生命倫理

米国の生命倫理4原則は「自律尊重」「無危害」「与惠」「公正」である。この中には「尊厳」はない。米国の安楽死の理屈は「自律尊重」であろう。患者の自己決定権は自分のEnd of Life を自分の自己決定権で操作し、選択できるという点なのではないか。つまりは自由の尊重という考え方である。

一方で、欧州の安楽死は慈悲である。欧州の生命倫理4原則は米国とは異なっていて、「自律」「尊厳」「統合」「弱さ」である。つまり、尊厳が入っている。この尊厳については欧州には元々、戦争で戦った戦士が傷つき、もう回復の見込みのなくなった時には、それ以上無用の苦しみを長引かせないために、親友や家族などの近親者が負傷者の命を絶って苦しみから解放するという風習があったそうである。

日本でいうと切腹における介錯人であろう。武士の切腹では真一文字に腹を横に切る作法や横に切った後、みぞおちから縦に、十文字に切る作法があるそうであるが、そりゃやる方は激痛であろう。途中で意識を失えばまだ良いが、なかなか死にきれずに苦しむこともあったであろう。それを防ぐため、切腹後、後ろから切腹者の首を切る介錯人という者がいた。へたくそがやると首の骨に当たってうまく切れず、余計に苦しみを長引かせるため、介錯人には家中随一の剣の名人が選ばれたという。

ギロチン台も今から見れば残酷な道具に見えるが、あれも死刑囚が苦しまずに死ぬために苦心して考案された道具であったそうである。つまり、それまでは王家には首切り役人という者がおり、死刑囚に死刑をする時には、その首切り役人が刀で死刑囚の首を切ったわけである。そして、首切り役人がうまく首を切れなかったときには、死刑囚は絶命するまで長い間苦しまなければならなかった。ギロチン台は失敗なく、速やかに死刑囚の頭部を切り離すことで死刑囚に無用の苦しみを味合わせずに処刑できるという、むしろ慈悲深い道具だったのである。無論、ロベスピエールが反対派の首をどんどん切っていったので血生臭さは変わらないわけであるが。

少し余談が過ぎたが、欧州の「尊厳」は生きる時にも死ぬ時にも発揮されるものである。つまり、不治の病を得た人が病ととことん戦い続け、挑み続けた結果、刀折れ矢尽きて死ぬことも尊厳ある死である一方で、もう回復の見込みがなくなった人の耐えがたい苦痛を終わらせるための「慈悲」としての尊厳死もあり得るのである。この場合の「尊厳死」は積極的安楽死になるかもしれない。

積極的安楽死を認めた上で病者に最後まで生を全うしてもらうためには、社会全体で病者を支え、寄り添い、ケアする必要があるだろう。そりゃ大変な苦痛である。くじけそうになるのが当然な病気なのである。それでもみんなで一歩づつ歩んで行こうや、くじけてもまた立ち上がろうぜ、前を向こうと言い続けなければならないわけである。

「積極的安楽死反対」といえばそれで全てが解決した気になっている人たちは浅すぎると思うのである。


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