生きる価値
ここにコメントを書いたら消されたのでまあ別に建てておこう。
人は生きているだけで価値があると言ってもその価値には差があるということだよ。例えば、ネトウヨとか在特会の命には大して価値がない。別に踏んづけて潰してしまったとしても「ま、いいか」というレベルの小さな価値しかないということだろう。積極的な左派リベラルならばむしろこういう目障りな存在はさっさと無くしてしまった方がいい、その方が綺麗な日本になるという人もいるだろう。
一方で、高齢者は今の日本のステークホルダーである。上級国民、特権階級である。氷河期世代の貧乏人よりも随分金も持っているわけである。そういう連中に対して「高齢者は順送りで死んでゆくのが当然だ」と言えば怒り出すのは当然だろう。
我々金持ちの高齢者より価値の低い奴らはたくさんいるではないか!ほらほらそこらの貧乏なネトウヨども、あれなど生きている価値はないだろう。殺すのならそっちからだろう。息をさせて酸素を消費させるのももったいない。そいつらを生かしておく金があればかわいそうな高齢者の医療を充実させるためにこそ金を使うべきだ。
もちろん、すべての命には価値がある。でもblack lives matterだ。レイシストやネオナチなどに生きる権利があるわけないじゃないか。お金は有限である。かわいそうな高齢者や障害者のためだと言えば程度の悪い右翼どもの命を断つことはむしろ倫理的じゃないだろうか。あいつら程度が悪いから蛆虫とかゴキブリよりか下等だろう。大事な命である高齢者や障害者のためだ。ネトウヨとかネオナチ、レイシストども、在特会などの極右どもはさっさと最終処分してしまおうぜ。人権のためだといえば誰も反対しないって。
こういう方向に行くんじゃないかってワクワクしている。
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