日本には良きサマリア人の法はない

一時期、突然倒れた人にAEDでカウンターを与えて蘇生するときに、女性への使用について問題になったことがあった。別にそれが悪いということではないのだが、AEDでは心電図をとってカウンターの必要性を判断するわけである。

当然、心電図を撮るには端子を肌にくっつけなくてはならない。そうなると肌脱ぎにして端子を装着する必要があるのだが、もし、患者が妙齢の女性で施術者が男性の場合、女性の肌を見ることが犯罪に当たるのではないかという意見があったわけである。

実際には、なぜAEDを使うかといえば例えば心停止が10分以上続けば蘇生率は10%以下になるし、例え蘇生されたとしても低酸素虚血による永続的な脳障害が残ってしまう可能性が高くなるからである。

今、救急車を呼んで現場に到着する時間はおよそ5〜10分であると言われている。つまり、救急車を呼んで病院に連れて行って蘇生したのではゴールデンタイムを逃してしまうことがほぼ確実なのである。

だからこそ現場にAEDをばら撒いておいて、救急車が来る前に使用することが重要になってくる。マジレスすれば本当の意味で生きるか死ぬかの切所である。女性の体をのんびり見ている暇など無いであろう。

それよりも心電図を見てカウンターの必要を判断して、心マッサージすることの方がもう大変という状況である。むしろ暇なのは周囲の野次馬連中であろうから、処置の間、野次馬連中が無遠慮に処置の様子を見物することのないように人垣を作るなどして適切な隔離を行うことの方が重要である。

そうやって無事に命を拾うことができたのであれば普通ならば感謝されて然るべきであろうと思う。けれども,世の中にはさまざまな人がいるのも事実である。そういう状況であっても自分の肌を見られたのが許せない、と言い出す人がいないとも限らないのである。日本には良きサマリア人の法は存在しない。

つまり、偶然居合わせた人が救命のために努力したとしてもそれにより免罪されることはないのである。いや、常識で考えれば救命したことで例えそのことでうまくゆかなかったとしても非難されるなんておかしいだろうと思うのだけれど。

実際には大野病院の事件も無罪になったのだけれども、常に心には一定の覚悟を持って当たらなければならないというのが日本の現状なのだと思う。

まあ、今思うならば、AEDの端子は腕に巻けばいいんじゃないかと思う。それでアイントーベンの三角形は十分できるだろう。

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