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優生思想

日本の優生思想って?

日本の優生思想は生まれでは決まらない。何しろ老人の命を絶つことまでもが優生思想ということになっているからである。きっと彼らの優生学では生まれた時と老人になった時のDNA配列が異なるというのであろう。

ALSについても遺伝性のものはその中の一部であり、多くは孤発例で遺伝とは関係ないよね、っていうと石を投げられると思う。

遺伝じゃないものを遺伝であるとして、みんなひっくるめにして否定するのはさすがにむちゃくちゃではないかというより他ない。

つまり、彼らの反「優生思想」においては「悪いものは全て遺伝」であり、遺伝を口にする奴はかたっぱしから地獄に落とせということなのかもしれない。

ヘルスプロモーションとパターナリズム

そもそも医療って患者をケアするためにあるということを理解していない人が多いのではないか。無論、パターナリズムの昔には患者の訴えがどうであろうと、医師は「これが患者のために最善だ」と思うことを患者に行ったのである。ヒポクラテスの誓いに縛られた医師が患者に自殺薬を渡すはずはなかった。

安楽死、尊厳死の議論が盛んになったのはヘルスプロモーション、患者の自己決定権の議論が盛んになり、医師のパターナリズムが否定されてから後の事である。

患者の生活の質が認識されて発表されたのは1945年のことではなかったか。それからWHOで健康の定義が議論され、その中でひたすら治療して「健康のためには死んでもいいじゃないか」という治療一本槍の医療から患者の自己決定権を尊重し、例え寿命が短くなったとしても最後の期間をできるだけ安楽に過ごしたいというホスピスケアが認められるようになったのではないか。

患者の自己決定権

あくまで治療をめざすのか、もう治癒の望みがなくなった時にひたすら延命を目指すのか、それとも、辛い治療より短くても安楽な最期を目指すのか、もしくは他の道を考えるのか。それはもはや医師が決定することではない。どの道が正しいかという絶対的基準はない。それは患者の価値観、人生観が大きな比重を占めることであろう。最後は患者自身で決めることである。

もちろん、今回のALS患者の死亡事例では、様々な問題があることが既に明らかにされているのでポジティブに論評することはできないであろう。というより、未だ日本では倫理では患者の自己決定権を認めているようには思えない。むしろ「医者が全力を持って患者を生かし続けなければならぬ。心臓の最後の一打ちをできるだけ引き伸ばさなければならぬ」という倫理を押し付けているように思う。患者の自己決定権を認めて最期のときは静かに送ってあげようなんて言っている人はいるのだろうか。もちろん、「最期のとき」は患者の決めるものではなくて医者がサジを投げた後ということになる。

それって本当に短い時間ではないのだろうか。うちの母の時は一週間であった。主治医にもう治療薬がないと言われ、その日のうちに母をホスピスに移して、1日でモルヒネで眠らされ、そのまま一週間で眠ったように逝ったわけである。呼吸苦や痛みは恐らく感じずに済んだろうというのが僅かな慰めである。「ホスピスに来て、もっとゆっくり喋れると思ったら眠ってばっかりやわあ」という言葉が私の聞いた母のほぼ最後の言葉である。

でも、モルヒネを止めてと言えば母は激痛にのたうちまわっていたかもしれない。



けれども、このことで全てを「優生思想」だから議論を禁止するということになればそれは間違えていると思うのである。むしろ議論はまだまだ足りないであろう。

「生きる権利」はわかるのである。けれどもそれが「生かす義務」とか「患者は生きることに感謝するのが義務であって、辛さ、苦しさを訴えることの禁止」になってはいけないであろう。

まあ、優生学についてはChromosomal Disordersやautosomal dominant disordersでは浸透率を無視すれば成り立つかもしれないがautosomal recessive disordersやX-linked recessive disordersでは成り立たないわけである。わからない人は高校の生物の教科書を見直して「メンデルの法則」を確認すれば良い。

つまり、人のゲノムは二倍体であって二つの形質を発現しうるのである。

もし、優生学が成り立つならば「王室病」もしくは「王家の病」と言われたあの血友病はまさしく矛盾になるわけである。

血友病は女性についてはほとんど保因者として発病せず、ほぼ男にのみ発症する病気である。これが欧州各国の王子様に発症したわけである。(男にのみ発症するわけであるから)多くの王子様が血友病を発症して夭折した。当時は王位は男子が相続するのが原則だったから、せっかく男の子が産まれて喜んでも、病気で亡くなってしまったわけである。

優生学を重んずるのであれば本来なら欧州の王家を否定しなければならないということになるわけである。

多分、そういう「都合の悪い事実」はこっそりと隅に押しやられたのだろうけれども。

「優生思想!」とヒステリックに喚く人たちも根本原則を無視して単に自分たちに都合の良いことを叫んでいるとしか思えないのである。私にはそれが優生学を都合よく利用とした人たちとどう違うのかわからない。

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