死ぬ=罪が償われる


死刑という罰則が一番この世の中では一番きつい罰則とされている。

私が身近な人が誰かに殺されたとき、「犯人なんか死んでしまえ」と思うだろう。「自分が殺したい」とすら思うかもしれない。


けれど、実際に死刑となると、知らない誰かの手によって、自分がいない空間でぱっと、言えばろくに苦しみもせずに死んでいく・・・そう考えると死刑は私は望まない。

かといって、犯人と同じ世の中にいたくないし、犯人がのうのうと生きていることも同じ空気を吸っていることも許せない。


犯人には同じような苦しみ、またはそれ以上の苦しみを味わいながら、目の前で殺してくれない限り、自分は自分の人生を生きてはいけないと思う。


捕まっても、その先の暮らしは普通の食事が食べれたり、働けば少しずつお金がもらえたり、快適ではないにしろ、ふつうに職がない人や、ホームレスの人など、食べる事にこまったひとが服役したり再犯したりすると聞いたことがある。


それはどう考えてもおかしい。


いけないことをすること、罪を犯すことが本当にいけないことなのに、なぜ私たちが払う税金の多くがいけないことをしたそいつらのための食事代などになっているのか。


苦しめばいいのに。

死ぬ=罪が償われる という考えを持つのはおかしい。

おれは○○年捕まっていたから、罪を償ったんだ。という考え方もおかしい。

悪いことをした人はそれをずっと背負って生きていくべきだ。

罪の大きさは違えど、罪を犯したことには変わりないのだから。





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