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お笑いをアップデートせよの感想

あっちゃんって本当おもしろいし頭いいなって思う。

以下、【落合陽一×中田敦彦】さんのWEEKLY OCHIAIを視聴した感想です。

あらすじは↑に掲載されています。

序盤では

いかにこれまでのTV番組が視聴者をマスで捉え、いかに「広めること」に注力してきたか
直接課金と広告収入の違い。TVもYoutubeも圧倒的広告収入に頼ってきた。が、Netflixの成功を見てもわかるように、時代は直接課金だ。
Newspicsがそう。直接課金で生きている人間だけが説明しなくていい。

といったようなことが語られてトークが始まります。

自分を「直接課金プレイヤー」にすることで、選択肢が広がる。

最近ではそういった「自分らしさや自分特有のスキルを発揮することでセルフブランディングをし、それをビジネスに繋げていきましょう」という思想に推移している人が増えてきているように見えます。(クリエイター界隈だけかもしれませんが。。)

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その後、

従来のお笑いのビジネスモデルがうまくいかない理由はコンテンツの問題だと言われるが、実はプラットフォーム側が変化している。TVは見ている人に合わせる速度が速い。
高年齢向けに作られているTVは、芸人にとってもはや泥舟である。

という文脈から語られた、

NewsPicsは難しくて基本的にはわからないけど、「時々わかる」内容がおもしろくて観る。

という発言を聞いて個人的に感じたのは、コンテンツにはやはり逆張りが必要なのだな、ということ。

人は飽きる生き物。

あたりまえに過ごす日常に慣れてしまって忘れているかも知れないけれど、人間というのは本来、見たことのないもの、やったことのないこと、行ったことのない場所を求める生き物なのです。

ムーブメントというのはそれ故に起こるし、何かの現象が飽和すればまたその逆が求められる。その「波」に乗ることも大事だけれど、もっと大切なのは、フレキシブルにその潮流を感じ取ること。

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漫才の始まりは「めでたい時にお祝いの乾杯をするひと」だったらしい。
その中の「祝の言葉を言わない流派」が亜流としてお笑いの先駆けとなった。

これは普通に雑学好きの知識としておもしろいなって思ったお話。

中盤ではあっちゃんがビジネスの視点についてお話します。

あっちゃんが芸人になった理由は、ゴールドラッシュ。ビジネスチャンス。売れたらお金になると思ったからなった。
ヒカキンはYoutuberのレジェントとして先陣を切っているからこそ、オーバーワークを控える方向に引っ張っていくと良いと思うし、そうなっていくんじゃないかなぁ。
若年層がTVを見ていないのであれば、見てくれる層がいる場所にいく。そこがビジネス界だった。

といった言葉の端々ににじみ出る、いい人感。と同時にすごく冷静にジェネレーションを分析している観察眼にも驚かされます。

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お笑いにはスタープレーヤーになる以外の出世コースはないのか?

ここが、私が一番おもしろいなと思ったトーク内容。
なぜなら、あまりにもデザイナーに酷似しているなぁと思ったから。

あっちゃんが脱プレイヤーを目指し、バラエティの本数を減らした時の周りからの反応は「干されている」「強がるな」だった。
プレイヤーが一番おもしろい。

といった話が出てきたけれど、これは実はデザイナーやプログラマー業界も同じ。

手を動かすプレーヤーの方が圧倒的に楽しいし、それがやりたくてクリエイターになったんじゃん!!って人は多いと思います。

ディレクターやデザインコンサルタント、プランナーみたいな立場はデザイナーの上位互換だけれど、それは経営者とはやはり立場が違う。

最近クリエイター界隈でフリーランスを目指す人が増えているのは、まさに「自分を直接課金に耐えうる人にしたい」っていう潜在意識の潮流のひとつなんじゃないかなぁと感じています。

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作れる笑いと作れない笑い

お笑いのコンテンツとはなんなのか?
という文脈において、

その人じゃないとできないネタはリスペクトされる。

という話がありました。これはきっと(特にコンテンツビジネスをしている業界では)どのレイヤーでも一緒。

デザインにもセオリーは存在しますが、人気のあるデザイナーというのは、「その人らしい」デザイン、もっというと「その人でないとできない」デザインができるような人のことを指すのではないでしょうか。

私がここ最近やたらと目標視している「アーティスト」というのはこの究極系で、まさに直接課金の権化であると考えています。

要約すると

膨大なデータを分析することで、セオリーや方法論は抽出可能。しかしそれを元に複製可能であるということは、つまりAIにも代替可能。

ということ。

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その他メモしておきたい言葉たち

あっちゃんもそうなんだけど、頭のいい人の言葉選びってすごく好き。
※(落合さん)の記述がないものは全部あっちゃん

西野さんのおもしろさがきちんと伝わってない話。
西野さんの本の売り方は超血なまぐさい売り方。超芸人っぽい。正攻法じゃ売れないから、ここまでやる!みたいな、そのストーリーがそもそもおもしろい。のに、そこまで掘り下げられていない。
現象として起きる笑い、偶発的、日常的な笑いだけで人が満足するのであれば、商品としての笑いは要らない。作り込まれて泣ける映画には価値があるので人は感動する映画を見に行く。お笑いを発信する意味も同じ。
芸人さんは後ろから見ていて頼もしい。
滑っているようで笑わせているような芸ができる人。
自分は音階のわからないギタリストみたい。(落合さん)
お笑いは武道に近い。
習えばできるものではないが、習熟していくことはできる。
ハリウッド映画やタネを知ってる手品も見ればおもしろい(落合さん)
→ 様式としてのおもしろさはもちろんあるが、それだけになってしまいたくない(あっちゃん)。ハリウッド映画は楽しいが、ハイウッド映画しか世界はつまらないなと思います。

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この議論の私的終着点

あっちゃんの「直接課金の人になる」っていう考え方には私も同感で、まさに私自身が今後目指していきたいなと思っているところでもあります。

それ故に思いを馳せたのは、人がオリジナリティやユニークさを出すためには、どこまでいっても実体験が必要なのだなということ。

トーク中に習熟という言葉が出てきましたが、まさにそれこそがこの思想のキー。習ったらできるものではない。が、観察して体験して失敗して微修正を繰り返して、その空気感の中で学んで習熟していく。そこで培われた経験こそがユニークさにつながることは間違いありません。

しかしことはそんなに簡単ではありません。ユニークさは努力で作れる。けれど、オリジナリティを人に感じさせるくらい突出するには、生まれ持った身体・育った環境・言葉・興味関心・感情…そういった自分の身体性に直結するすべての部分を総動員する必要があるのではと思うのです。

それを最も追求しているのが、私にとってはアーティストで。「人生をアートする」ことが、今後の人類にとってのスタンダードになるのではないかと考えています。

落合さんであれば…「人生をテクノロジーでアートする」
中田さんであれば…「人生をお笑いでアートする」
私であれば…「人生をあそびでアートする」

…ね?こう並べてみると、なんとなくそんなような感じがしてきませんか。

あなたは人生を、なにでアートする?

書いた人:あそび屋Kai

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