泰と否の話(易経の話)

フェミニストさんの話を見ていると結局、以前のエントリーでも示したように易でいう「否」の状態を目指しているわけである。

否の状態は天つまり男性原理が上にあって地つまり女性原理が下にある。天は軽いので上に登ろうとして、地は重いので下に沈もうとする。そうなると一つも交わらないので清潔になる状態である。

幾つか前のエントリーで示した離婚後共同親権反対の弁護士さんが述べていた「離婚家庭はもう高葛藤で修復不可能なのだから無理に交わらせないほうが良い」という趣旨はまさに「否」の思想である。この思想であればもうさようならバイバイよと言って二度と会わなければ幸せにもなれるのだろうが、男に金だけ払えというから厄介になるわけである。無論、女性側にしてみれば元夫側には何の義務も負担もなく金だけ払ってもらえば貰い得なのはわかるけれど、そうなると元夫からお金が渡る分だけ天秤が狂う。それを問答無用とすると歪みが残るので、全体のバランスを取ろうとすれば男側が結婚しなくなるという結果にならざるを得ない。もしくは婚姻中に夫の方が妻側から借金をしてそれを返すという形にしないと釣り合わなくなるわけである。

女性側は育児の負担、アンペイドワークというが、そもそも賃労働を含めれば男女の労働時間はほぼ同じであるし、男の給与は妻側が支配していることが多い。(70%以上でそうだという調査結果もある)それらを全部生産して行くと多分男側が出し過ぎになるので、最初から出さない(結婚しない)というのが合理的な選択になる。もちろんそれでは子供がいなくなって少子化が進むのだけれど、女性がそう言っても離婚したら子供は妻側に取られてしまうのが日本の通例になっているので、少子化解消の利益を主に受けるのも女性側ということになってしまう。結婚において男側に利益になる要素は今の日本にはない。それでも男尊女卑だ、男は恵まれすぎだというのが日本の一般世論である。

なので、男側ができることは女性たちの社会進出を讃えながら、自分たちは自分たちが幸せに生きられる孤独の道を探すことだけだということになる。

これを回避するには「泰」の道なのである。これは地、すなわち女性原理が上、男性原理が下というものである。そうなると下に行きたい女性原理と上に行きたい男性原理は方々で交わらざるを得ないのである。方々で男性原理と女性原理が交わることで様々な問題を解決する必要が生じるが、それは社会を活性化する礎にもなる。

なので、日本では真に女性の社会進出は重要である。女性がそうして上に行くことが社会の活性化に資するわけである。

けれども残念なことにフェミニストさんもいまだに家父長制や男性のホモソーシャルを持ち出してきて「自分たちは下だ!」と大合唱するのみで自分たちがリスクを取って上に行こうとはしないのである。つまりこれは「否」の態度であって、彼女たちがそうする限りは問題はますます悪化して解決する方向にはゆかないのである。

もちろん、女性の中には自分が稼いで夫は専業主夫ですという人も存在するのだが、そういう人はまだまだ少数派である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?