サニーボーイを語ってみる「第一話」ネタバレあり

教室の、時計の針が12時を指して物語は始まる。がこっと音がして、教卓に猫が唐突にあらわれる。また唐突に少女が現れて、少年の顔についた羽をとる。
時計がまた12時を指す。

いきなりカオスな始まりだ。

ここらは色んな考察が出来るけど、DAN_ballのおもちゃ箱というyoutubeチャンネルがかなり参考になるからぜひ。

物語は、中学生の一クラスがまるごと異世界に漂流してしまった、というところから始まる。そして、そこではそれぞれが超能力を使える、
という
割と使いまわされた設定が展開される。

超能力を得た学生達はテンションが上がって、それを使い、物を壊したり、カオスな状態になる。

それを見かねた生徒会連中は「多数決」で「リーダー」と「ルール」を作り、「超能力」の使用を制限する。

自分はこの一連の流れに人生や人間の歴史の縮図の様なものを感じる。いきなり「世界」に生まれてきた僕たちは、
「才能を持つもの」と「才能を持たないもの」にわけられる。

この世界でも超能力を使えない人や弱い超能力(指が光るだけなど)を持った人から、重力を操る強者までいて、それはランダムに振り分けられる。
そういった不条理がわかりやすく表現されている気がした。

「多数決」による「リーダー」と「ルール」は、民主主義か、もしくは同調圧の登場を示唆しているように見える。
これらが、「才能」を制限する。

他にも、理不尽なルールに反抗する「才能」による革命、反乱がおきたり、ルールを作った側が、ルールを無視して権力を乱用する。そうやって場は混乱に陥っていく。共通していたのは、皆が自分のことを考えて利己的に行動していたことだろうか。
能力者は能力を自由に使い、お構いなしに楽しむことを。生徒会側は内申に傷がつかないように。

そんな中、
冒頭の少女はそうしたことに対して、どこか他人事の様な、一歩引いたような、超越的な態度をとっているように見えた。

彼女だけは現状ではなく、現状の外にある希望を見ていた。彼女の能力が光を(おそらく希望のある方向を光として)見る事だというのもそれを象徴しているのかもしれない。

彼女は誰の為でもなく、一人、走り出し、現状の外に飛び出そうとする。物理的に。
暗闇に囲まれた学校の外へジャンプする。

主人公の少年は危険を顧みず、彼女が落ちる直前で、手を掴み、それを止めるが、勢い余って、自分事落っこちてしまう。

その瞬間、世界はパッと姿を変えて、美しい海と島が現れる。

一話の中に、こんなにもエッセンスが詰め込まれている。単なる「アニメの中だけのエッセンス」ではなく、視聴者や現実に関係あるエッセンスだ。
このアニメでは登場人物の「心の声」が描かれない。もしかしたら、このアニメは、フィクションを通して、「現実」を描きたいのかもしえない。
フィクションの中だからこそ描ける現実がこのアニメには詰まっている。自分はそう感じた。













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