自分の言葉を持つ【LILY'S TONE】

ゆり子さんのラジオ、ようやく聴けました

もう、とにかく癒やされました!
同じ25時台なのに、この空気の違いは何なのでしょうかw

源さんゲストパートで、本当に嬉しそうなゆり子さん。
源さん達がご自宅に来られて喜ぶゆり子さん。
音楽活動を深掘りするゆり子さん…というか、これはLILYさんかな。
どこからどこまでも愛おしい。

源さんが、ゆり子さんのことを「カッコいい」とおっしゃっていて。
そこに心底、共感しました。
ちょっと源さんの思いとは違うかも知れませんが、私はゆり子さんを「武士のようだ」と思うことがあります。
風男はもちろん愛らしくて、キュートで、慈愛に満ちた、まさにミューズ(女神)ですが。
その一方的で動物に対する向き合い方や、生活を営む覚悟など、その言葉は清々しくもあるのです。

ちょっとソースは不明ですが。
独身で動物に囲まれて暮らすゆり子さんですが、そんな生活に憧れる方に「おすすめしない」とお話されていたことがありました。
一瞬ギョッとする言葉ですが、その中には「誰も頼らずに生活する難しさ」とか「動物たちの命を預かる覚悟」を語られていたと思います。
その難しさを知ってなお、あれだけの動物たちを迎え入れて暮らしていくのはもう、カッコいいのです。
ただフワフワと生きているのではなく、明確な芯を持ってなお、愛らしい存在なのです。
これをカッコいいと言わずして何と言いますか!です。

今回のラジオでも、印象に残るお話がありました。
それは「動物の看取り」に関するお手紙に答える場面でした。
悲しい気持ちとどう向き合うのか、という質問に対して。

ゆり子さんは「自分さえ耐えればいい」と言うのです。

動物は神様が授けて生まれるもので、逆に死を迎えることは神様の元に帰ることだと、ゆり子さんは言います。
神様のところに戻ることは、生まれるのと同様に幸せなことかも知れないのだ、とも。
もしそうであったのなら、送る方はとても悲しいけれど、終える方は嬉しいのではないかと。

そうだとしたら離れることを嘆くよりも、それはお祝いをすべきことかも知れない。
だから、自分が悲しむのを耐えれば、終える子たちを穏やかに送ることができるのだ、と。

この考え方が、あまりにも納得できたのです。

というか、自分自身の死生観がまさにゆり子さん寄りなんです。
自分自身が死ぬのは待ち遠しいけど、残されるのは悲しい。
それってなんだろうと思っていたけど、ゆり子さんの話を聞いて「これだ!」と思いました。

耐えるのは、きっと言葉以上に辛くて苦しいと思います。
それでも、終える子たちの幸せを願って耐えるゆり子さんを最高にカッコいいと思うし、尊敬してしまうのです。

源さんも、ゆり子さんも、たぶんお互いに「自分の言葉を持っている人」だと思います。
お二人とも本当にカッコいい。
だからこそ癒やされるし、楽しいし、笑ってしまうのだと思います。

とっても幸せな2時間でした。
まだタイムフリーもありますので、気になる方はぜひradikoで聴いてみてください。

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