おめでたいこと。
この1月、
友だちのところに、
赤ちゃんが産まれました👶🏻
このご時世なかなか会いには行けませんが、
盛大にお祝いしたいです。
ハッピーなお知らせを聞いて、
ふと思いだしたことを書きます。
私は、周りのひとの感情に少し敏感です。
最近認識したのですが、どうやら敏感なようです。という感じです。
ずっとそれで生活してきたので、
そうじゃない感覚がよくわかっていません。
今会話をしている目の前のひとが、
なにを考えているか、
なにを感じているか、
がとても気になります。
発している言葉以上に、
そのひとの雰囲気や声色、表情から受け取る情報量が多いです。
そしてそれは、
自分のことをよく思っているか、
そうでないか、
の判断材料になっています。
冷静に考えると、
それは想像でしかないのですが。
知っている人でも、
知らない人でも、
そうです。
駅や人ごみでたまに見かける、
露骨に苛立ちを表現する人や怒っている人。
自分が言われたわけでも、
よくない態度をとられたわけでもないのに、
落ち込んだ気持ちで帰路につくことがあります。
その話をある人にしたとき、
「その感情をもらいもの、お土産だと思うのはどうだろう?」
と言われました。
ふむ、ふむ。
良いことも悪いことも、自分に起こることはすべて成長するためのギフトといいますが、
そんな考え方もあるのか、と。
よく考えたら、
ものすごくハッピー!!な気持ちを持って帰ることって、
自分が当事者でないとあまりありません。
(冷たいかな。)
きっと同じくらいの比率なのに、
こういうのってやっぱり良くないことの方が印象に残るのか、
不思議ですよね。
つまり私は、
「悪く思われてないかな、大丈夫かな?」
といつも気にして生活しています。
きっと読んでくれているあなたにも、
そんなときありますよね。
私のそんなことのお話でした。
続きはまた今度。
おやすみなさい。
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