞かれると「昔から好きなので…」としょんぼりしてしまう。
じゃあ好きな理由を探すメリットは何かと言われれば、新しい好きなものを見つけやすくなる点だ。人にもオススメしてもらいやすい。例えばポルノグラフィティが好きな人に他の音楽をオススメしようにも、その人がロックが好きかポップが好きかラテンが好きかアニソンが好きか分からなければ難しい。これは自分で新たな音楽を探しに行くときも同じだ。
前置きが長くなってしまったが、早速好きなものの好きな理由を考えていこうと思う。とはいえ、全部の好きなものについて考えるのにはこのスペースはあまりにも狭いので、音楽、小説、場所の3つについて語っていく。
まず音楽。これはどこまで範囲を絞るか悩むところだが、ロック、特にガレージロックが好きだ。ガレージロックとはWikipediaによると、
ガレージロック (Garage Rock) は、1960年代半ば以降に台頭したロックの1ジャンル。後にガレージパンクとも呼ばれた。1970年代前半に一時忘れられたが、パンク・ニューウェイブ隆盛の1977年以降に再評価された。
ガレージロックとは、ガレージ(車庫)で練習するアマチュアバンドが多かったことに由来する名称である。1960年代のアメリカ合衆国を発祥としている。シーズ[1]、シャドウズ・オブ・ナイト、スタンデルズ、カウント・ファイブ、シンジケート・オブ・サウンド、ディック・デイル、キングスメンなどが代表的ミュージシャンとして知られている。
個人的なイメージだと、ギター!ベース!ドラム!って感じの曲が多い。メジャーで活躍するバンドに比べて楽器構成もシンプルで、技巧より初期衝動、華やかなエフェクトより歪んだギター。この荒削りでも力強い感じに惹かれるのだと思う。
最近気付いたがどうやら私は疎な音楽が好きらしい。こんな言い回しがあるのかは分からないが、音が詰まっていない音楽ってことだ。ストリングスやホーンを含む華やかなロックも嫌いじゃないが、ざらついていてそれこそガレージで録ったんじゃないかというロックが好きだ。
最後に私からガレージロックのバンドをおすすめすると、The Gimmiesというバンドが最高にかっこいいので是非聴いてみてほしい。
次に小説。最近いしいしんじさんの小説を好んで読んでいる。別のnoteの記事にも書いたが心にグッときた。感想ツイートを垂れ流していたらなんとご本人からリプライをいただいた。
いしいしんじさんの小説、絶対に別れが来るよな…逆にやってくるものもあるんだけどさ
— nitlon (@nitlo_tos) October 14, 2021
ちょっと不思議な、ファンタジーめいたシチュエーションで唐突に別れが来るの、最初から暗い話よりよっぽど心にくるもん…別れっていうことの純粋な悲しさを突きつけられるからさあ
— nitlon (@nitlo_tos) October 14, 2021
いしいしんじさんの小説他にも買いたいんですけど、あんまりにも悲しくてそりゃないよ…みたいな気持ちになってしまうのでちょっと怖い
— nitlon (@nitlo_tos) October 15, 2021
ありがとうございます、書いたものです。うーむ、考えさせられました。別れも贈り物の梨も、いい温泉も死んだ魚も、子どもの笑みも台風も、ぜったいに、思ってもないときにやってきますよね。襲われ、そしてこころに刻む。それが「自然」とするなら、僕は徹底的に「自然派」の小説家です。
— いしいしんじ (@umiusi141) October 16, 2021
ありがとうございます、そして、ごめんなさい、書いたものです。本を読むのは、あくまで楽しむために、と思っています。ただ、書くのも同じです。悲しい話を書こうとは思っていません。人間の生きる本質に「喜怒哀楽」の「哀」があると思ってます。読んでいただけると嬉しいです。
— いしいしんじ (@umiusi141) October 16, 2021
ツイートですらこんなに文章が美しいのか…と感嘆のため息が漏れた。返信を考える私の心情は察するに余りあるだろう。だって好きなイタリアンレストランのシェフに「いつも美味しいイタリアンをありがとうございます。これはそのお礼です。」と言って自分で握ったおにぎりを差し出すようなものだ。何を書いても陳腐な文章だなあと思ってしまうのも仕方がない。
話が逸れたがここにある通り、いしいしんじさんのお話には唐突に別れがやってくる。それはもちろん悲しいし切ないことだが、それを読みたがっている自分もいる。そこでこのお返事を読んで納得したことがある。おそらく私は別れのある文章を読んで「哀」の感情を補充しているのだ。
人間、「喜怒哀楽」を幾らかずつ混ぜ合わせながら日々生きていると思うが、哀って意外と感じることが少ないのではないか。プレゼントを貰えば嬉しい、楽しみにしていたお菓子を取られれば腹が立つ、お笑い番組を見れば楽しい。でも哀しみって日常にあまり含まれていない。日常に不意にやってくるものではあるけど。そこで日々欠乏しがちな哀しみという栄養を小説から摂取しているのだ。きっと。
だからこそ私はいしいしんじさんの小説が好きなんだろうと思う。悪いやつや嫌なやつが出てこないお話の方が優しいぶん哀しい。
長くなってしまったが、最後に好きな場所の話を。これもまた別のnoteの記事で書いているが(好きなものの話は何度だってしてしまう)私はとにかく海が好きだ。
海が見える町で育ったこともあり、人一倍海が、それも陸から眺める海が好きだ。SD カードもスマホのカメラロールも海の写真がとても多い。
好きな理由はいくつかある。一つ、青色が好き。二つ、海の向こうに思いを馳せるのが好き。三つ、開けた感じが好き。
よくよく考えると、とにかく海を眺めるのが好きなのだ。これに関してはそれ以上でも以下でもなかった。
人は好きなものを語るとき饒舌になる。この記事も御多分に洩れず長々と書き散らしてしまった。「お前こんなん好きやろ」というものがあれば是非オススメしてください。
冒頭に「〜すべき」と言わないためにこの記事を書くと宣言したが、結局「好きなものの理由は解明すべき」という結論に落ち着いてしまった気がする。癖も好きなものも、自分の核にこびり付いてなかなか取れないものという点では同じだろう。
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