本当に久しぶりに眠れないほど死にたいので、筆をとる。 希死念慮が頭をもたげたきっかけは、はっきりしている。お盆明けから、立て続けにモチベーションを削られるような言葉を向けられた。2連休明け、生活の高低差に体がついていけないままで、頭痛もひどい。 仕事から離れて休息する、ということが著しく苦手だ。寝ても覚めても仕事。ずっと仕事のことを考えていて、読書も映画も集中できない。つい先日までそれが当たり前だと思っていたので、特にストレスは感じていなかった。いや、実際には感じていない
今まででいちばん泣いた本は、「ゼツメツ少年/重松清」だ。 手に取ったのは、なんとなくタイトルに惹かれたからだった気がする。超絶モラトリアム期だった中学3年生の私。「センセイ、僕たちを助けてください。僕たちはゼツメツしてしまいます」という冒頭のタケシの言葉に、自分自身のやるせない現状と行き場のない薄暗い気持ちをトレースしたのだと思う。 作中を通して、子ども特有の感情の機微が凄まじく表現されていた。著者の素朴で率直な表現も後押しとなり、ラストは嗚咽しながら読んだ。泣きす
疲労困憊の日々に寄り添ってくれるのは言葉だ。 同時に、疲労困憊の日々の原因も言葉だ。今の職についてから半年、日々を「こなす」ことに盲目的に取り組んでいたが、最近は「伝える」必要が出てきた。 私の文章は他人からどう見えるだろう。どんな言葉にも使う人の個性が出る。文章はその人そのものだ。 私の文章はあまりにも幼いのだろう、と落ち込む毎日。私が伝えたいことは私の文章では伝わらない。まるで外側だけ金メッキを施したような、今の私そのものだ。 今の職は、私の年齢では経験豊富である
日々人生が加速している。 早く死にたい、と思うことが昔からよくあった。吸う、吐く、食う、寝る、起きる、吸う、吐く、食う、寝る、吸う、吐く、吸う、吐く。それだけの、誰でもどこでもできることが本当に苦痛で、ただただ早く終わって欲しいと思い続けてここまで来た気がする。 大人になると人生が楽になると思って生きてきた。実際に楽になった。 失ったから楽になったのだ、と最近気づいた。 10歳の頃、季節の変わる匂いがわかった。雨が降り出すのがわかったし、雪が降る日もわかった。近所の野