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レガシー

安倍首相が辞任を表明して、世の中では次の首相がどう選ばれるべきか、次の首相がこの複雑で危険な国際情勢をどう切り抜け、また、このコロナ禍をどう解決に導いてゆくか、そのためには誰を新総裁に選択すべきなのかという話題に切り替わってゆく時期である。来週早々にも自民党の総裁選の選出方法が決定されるそうであるので目が離せないところであろう。

一方で野党の議員の中には「ついに安倍首相が首相の座から降りたぞ、今こそ首相の顔に泥を塗るチャンスだ」とばかりに必死に安倍首相の悪口を書いている人もいる。これはリベラルの人たちにも同じような人がいるのでそういう人たちに共通の意識なのであろうか。一言で言えば見識が低い、後ろ向きな態度であると思う。

まあ、安倍政権が日本の憲政史上で稀有の長期政権であったので、野党やリベラルの人は「自分の存在意義は反アベだ!」と規定してしまったということなのかもしれない。日本国民にしてみたら「なぜこんな無用の人を税金で養わねばならないのか。そんなに反アベをしたければ議員辞職をして一介のリベラルとして反アベを追求すればどうか」と言いたいことであろう。

まあ、野党支持者自身が「野党の存在意義は与党の批判である」と言い切ってしまう現状であるから、もう日本の野党議員は「Law maker」ではないただの評論家、批評家であるということなのかもしれない。敗戦国民として米軍の支配を受けていた記憶が強すぎて、「独立国としての日本」をどう発展させるかという議論よりも「敗戦国民の優等生」として「先生」であるGHQの作った憲法をいかに日本人に守らせるかについて汲々としているのかもしれない。そういう目で見ると、日本国を世界の四等国とせずに、世界で有数の国として運営してきた安倍政権がいかに目障りであったかということであろう。

「敗戦国民の優等生」としてなら例えば隣国である韓国の理不尽な要求に屈し、許しを乞い、理不尽にお金を支払い続けることこそ望ましい訳である。韓国だけでなく、北朝鮮や中華の理不尽な要求に正論をいうことなく、見苦しく狼狽してひたすら平伏して許しを乞い、いじめられっ子がいじめっ子にカツアゲされるように理不尽にお金を支払うことこそ「敗戦国民の優等生」であり、第一次大戦後のワイマール共和国のようにハイパーインフレを起こし、レンテンマルクを発行するような惨状をこそ彼らリベラルや一部の野党議員は望んでいたのではないか。そうしてこそ誇りも自主性も奪われた敗戦国民の鑑ということであろう。

ところが、安倍政権ではそういう理不尽な隣国の要求をうまく否してきたわけである。これでは「敗戦国民」ではなくてまるで自主性のある「普通の国」ではないか。彼らにしてみれば「普通の国」とはワイマール共和国が崩壊した後に出現するものである。つまり、ナチス・第三帝国である。彼ら一部の野党やリベラルにとって、安倍首相をヒトラーと同一視したのはそういう心理状況があったということではなかろうか。

日本はワイマール共和国と違ってハイパーインフレも起きなかったのである。けれども彼ら左派リベラルの妄想ではきっとハイパーインフレが起きてナチスが日本を支配しているのだ、自分たちはパリを解放するレジスタンスだというストーリーが強固に出来上がっていたのかもしれない。

戦後、文系学者たちが左傾化したのは自己保存のための擬態もあったかもしれない。けれども、彼らが教えた戦後世代はピュアに左傾化したということだろう。本来は戦後教育の犠牲者である彼ら左派リベラルは哀れな存在かもしれない。残念ながら彼ら左派リベラルは暴力と破壊しか生み出せない一種の畸形ともいうべき存在であった。フェミニズムも御同類である。国も男女共同参画ということで多くの予算を割いてきたわけであるが、なんらかの成果が上がったということもなさそうである。

恐らく今後の日本は人口減少社会の中で活気を維持してゆかねばならないことであろう。そのためには何事かを創造してゆかねばならない。「暴力と破壊」は今後不要で有害なものになるわけである。もしかすると、安倍政権の1番のレガシーは左派リベラルの可視化であり、有害な彼らを共に歴史へと連れ去ることで日本の将来世代の障害を取り除くことであるのかもしれない。


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