SS「花曇り」

春の頃、花を養う空を養花天と呼ぶらしい。

「薄雲がかかってるな」
「だね。お花見って感じじゃないわねえ」
「ま、桜さえ綺麗なら花見だろ」
「まさか。酒が美味ければ花見よ」
「天気の話は」
前を歩くとぼけ顔の、もう少し奥に悠々と風が吹く。白い鱗がひらひらと泳いでいるのが見えた。
冬を惜しむ、薄寒い初春の陽気の中、寝ぼけ眼の桜花は未だ見ぬ客を、今か今かと、目配せしてどよめき、迷い待つ。

「少し時期が早かったかしら」
「ああ、でも綺麗だよ。これはこれで」
「そかしら、もう少し待っても良かったわ」
「あそこにしよう」

雫が桜の木を伝い、花に乗って、土に染み、昨日の雨を知らせた。
「冷た!」
ヒョイと首を引っ込めながら弁当を広げる彼女の姿は、卑しくも愛らしい。
「養花天だな」
「なにそれ」
「春の、花を養う空だよ」
「春陰のこと?」
「春陰?違うよ、養花天だ。」
「春の曇りがちな天気でしょ?春陰だよ」
陽が真上に差し掛かる頃、他の客がぽつりぽつりと現れた。家族連れの子供がこちらをじっと覗いて不思議そうにしている。
「春陰て感じじゃないだろう、そんな暗い感じじゃなくて、、、」
「春陰でしょ、春陰だよ!」
「ああ、、、まあ、そういう言い方もあるけど、どちらかというと、養花天て感じだ。ほら、少し太陽が覗くだろう。」
「はあ?感じってなによ、春の曇りがちな空は春!陰!だよ!」
「いや、色んな呼び方があるのは分かる。でも、だからこそ選んで、より適切な呼び方をすべきだろう。春陰というのはもう少しジメジメとして、雨が降りそうな、、、」
「屁理屈ならべるな!賢ぶりやがって!私だって知ってるよ、ヨウカテン!」
「知らなかったのね」
「、、、。でも同じ意味なんでしょ!私のでもあってる!」
「いやあ、間違ってはないが、どちらかというと、、、」

彼女の瞳の中を桜が泳いでいる。桜は少し潤んで瞳の外へ飛び出しそうだ。
「」
桜は瞳の中で大きくなり、やがて消え、彼女の口の中に入っていった。
「うえ」
彼女が舌を出した。桜が弁当と混ざってきたない。彼女は食べかすごと桜を吐き出した。
「ハハハハ」
少し潤んだままで彼女は笑う。突然強い風が吹き、昨日の雨を連れ去っていくようだ。桜の花弁が空を薄く覆った。
「花曇りだ」
遠くで子供の声がした。
「養花天だろ」
「春陰なのに」

「ああ!」
誤って飲酒したらしい子供の両親の顔も、もう真っ赤である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?