ひかりの手触り

今は名実ともに「主人公」となったシャオロンが、広く主人公と呼ばれるようになった第一歩は間違いなく高速廻天田原卍五郎だと思っていたり、そんな高速廻天田原卍五郎という人の手触りをぼんやりと考えたりしつつ結局はシャオロンの話をするnote

※当然のごとく【クトゥルフ神話TRPG】個性豊かなメンバーで狂気山脈~邪神の山嶺~のネタバレが出てきます。
※感想とは言い難い思考をつらつら書いただけの文章です。自分の中ではつながりがあるけど、読んでも繋がりは見えないかもしれません。




あの日からちょうど5年の今日この日に何か残したいと思い衝動的にメモ帳を開きました。あの日は楽しかった!で終わった記憶があるので、今日のような鬼悪魔の弟子としてメンバーたちだけでなくコラボ相手や師匠まで地獄の底に突き落とす(誇張表現)KPとして成長するとは思わなかったんですけど、始まりの一歩はどこか?と聞かれたら間違いなく2018年8月19日だったと思っています。

2018年夏頃までの我々だにおける主人公ポジションって大先生(今でもそうですが……)でしたよね。ネタの宝庫・喋っても何しても面白い、実写動画で顔出しもし初めてスターなんて呼ばれてましたし名実ともに主人公だったと思います。
2018年ってちょっとシャ推し的には難しい時期で、詳細は省くんですけど端的に言うと活動量が減っていた時期だったのでこのままフェードアウトしたりするのかなって少し考えたりしてました。そういった時期の夏、当時はリプレイ動画しか見たことのなかったTRPGを大先生とシャオロンとせらさんでやるよと言われてもあまりピンときてなかったというか……正直どんなものなのかよくわかっていなかったです。しかも出てきたキャラクターが『高速廻天田原卍五郎』って、どう考えてもふざける気満々だしキャラクターの設定自体も盛りに盛ってなんかよく分からないナルシストキャラでしたし、あの時リアタイした人たちならわかると思うんですけど、あんなに化けるとは思わなかったです。

多分同卓したのがせらさんだったのが良かったんじゃないかなって言うのはぼんやり思っていて、我々だで固めていたら多分高速廻天田原卍五郎という人が主人公と呼ばれることはなかったのではないかなと……
高速廻天田原卍五郎という人はほぼ全て持っている人間だったので周りに集まってくる人間たちは打算があったのでは?と考えていて、おそらく人間関係は得られなかった(そしてもしかして唯一だったかもしれない親友は山で失っている)のかな〜とかぼんやり妄想しているんですけど、素晴らしい被写体という扱いからのスタートだとはいえ純粋に高速廻天田原卍五郎という人を頼りにしてくれる高枝勇の存在ってとても大きいように感じています。例の3:37:59に至るまでの流れも高枝勇が強くそれを望んだから、自分を信頼してくれている高枝勇の想いに応えたいと、ダイスが、言葉が突き動かされるように出てきたと勝手に思っています。

精神面はもちろん、ダイスの出目においても主人公。
「高速廻天田原卍五郎は白銀の照り返しのような眩しさ。自分自身が光っているのではなく他者からそうあって欲しいと希われることで光ることができる人」
この自分の解釈がいまだにブレることなく、繰り返し個性豊かな狂気山脈を見るたびに感じるそれは、多分ダイスの出目の波乱万丈っぷりが由来な気もしてます。
誰かにそうあって欲しいと強く願われたとき、ここぞと言うときに絶対外さない高速廻天田原卍五郎のことを主人公と呼んでしまうのは仕方ないな〜と思ってます。
あと、山頂で絞り出した言葉が「今まで名誉を追い求めてきたけどなんか違う」だった高速廻天田原卍五郎、ほぼ全てを持っていても満たされない気持ちで生きてきたんだろうなと思うと、やはり自発的に光り輝く太陽ではなく照り返しだなと思うわけです。

最初の話に戻るんですけど、主人公の芽生えである個性豊かな狂気山脈を思い出すたびに、この後のアスタルテ、個性豊かな傀逅を経て着実に「主人公」の階段を登っていったシャオロンが魔主役の主人公と発表されたあの日も思い出すなあという話をしてこのnoteを終わりにします。

杞憂オタクが勝手に杞憂してたフェードアウトもせず、今日まで楽しく活動を続けてくれてありがとうの気持ちを込めて。