私の人生のことが好き


体調を崩して横になっていて、あまりやれることが多くない中、何をしようか考えていた。ちょっとブログを書くくらいはできるかも。

今、深い多幸感に包まれている。
最近はこういう感覚になることがよくある。
5月からメンタルの不調が長く続いていて、過去から続く膨大な怒りや悲しみに苛まれていたりもするのだけれど
決してそればかりではなく、
現実が何も変わっていなくても、辛いことがあっても、今この時間をとても幸福だと感じて、ただ生きていることが嬉しくなる。

むしろ蓋をするしかなかった苦しみを吐き出す時間を作ったりする中で
自己受容が進んでいるのかもしれない。
どんな自分もそれで良い、というような。
ネガティブは苦しいし辛い、だからポジティブになりたいという思いは数年前からとても強いものになっていて
それは最早、私の信念というか、強い目標にもなっているから、変えたいとは思わない。
でも自分の中の暗さを否定する形でのポジティブさを目指したいわけではないのだな、と最近思う。

蓋をするしかない感情は未だにたくさんあって
到底、処理しきれない悲しみが自分の中にはあるな、と自覚している。
でもそれはそれとして、
空が美しいとか、日差しが気持ちがいいとか、
本当にそれだけの
ただここに生きているというだけのことへの
安心、喜び、美しさ、心地良さを
感じる日も増えてきている。

なんだろう、マインドフルネス的なことなのかな?
特に意識して、そうした状態を目指していたわけではないのだけれど
10年近く前に、「このままでは私はきっと人を殺してしまう」という危機感を抱いてから
自分を変える努力をしてきた。
それがこういう形で、実っている部分があるのかもしれない。

人生には悩みも苦しみもつきもので、全くもって完璧な幸福というものは存在しえないと思う。
人が思考し、何かを認識し、そこに優劣をつけたり、欲しい欲しくないと選別をしたりする限りは
幸福と不幸は隣り合わせにそこにあって、どちらかしかない状態は有り得ない。
と、同時に
悩まない、優劣をつけない、いやむしろ悩みも優劣も全てそのまま、受容するような
悟りに近い心持ちというものも、人は体現できる生き物なのだろう。
別にこれは、私が悟ったとかそんな大それた話ではなくて……
色々な問題と呼べる出来事がおきている中で、こんなに安心した心持ちでいることもできる自分を面白く感じているから
なにかそれをどうにか 持ってる語彙であらわせないかな〜と思ってこれを書いている。

悩んでも仕方ないから悩まない
物事の受け取り方は自由だから
わざわざ苦しまない
胸が苦しくなるような思考はいったん止めて
ぼんやりしてみると
心がふっと解放されてあたたかくなる
瞑想に近いことをしているのかもしれないな

犬の寝息が聞こえる
あまりの美しさに泣きそうになる
人生は楽しい

ここに生まれてくることができてよかった
生きていないと経験できない様々なことを
ひとつひとつ味わって過ごしたい

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