保守本流

岸田自民党の政策を見て民主党と同じという人はニワカというよりほかない。

自民党の保守本流の政策は公共事業を増やして企業を守り、そこから労働者を保護するという政策である。労働者は労働単価の安い田舎から「金の卵」として都会に集めたわけである。

けれども、この方式でガンガン行った小沢一郎氏の師匠である田中角栄氏は金権政治と言われ、ロッキード事件に巻き込まれてしまった訳である。もうマスコミの金権政治の追求は非常なものであった。

1980年代には日本はバブル景気を謳歌したけれど、土地価格の高騰や米国による自由化、市場開放要求により限界に来たので、バブル崩壊、ブラックマンデーと落日を迎えたのではないか。その後、細川内閣のような非自民政権を挟みながらも、日本経済を立て直すことはできずに、小泉政権が成立して新自由主義を目指した訳ではないか。新自由主義は米国と同様に、小さな政府と減税を目指す考え方である。民主党も元々はこの新自由主義に近い考え方ではなかったか。

河野太郎氏の始めた事業仕分けで行政の無駄をなくして支出を削減するという考え方は新自由主義に親和性があるだろう。例えば民主党の蓮舫氏などもスパコンの開発に対して「二位じゃだめなんですか」と言ったエピソードは有名だけれど、これはまさに新自由主義、支出を減らして政府を小さくする主義の典型的な発露であっただろう。

当時の小泉旋風、郵政解散、刺客などはすざましく、民主党も明らかに小泉政権のやり方をまねしていたのである。

多分、鳩山氏も当時は新自由主義の使徒であったわけである。当時は民主党の支持者であったひとと話をすると、公共事業は削減が正義、公共事業が諸悪の根源であると力説されていたのである。

その雰囲気が変わったのが2人目の首相に就任した菅直人氏である。彼は鳩山首相が政権交代時に「衆議院の任期が尽きるまでは増税の話を一切しない」といっていたことをあっさり忘れたように就任時に「消費増税」を主張したわけである。もちろん、彼にしてみれば財源不足で子ども手当が十分に行えなかったことを案じて、その新しい財源としてそういうことを言ったのかもしれない。けれども、新自由主義を奉じるリバタリアンにしてみれば寝耳に水の一撃である。リバタリアンであればたとえ国民が餓死しようとも放置して減税を行うという政府を支持するだろう。それで彼への支持率は急降下して、東日本大震災の処理の不適切さを批判されるなどもあって退陣したわけである。

次の野田政権で超円高、超株安を放置した結果、民主党政権は崩壊するわけであるが、小沢氏が本当は田中角栄氏のような金権政治を行いたかったのかどうかはよくはわからない。けれども、やったことは小さな政府指向のリバタリアン好みの政策であろう。

自民党に政権奪回した安倍氏が行ったのは金融緩和である。公共事業の拡大ーつまりは国土強靱化策については残念ながら踏み込めなかったわけであるが、第一次安倍政権では新自由主義的政策で景気回復を実現したものの、実感なき景気回復と批判された安倍氏は第二次政権では新自由主義を捨てて、緩和に走ったのである。このことは株高や求人の回復を誘引したわけであり、もちろん、当時定年退職を始めていた団塊の世代のリプレイスという意味もあっただろうけれど、新卒の求人増加を引き出したわけである。

民主党は新自由主義的政策を捨てられずに希望の党となって、同じ新自由主義の維新の会と連合したけれど、国民の支持は得られずに敗退したわけである。

今の立憲民主党は「希望の党」に拒否された人たちを中心にできた党なので保守本流に近いと言えばそうなんだけれど、(まあ、菅直人氏も入っているし)当時の民主党が三党合意して導入した消費増税に反対したりしているので、むしろ主張がぶれているのである。

今、岸田氏が出してきている政策は保守本流のものであって、ここで景気対策55兆円だけでなく、永続的な公共事業の拡大が出てくれば完璧だと思うのであるが、それを民主党と同じというならばそれは、さすがに「見えていない」というよりほかないだろう。

私が注目しているのは財務省と自民党がどう妥協するかというところである。もしプライマリーバランスの達成を叫んで公共事業を削減するという、新自由主義的回帰を行うならば、それは保守本流が負けたということであろう。

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