子供たちは「うるさく遊ぶ」権利がある

もう何年も前、子供が保育園に行っていたときに「子供がうるさい」というクレームを受けた保育園が防音壁を立てていた時とは時代が変わっているのかな。保育園が足りないという人もいれば保育園を建てると子供らがうるさいから保育園建設に反対だという声が上がるNIMBYの問題はずっと継続しているような気がする。

2020年はコロナ騒動で保育園どころではなかっただろうからどちらかというと静かだったかもしれないが、その分、ステイ・ホームで家にいる父親の問題がクローズアップされていたようにも思う。つまり「亭主元気で留守が良い」ということであろう。

うちでは、全校休校の時に、奥さんと子供たちでガレージの床ににチョークで絵を描いて遊んでいたようである。風船の絵などは今でもガレージの中で消えずに残っている。

他のおうちの子供たちも公園にわんさか集まってキャーキャー遊んでいたはずである。テレビのワイドショーなどでは公園で子供達が感染したらどうするんだなどと苦言を呈するコメンテーターたちがいたはずである。

公園が密になったから溢れ出た子達が道路に遊び場を求めたということではないか。つまりは公園が少なすぎるということである。公共スペースが足りないということであろう。敗戦から復興する中で都市計画が十分でなかった。行政はそこまで気を配る余裕がなかったというのが現在に至っているということである。

昔も今も子供たちは道路で遊んでいたと思うのだけれどね。公園が整備されても遊具が危ない、危険だといって封印され、使用禁止になっているところもある。その中で子供たちは逞しくも道路を遊び場にしてきたわけである。そしてかつての子供達であった今の大人は道路を自分たちのものだと宣言して子供たちを道路から追い出したいようである。

そういう大人たちは自分たちが子供の頃にどれだけ大声を出していたのかすっかり忘れてしまって、今の子供達には無言の修行を強制したがるのではないか。

そりゃ、体罰禁止の世の中だから、大人たちが子供を叩いたり殴ったりしてはいけない。これはもう法律になっている。けれども、子供たちだって言葉を理解する能力がある。大人が道路を使いたい時にはそう言えば理解する能力があるのである。

だからといって、大人たちが「子供は外に出てくるな、鍵をかけて家に閉じ籠って無言の行を行え。世界は我々大人だけのものだから子供は邪魔するなというのは傲慢と評する他はない。世界は大人だけのものではない。子供たちが外で声を上げて思いっきり遊ぶ権利もあるのである。

むしろ大人たちは子供たちが自由に遊べる環境を整備する責任があるのではないだろうか。

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